コラム
Column時間旅行-過去と未来の異なる時代への空想の旅
私が初めてYUKIMI AKIBA氏の作品を拝見したのは、LensCulture主催のオンラインコンテストでした。ページをスクロールしていると、他の数ある写真のなか、彼女の作品がひときわ異彩を放っていました。歴史的な肖像写真を繊細かつ詩情豊かに包み込むその手法と、それを通じてスタジオ肖像写真を優美で忘れ難い芸術作品へと押し上げる作家の力が印象的でした。こうして私は魅了されたのです!
そしてYUKIMI氏に連絡を取った私は、主宰するプロジェクト「時間旅行-生きた伝統と現代のはざまの写真」にご参加いただけるよう説得を試みました。
YUKIMI AKIBA氏は慎重な様子でしたが、最終的に、ミヒャエル・モーザーが撮影した、彼の生まれ故郷アウスゼーの住民を捉えた3枚のスタジオ肖像写真に取り組んでいただくことで同意を得ました。また私は、彼女がそれまで用いていた葉書サイズのフォーマットよりも大きなスケールでの作品づくりを説得しました。こうして私達は、A4版のフォーマットでの制作、使用素材、さらにモーザーの写真の複製を印刷する紙質について合意に至ったのです。
これに続いて、あらゆる詳細を確認する何通ものメールが日本とオーストリアを往復した後、遂に各題材の現像写真を2部ずつ(万が一刺繍の段階で問題が起きた際に備えて)彼女にお送りし、私は数か月間の待機期間に入りました。
YUKIMI氏は制作経過を逐次伝えてくださり、そしていよいよ刺繍が施された現像写真が帰途に就いたのですが、日本とオーストリアの郵便サービスと通関の相互のトラブルが伴いました。
作品がようやく到着し、私は再び魅了されました。まずその繊細な美しい包装が、中に何か大切で特別なものが入っている予感を漂わせていました(この包装は、あれからずっと大事にとってあります)。その中身は、私の期待をはるかに超えたものでした。3枚の歴史的なスタジオ写真が、芸術作品へと変貌を遂げていたのです。これらの作品は、にわかに物語を語り出しました。出征を前に夜通し飲み明かした後、記念撮影をする3人の友人が、山里と家族への幸せな帰還を願う想いに包まれる情景。それが実際に叶ったかどうかは知る由もありませんが、こうして彼らは永遠に生き続けています。それだけに留まりません。はるか彼方のアメリカでのより良い暮らしを求めて、厳かに生まれ故郷の村に別れを告げる家族が、『ムーンライト・ララバイ』に包み込まれ、新たな繁栄と安泰の地へと守り導かれる様子。そして最後に、民族衣装を纏ったきょうだいが、『ロマンティック・ポエトリー』へと昇華する姿。
YUKIMI AKIBA氏の作品があらゆる方面から瞬く間に注目を浴びたことを受け、私は、最初の拠点となったグルントルゼーでの展覧会のPRに彼女の作品の画像の一つを起用することに決定し、さらにオーストリアのシュタイアーマルク州グラーツにあるユニバーサルミュージアム・ヨアネウムの歴史博物館で開催される第三弾の展覧会でも、顕著に取り上げることを予定しています。
私がなぜ日本人アーティストとの関わりを求めていたのか、そしてアルタウスゼーの山里と日本にどんな繋がりがあるのか、手短にご説明しましょう。これはもちろん、ミヒャエル・モーザーが関係しているからです。
1867年、鉱山労働者で木工職人の息子モーザーは、14歳のときにウィーンの写真家ヴィルヘルム・ブルガーの弟子入りするためウィーンに呼び寄せられました。1868年、少年は、オーストリア=ハンガリー帝国東アジア遠征隊に随行したブルガーに同行し、ケープタウン、ジャワ、シンガポール、バンコク、サイゴン、香港を経由し、横浜へと旅をしました。モーザーは、絶えず船酔いに悩まされ、1869年に日本に留まることに決め、初めは港湾区域の飲み屋で働き、その後英字新聞「ジャパン・ガゼット」や「ファー・イースト」の発行人を務めるジョン・レディー・ブラックのカメラマンとなりました。流暢な日本語の話し方と読み書きを習得した彼は、1873年、通訳としてウィーンで開かれた万国博覧会に派遣された日本代表団に同行しました。日本に戻ったモーザーは、日本政府からカメラマンとして雇われ、東京に拠点を移しました。1876年、フィラデルフィアで開催されたアメリカ合衆国独立100周年記念万博に、日本代表団の通訳として赴きますが、病に罹り、1877年にアルタウスゼーに帰郷することを決心しました。そこで彼は、最初にアルタウスゼーで、後にバート・アウスゼーで写真館を開業し成功を収めました。1889年、彼はフランチスカ・ピーチと結婚し、一年後に一人息子フィリップが誕生しました。モーザーは、写真への功績が認められ、シルバーステート賞を受賞しました。
彼は、日本の明治時代における最も重要な写真家の一人として評価されています。(キュレーター、イヴォンヌ・オズワルド氏)
YUKIMI AKIBA氏からのステートメント
波乱に満ちた彼の初航海。少年が渡った波を想像したとき、葛飾北斎の浮世絵が心に浮かびました。私は、その波しぶきとその勢いが、異国の地へと旅立つ決意みなぎる若きエネルギーと情熱、そして彼が過ごした明治時代の日本が遂げた劇的な変化を完璧に表現していると感じました。こうして「ジャパンブルーと大波」が、彼の若々しい精神の象徴的イメージとなったのです。紺碧に波立つ色彩は、これらの写真を捉えた彼の眼差しと、時を超えた私の心を結ぶ繋がりから生まれた物語です。歳を重ねた彼の穏やかな優しい眼差しの奥に、これらの歴史的な写真に写し出された人々への深い祈りを感じました。私は、実際のエピソードから、当時の日本とオーストリアの美しい風景や、写真に写る人々の未来に想いを馳せながら、彼らに寄り添った新しい物語を紡ぎ出したのです。」(ビデオからの書き起こし)
欧州文化首都バートイシュル・ザルツカンマーグート2024、プログラム部門長からのコメント
新しくオープンしたホリデーリゾート、ズロームという来訪者や住民が当地域の伝統に触れ合うのにふさわしい場所を舞台としたグルントルゼーでの展示発表を経て、本展は、ザルツブルク・モーツァルトの家(2024年6月9日から12月31日)とグラーツのヨアネウム(2025年1月30日から5月18日)へと巡回しました。
これら3つの展覧会は、欧州文化首都バートイシュル・ザルツカンマーグート2024とその各プログラム部門長のおかげで実現しました。ザルツカンマーグートのグルントルゼーとザルツブルク・モーツァルトの家で開かれた展覧会は、ともに5万人もの来場者を集めました。この励みになる結果は、歴史や伝統に対する現代的視点が、人自らの自己イメージを考察するうえで、大きく寄与していることを明らかに示しました。YUKIMI AKIBA氏の作品では、対照性と共通性が際立つ二国の文化が一つになり、その一体感が豊かさを生み出しています。他者が仲間というより敵とみなされる時世において、大切な兆しといえます。
伝統なくして私達は存在しませんが、伝統に留まったままでは、私達の思考は硬直化し柔軟性が失われてしまいます。この「時間旅行」展は、過去をより理解し、新たな難題に立ち向かえるよう、過去を異なる視点で捉えることを可能にし、未来へと連れ出すのです。