コラム
Column時を超える旅:中田一志氏アーティスト・イン・レジデンス
『Remains of pray(祈りの残骸)』という新しいエピソードは、長期アートプロジェクト『私の考古学』の一環として中田一志氏によって制作され、記憶、希望、時間の流れといったテーマに深く迫り、アートを通じて人間の深い感情や欲望を探求しています。この作品は、これらの無形の体験を物質的で持続的な形で捉え、個人的な物語をより広いビジョンに結びつける必要性から生まれました。
中田氏のプロジェクトは、個人的な祈りや願いを捉えることを目指していますが、それを独特の儀式的な方法で行います。陶器の祈りの手を制作し、それぞれが個々の希望を表現し、未来の世代へのメッセージとして地中に埋めるのです。この行為は単なる象徴的なものではなく、いつか発掘され再発見される持続的な遺産を創造する方法でもあります。これにより、未来の社会は彼らの前に生きた人々の希望、恐れ、そして願望を目の当たりにすることができるのです。この過去と未来への持続的な繋がりこそが、中田氏のコンセプトを際立たせるものとなっています。
アーティストは、平和や幸福、安全といった人間の深い欲望を探求する手段としてアートを用います。時には大切な思い出に敬意を表す為、また時には過去の重荷を忘れたり解放したりする為。作品制作過程で、5人の参加者が小さなグループとして集まり、それぞれの個人的な歴史を共有しました。手のひらを粘土に押し当てるというシンプルでありながら奥深い行為を通じて、彼らはこれらの個人的な物語を内なる希望の具体的な表現に変えました。この共同作業の性質は、素晴らしい集団エネルギーを生み出しました。感情、経験、視点の交換が行われ、作品はその物理的な形を超えて豊かになりました。各々が自分のアイデンティティーと願いを共有する中で、グループは普遍的な渇望に共通の基盤を見出し、連帯感と繋がりを築きました。制作過程中、中田氏は手の制作過程を写真やビデオで記録しました。それらはプロジェクトを通じて展開された、感情的で共同的なエネルギーの持続的な証拠となるでしょう。
陶器と金箔を素材として使用するアイデアは、アートが提供できる永続性を反映しています。中田氏が示唆するように、数千年も持ちこたえることの出来る陶器は、人間の欲望を記録するのに理想的です。陶器の手は一つひとつ丁寧に作られ、細部にわたる配慮がなされ、時間の試練に耐えられるようになっています。金箔は、もう一つの象徴的な層を加えています。人間の希望の貴重さや生命そのものの脆さを語る美しさと儚さの要素です。中田氏の埋めた陶器の手がその作者が去った後も長く残るように、祈りを捧げる人の手もまた、その祈る人を超えて生き続け、共有された瞬間の遺物となるでしょう。

これらの手を自然の中に埋める行為は、私たちの個人的な記憶、思索、そして葛藤がいつの日か他者によって再発見され、検証される可能性を示す強力なメタファーとなります。未来の世代はこれらの手を掘り起こした時、何を見出すのでしょうか?これらの物体を芸術作品だと思うでしょうか?それとも化石だと考えるでしょうか?この意味において、このプロジェクトは単なる芸術的な試み以上のものとなり、未来とのコミュニケーションの手段となります。
プロジェクトの結果を振り返ると、これらの手を制作する行為が参加者にどれほど深く影響を与えたかがわかります。多くの人にとって、それはこれまで口にしたことのない感情や願いを表現する機会となりました。粘土を形作る過程は、一種のカタルシスとなり、彼らの内面と外の現実とのつながりの瞬間を生み出しました。また、異なる背景を持つ人々が集まり、彼らの物語、懸念、夢を共有することで、コミュニティが形成されました。この共有された目的意識は、私たちが時間、空間、文化によって分かれていても、アートの力が私たちを結びつけるという中田氏の見解を思い起こさせました。

ヴロツワフ文化研究所とヴロツワフ美術大学とのコラボレーションは、このプロジェクトの成功に欠かせないものでした。彼らの支援とリソースのおかげで、私たちは芸術的ビジョンを実現し、制作した手に最高水準の技術をもたらすことができました。さらに、優れた教育者である中田一志氏は、プロジェクトの指導だけでなく、二人の学生参加者のメンターとしても重要な役割を果たしました。彼の専門知識と教育方法は、プロジェクトを新たな芸術的かつ概念的な深さへと引き上げました。このコラボレーションは、学術的なレベルで日本とヴロツワフの間の架け橋を築く有意義なネットワーキングの機会を育み、二つの場所の間での芸術的および文化的交流に持続的な繋がりを生み出しました。
未来を見据えると、中田氏の『私の考古学』には大きな可能性があると感じています。いくつかの手は自然の風景に埋められ、その複製が展示用に保存されました。このようにして、未来の世代に語りかけ続けることでしょう。また、埋められていない残りの手を、例えば、異なる時間の概念やエピソード記憶を探求するグループ展など、今後の企画に使用することにも大きな可能性を見出しています。
最後に、『私の考古学:Remains of pray』は単なる芸術表現以上のもの ー 無形のものを保存する方法を提供します。しばしば分断されていると感じるこの世界において、私たちの違いに関わらず、すべての人が同じ感情と人生の基本的な原則の経験を共有していることを思い出させてくれるのです。そして、中田氏が示唆するように、遠い未来にこれらのオブジェが再発見された時、私たちが何者だったのか、何を夢見ていたのかを未来の世代が理解する手助けになるかもしれません。