コラム
Columnレッチェとは、どこ?
「テンポラ・コンテンポラフェストのために、毎年レッチェに日本人アーティストを招聘しているのはなぜですか?」
これは、一般の人々、文化関係者、ジャーナリスト、そして日本人アーティスト自身からさえも、私が最も頻繁に尋ねられる質問のひとつです。私にとっては、すべての人からのこの質問に答えることは難しいことではありません。そしてすべての人に、私の個人的な思い出を手渡すのです。
2018年、私はコソボ出身の劇作家ジェトン・ネジライ氏から、EU・ジャパンフェスト日本委員会の古木修治氏と連絡を取るようにとのメッセージを受け取りました。その当時、私は古木氏について何も知りませんでした。そしてEU・ジャパンフェスト日本委員会という、欧州文化首都に招聘された日本人アーティストのプロジェクトを支援する、古木氏が率いる日本の組織についても何も知りませんでした。彼はその時コソボ共和国のプリシュティナに滞在中で、私のバルカン半島への関心と好奇心を聞き、将来欧州文化首都の候補地となりうるマケドニア、モンテネグロ、アルバニアで会うべきアーティストや行政官のリストをつくるよう私に求めてきたのでした。彼はまた、私が欧州文化首都マテーラ2019に参画していることも知っていたのでした。
「あなたのマテーラ2019でのプロジェクトについて話すために、東京に来ませんか?」
私にとっては、この質問に肯定的に答えることも、難しくはありませんでした。というのも、マテーラ2019のために、シルヴィア・グリバウディ氏が演出する“ヒューマン・シェイム”の作品に参加するバルカンのパフォーマーと日本のパフォーマーを探していたからです。こうして、古木氏の招きによって私は東京に向かったのです。
この東京への旅、古木氏、EU・ジャパンフェスト日本委員会のスタッフのみなさん、そして日本人パフォーマーたちとの出会いは、私にとって文化的な再生の季節の始まりとなりました。それは、世界の東で創作されていた演劇のオリジナルな発見、私が大学で学んだ時に得た発見(20世紀のロシア・アヴァンギャルドの演劇、舞踏、能)、そして1980年代から90年代にかけてミラノやイタリアに到着した多くのショーのビジョンに基づいていました。と同時に、別の疑問が私の頭をよぎったのでした。なぜ、レッチェで、その糸と関係を結び直さないのか?南イタリアの地中海に面したこの都市は、他の都市以上に東洋の価値観に目を向けていて、東洋と西洋が共存し、東洋の夜明けがどこよりも早く訪れる場所なのに、と。

こうして誕生したのが、今回で5回目の開催を迎えた“テンポラ・コンテンポラフェスト”でした。バルカン半島と日本のアーティストの存在感が際立つイタリアで唯一の総合的なフェスティバルとして、これまでにアルバニアからは、エイドリアン・パーチ氏、イリル・ブトカ氏、ジェンシャン・コチ氏、アルバン・ネマーニ氏、クラウディア・ピロリ氏、アドミル・スクルタジ氏。セルビアからはタンヤ・シュリヴァル氏、特に日本からはマサコ・マツシタ氏、水中めがね∞(中川絢音氏と根本紳平氏)、中村葵氏、後山阿南氏、そして私の友人であり助言者となった乗越たかお氏が参加、すでに小規模ながらも、興味深い関係、発見、芸術プロジェクトが遺産として生まれています。
これまでのエディションから、さらに充実して、四戸賢治氏の“K(-A-)O”と、川口ゆい氏の“MIS-SING ONE”のパフォーマンスが、レッチェのベルナルディーニ図書館のアートルームで(ガラティーナではサンタ・キアーラの古い修道院を会場として)行われました。そこは、ネオクラシック建築の建物で、古典から現代までの美術書の素晴らしいコレクションを所蔵しています。この特別な場所では、一般の人々が過去の雰囲気の中で呼吸しながら、現代アートの提案と感情に圧倒されることを可能にするのです。
二人の日本人アーティストはいずれも、それぞれのパフォーマンスの中で、伝統的な儀式、そしてデジタルコミュニケーションの新たな可能性(そして歪み)のいずれの関連においても、身体の変容的な能力を探求しています。彼らの身体は、過去、そして現在とのそれぞれの交流の中で、新たな姿勢や特異なイメージを生み出す衝動を受け取ります。四戸賢治氏の道化師ぶりは、アニメーションの言語と組み合わされ、また、川口ゆい氏のダンスは、おとぎ話、儀式、古代の世界と、身体、光、自然が有機的に統合されたような光り輝くポストモダンの風景との間で魅力的な対話を作り出します。どちらも、ユーモアと軽快さに溢れ、レッチェの観客、特に好奇心旺盛で、新しい言語や新しい芸術的実践を受け入れようとする若い観客を魅了しました。
テンポラ・コンテンポラフェストの観客は、賢治氏とゆい氏のパフォーマンスに熱狂的なコメントを寄せました。賢治氏は、顔の動きの圧倒的な表現力とダイナミズム、そしてそこから皮肉に満ちた詩的な側面が浮かび上がる感情の地図が描かれた点が観客から評価されました。ゆい氏のパフォーマンスでは、技術的で舞台的な装置とあわせて、過去と現在の時を駆け、伝統文化とパンクなイメージを行き来する、ダンス、アートデザイン、儀式の間の表現言語の混ざり合いを、観客は大いに評価しました。
日本人アーティストもまた、このようなポジティブなエネルギーを放ち、アーティストと観客との出会いと対話を強みとする街とフェスティバルの記憶と印象を持ち帰るのです。この極めて遠い都市にたどり着くのは、誰にとっても容易なことではありません。日本から出発する場合は15時間以上、ヨーロッパのどの都市から出発する場合でも6時間はかかるのです。しかし、それだけの時間をかける価値はあるのです。レッチェを去るとき、ゲストの顔を照らすのはただひとつ、「美しい、レッチェは本当に美しい!また戻ってきたい!」という言葉です。ただ、一つ残念なことは、この何年もの間でこの美しいレッチェに来るよう古木氏をいまだに説得できていないことです。レッチェ以外、そのほかの欧州文化首都では彼に会えているというのに。それだけがとても残念です!