コラム
Column塩と水の重要性
ザルツカンマーグートを訪れる誰もが、本都市の歴史における塩の重要性を理解することでしょう。その人々と風景は、ともに塩と水によって形成されています。キュレーターのゴットフリート・ハッティンガー氏により、メインの展示室は、塩と水を取り上げた現代アートという2部構成に分けられました。
これに加えて国際水会議では、地球上で最も重要な資源としての水という主題にスポットが当てられました。アーティストらによって地球温暖化についても取り上げられ、来場者に向けて、気候変動と安全な水へのアクセスの重要性に対する興味深い芸術的アプローチを表現しました。アヌーク・クルイトホフ氏がYouTubeで見つけた雪や氷の山全体が崩壊する動画を集めた映像が、私達の地球がいかに急激に過熱化しているか、そして地球温暖化を止められなかった場合、それが地球に甚大な結末を招くだろうことを印象強く示しました。アーティストのカテリーナ・ゴッビ氏は、ハルシュタット氷河を登山し、氷床クレバスでハイドロフォン(水中聴音器)を携え、氷河の音を記録しながら、氷河の融解を実感させました。ニコール・シックス氏とポール・ペトリッチュ氏は、彼らの映像作品で、ある男が凍った海の上に佇み、斧で氷に穴を開けている姿を映し出しました。彼はその中央に立っています。この光景は、私達が自分達自身を滅ぼそうとしている、つまり私達は自らが座っている枝を切り落とそうとしているということを、最も簡潔かつ直接的な方法で私達に語りかけているのです。
著名な世界的アーティスト達が、極めて多様性に富んだインスタレーション作品の素材として、塩に専念しています。第一にご紹介したいのが、地元エーベンゼーの製塩所からの後援を受け、自らのインスタレーション作品の制作に6トンもの塩を使用した日本人アーティスト、山本基氏です。山本氏は、日本からオーストリアに飛行機で向かった際に上空から見たアルプスに魅了されました。そこで彼は、大規模で広大なインスタレーション作品で、記憶に残ったアルプスを模した塩の山脈と迷宮を創り上げました。塩は、オーストリアのみならず日本でも、貴重で清らかなものとされています。塩を用いて制作に取り組むことで、作家は亡き妹と妻の生前の記憶を心に留めています。また他のアーティストも、薄く固結化した塩に覆われた大きな石で「庭園」を創り上げたアンナ・ラン・トリュッグヴァドッティル氏や、塩水を電解液として利用した電池を構築したクリスティン・ビーラー氏、そして死海の塩を用いて制作に取り組んだシガリット・ランダウ氏とサイモン・スターリング氏のように、塩を主な素材として使用していました。マイケル・ザイルストルファー氏は、塩で創られた歯の作品で儚さを表現し、ノルベルト・ヒンターベルガー氏は、作品「Heavy Sea」で、塩石に浮かぶパンで創られた船を通じてオーロラとロシア・ウクライナ紛争を結びつけました。
本展で歴史をテーマにした一角では、ザルツカンマーグートにおける製塩に関する歴史が、労働者の視点から語られました。ハルシュタットでは、7千年前にはすでに塩の採掘が行われていました。15世紀にいたるまで、ハルシュタットでは、過剰な製塩により、大規模な森林伐採が起こりました。これにより、ハルシュタットからバート・イシュルを経由してエーベンゼーまで延びる40キロメートルにおよぶパイプラインが敷設されました。これは世界最古のパイプラインです。ポンプを使わず塩水を製塩所に輸送するため、1万3千本を超える木の幹を手作業で刳りぬく必要がありました。そして現在もなお、この方法で営まれています。
この製塩所は、1965年に閉鎖されて以来遊休状態が続いていましたが、現在、工業的用途から芸術的役割を担う場所、すなわち文化と、同時代性と歴史のあいだの省察の場へと変貌を遂げつつあります。
建物が基準を満たさないため、製塩所を適した展示スペースに改修するために、かなりの労力を要しました。結果として私達は、興味深い工業的環境を舞台に開催された、エキサイティングな展覧会を振り返ることができるのです。とはいえ、克服すべきいくつかの課題がありました。これは特に、山本基氏の作品に関係するものでした。均一で滑らかな艶のない表面に塩を施せるようにするため、私達はまず、温度差により床の収縮が生じさせないよう、下地処理剤を探し出す必要がありました。その塗床材を施工する際、ひび割れを起こさずに液体を乾燥させるためには、最低温度である12度を維持ことが絶対的に必須でした。これについては、最終的に達成されました。山本基氏は、初日に6トンの塩を使用しました。それは予定より1トン上回る量で、この分の塩はアンナ・ラン・トリュッグヴァドッティル氏のために用意されていたものでした。したがって私達は、他のアーティスト達に塩が十分に行き渡るよう、早急に追加で1トンの配達を手配しなければなりませんでした。この迷宮を眺めていると、山本氏の瞑想的な創作ぶりと精密さが手に取るように伝わってきます。
塩は固着されておらず、床面に直に盛られているだけでしたので、私達は常に、来場者の誰かがこの繊細な塩の迷宮を壊してしまうのではないかという懸念が多少ありました。ある朝突然、私達は、塩のなかに足跡があることに気づきました。当初それは、犬の痕跡だと私達は思いました。その足形を分析したところ、マツテンが屋根を伝って展示会場に入り込んだであろうことが判明したのです。この動物は、迷宮全体を縫って歩き、塩の山々をかなり間近に眺めていたようです。基氏は、そのことを穏やかに受け止めていました。自然が自らこの旧製塩所に入り込む道を見つけたことで、ガイドツアーで来場者にお伝えできる格好のエピソードとなったのです!そして展覧会終了後、基氏の塩の迷宮からの塩を詰めた袋を、たくさんの人々が持ち帰りました。また残りの塩は、ザルツブルクの美術館に移されることになっています。この記憶は、これからも息づいていくのです!