デンマークからご報告

佐野祥久|アーティスト

デンマークでの今回のグループ展「STUFF」では、主に現地で集めた廃棄物や不用品を使って作品を制作し、アート作品として新しい意味や機能を持たせることをテーマにしています。参加アーティストがそれぞれ個別に制作した作品をただ展覧会場に並べるのではなく、会場となる空間で公開制作を行い、4名のアーティストがゆるやかに協働しながら徐々に作品を作り上げていくという制作プロセスは、日本ではなかなか体験することができない貴重な経験であり、そこには空間を一緒に作り上げていくという一体感がありました。Steenさんの椅子を使った作品やNinaさんのボートを使った作品、Sebastianさんのドローイング作品など、他の3名のアーティストの作品はどれも非常に刺激的で、それらにインスパイアされることよって新しいアイデアが生まれ、私自身の作品も次々とこれまでにない発展をしていきました。そしてまさにそれこそが、今回敢えて事前に日本で作品のプランを考えずにデンマークに渡った私の狙いでもありました。

The four artists… ©︎ Steen Rasmussen

私にとって今回のグループ展への参加は単なる作品発表の場というだけでなく、異なる文化圏のアーティストや地域住民との大切な文化交流の機会であり、そのために作品に日本文化の要素も含ませることができるように私の家から持ってきた日本的な素材も使用し、デンマークで採集した素材と掛け合わせて作品制作を行いました。また、物質的なものだけではなく、Sebastianさんとの共同制作では日本の文字である「漢字」を用いました。デンマークの地で思いつくまま書いた文字は、「新風」、「波」、「光」、「親」、「友」、「結」、「継」、「乾杯」、「寿」、「出会」、「動」、「時」、「行」、「来」といった言葉でしたが、公開制作での協同作業を続けていく内に、私はこれらの言葉がこの場で感じていた私自身の想いであり、イメージであることに気づきました。そしてこれらの言葉はそれぞれの作品の要素として混じり合い、様々な物語となり、それぞれの作品に宿っています。例えばNinaさんのボートを使った作品では、ボートを起点として「波」や「行」・「来」などの言葉の要素を取り入れることによって、作品のイメージを膨らませていくことに大きな役割を果たしています。

実際に作品制作に使用する素材集めではなかなか思い通りのものが見つからないこともあり、自転車で海岸を走り回って木々を集めたり、あてもなく空き地や廃墟を歩き回った日もありましたが、街の人々からも不用品(ボートや新聞紙など)をいただいたり、情報提供などで多大な協力をいただき、大変感謝しています。また、近隣の廃棄物処理場には様々な魅力的な素材が集まっており、大変興味をそそられる楽しい時間でした。

デンマークではペットボトルや空き缶、空き瓶などのリサイクルが進んでいるため廃棄物として手に入れることは難しく、私が日本でよく作品の素材として使用しているペットボトルを使うことはできませんでした。そこで今回は街の人々から提供していただいた沢山の新聞紙を作品の主な素材として採用しました。膨大な量の新聞紙を一枚一枚折り畳み、それらを結んで繋いでいくことの繰り返しによって増殖し、繋がりを広げていく作品は、その広がりの起点を我が家の家紋が入った提灯箱の中からスタートしており、遠い過去の私の祖先から両親、そして私へと繋がり、そして今遠い異国の地でたくさんの人々との繋がりを広げることができていることへの感謝の気持ちを込めた作品でもあります。

The Japanese artist Sano working on one of his many different works ©︎ Steen Rasmussen

日本での私の作品制作では現在は主としてペットボトルという「廃材」を素材として使用していますが、今後デンマークのように日本でもペットボトルのリサイクルがさらに進んでいくと、ペットボトルを「廃材」として位置づけなくなる日が来るかもしれません。しかし人類がこの世界に存続している限り「ゴミ」と呼ばれるものがなくなることはなく、その時にはペットボトルに変わる新しい素材で作品を制作することになるでしょう。その時にこそ、今回の展覧会の経験が生かされることになるのだと思います。

廃棄物や不用品で作品を制作し、展覧会が終了したらそれらの作品を再び廃棄物としてリサイクルの循環の中に戻すという今回の実験的な展覧会は、私にとって非常に印象的な体験でした。地元で集められた廃材を作品に利用することは、単にアーティストが廃棄物を作品に生まれ変わらせたということだけではありません。廃材から生まれたアート作品を高価な商材としてマーケットで売買することを目的にするのではなく、地球資源のリサイクルの循環の輪の中のある一定期間に「アート作品である」という状態であった時間が加わるのです。

このようなまさに実験的で挑戦的な展覧会は、一度きりで終わらせるものではなく、何度も継続的な活動として続けることにこそ意味があり、この混迷の時代の私たちの世界に別なる価値のムーブメントを起こせるのではないかと思っています。