友情から始まる文化/感動ど真ん中

井上 節子|和歌山芸術文化支援協会 代表理事

遠く離れた西アフリカ・ギニア共和国のジャンベフォラ(ジャンべの神様)ママディ・ケイタが1994年来日の際、自分の故郷ギニア共和国バランデュグ村と同じぐらいの小さな村に行きたいとの希望で鹿児島・三島村に訪れた。

ママディは少年時代ギニア国立音楽隊に所属していたが、内乱でヨーロッパに亡命した。時が流れふるさとに戻ると村は宗教的、政治的に様変わりしていてジャンベを叩ける子どもたちがいない現実を知るのだった。
ジャンベを教えてもらった子どもたちは、その年ママディとそのバンドグループ「セワカン」のメンバーたちと2週間の演奏旅行に出掛けた。はじめての大きなステージにたった子どもたちは演奏を通じママディと感動を共有したのだ。
その後ママディは、毎年三島村を訪れる様になった。

1998年4人の三島ッ子(三島村の子どもたち) は、ママディのふるさとを訪ねた。村での歓迎に子どもたちはステージに立った時の何倍もの感動を受けるのだ。言葉の分からない子どもたちがジャンベを通じ て会話していく。そして三島の子どもたちがバランデュクの子どもにリズムを教えていくのだ。村を去る時には何年も前からの友達のように肩を抱き合う。ママ ディはこれを機会にもう一度バランデュグ村にジャンベの音が響くかつての生活を取り戻し、そして子どもたちに伝えていく事の大切さを村人に語るのだった。
ママディが大きな木の下でバランデュグの村人たちに三島村を語るシーンが印象的だ。
激しく揺れる船内で「ママディと三島村の物語」のビデオに見入る。

vol_12_clip_image002
船上でビデオに見入る出演者たち

vol_12_clip_image0032005年7月6日~9日、鹿児島県内4会場で第2回国際青少 年音楽祭が開催、その会場のひとつが三島村ということで鹿児島から船で6時間、しかも4mもの高波に揺られながらやってきた。気付けば20人程で見ていた 船内には5人。大荒れの海の大歓迎にアイルランドからの音楽家たちは、苦しそう。「本当なら欠航だが今日はコンサートのある日、何としても黒島に。」この 船丸ごとコンサートへの情熱を乗せ竹島、硫黄島と停泊しながら黒島を目指す。それぞれの島から今夜のコンサートでジャンベを演奏する子どもたちが乗り込ん でくる。それぞれの港では「ようこそ」と書いた旗で迎えてくれた。島を繋ぐフェリーは往復しない。 従って三つの島の子どもたちも久しぶりの交流となるのだそうだ。今夜は全員船で泊る。「この島には小中併せて60名の子どもたちがいる、その内26名は潮風留学といって、都会からやってきて島の人たちと暮らしている三島ッ子だ。」
2005 年7月6日、音楽祭のオープニングで黒島片泊ふれあいセンターに響き渡るジャンベの鼓動。三島村全小・中校生60名の子どもたちのジャンベは「ふるさとへ の想い」を語りかけ、その鼓動は「島を愛する心」となって真っすぐ心に響いてくる。その感動ど真ん中でみつけた透明でとびっきりの笑顔。胸が熱くなった。
ジャンベの神様ママディが初めて島を訪れた時から、物語は始まり今も島びとみんなで紡いでいるのだ。その事はアイルランドから音楽家たちの素晴らしい演奏に最後まで熱いまなざしを注ぎ、感動を正面から受け止める子どもたちの姿をみて痛感した。

 昨夜の感動を胸に子どもたちに紙テープで見送られ鹿児島へ。
一路やっちく松山町へと移動。松山町の皆陣羽織での出迎えには驚くとともに音楽祭への熱い思いが伝わってきた。
ベルギーから天使の様な美しい歌声カンターテ・ドミノ少年合唱団、そしてアイルランドからクロフォード・ピアノ・トリオと仲間たちが。
カンターテ・ドミノ少年合唱団員の受け入れに松山町はホームステイとして取り組んだ。始めての試みだったらしいがその答えは早くも会場内の空気に充分感じられた。
2005 年7月7日音楽や芸術に出来る確かな輝きと自由、そんな至福の七夕の夜だった。その夜関係者宅に泊めて頂き彼等たちの歴史、熱い想いを聞く事ができた。お 互い感じた事を大いに語り合った。手づくり、心尽くしの音楽祭。町全部で作っている手応えを感じ羨ましかった。しかしおおくの共通項も見いだせた有意義な 出会いだった。翌朝ホストファミリーたちが涙で彼等たちを送る姿に確実にそれぞれに物語が始まった事を感じた。

vol_12_06_01_3
涙の退町式 ふれあいセンター前にて

今回は7月6日と7日の2日間だけの体験だったが本当にいい経験だった。これを次に繋げねばと帰路の機内「行政とか民間とか言っている場合ではないぞ」出来る事を情熱をもって続ける事。改めて強く自分に言い聞かせた。