Three Bee Houses

矢嶋一裕|建築家

MAGENTA Landscape Design Festival

ランドスケープをテーマとした“MAGENTA Landscape Design Festival”では、展覧会を中心に教育プログラムや討論会など様々なイベントが開催されました。このフェスティバルにおけるランドスケープとは、単に風景や景色を意味するものではなく、風景や景色を構成する土地や場所、環境や歴史などの諸要素を包含する幅広い領域を意味しています。そのため、私が参加した展覧会では、デザイン、建築、歴史、生物学、生態学、心理学などの分野を融合した学際的なアート作品が制作されました。ランドスケープというテーマは、カウナスが自然あふれる街であることと結びついています。しかし近年では、その豊かな自然環境を無視した都市開発により成熟した樹木や緑地が失われる状況が発生しているため、“MAGENTA Landscape Design Festival”ではカウナスのランドスケープを再考することが求められていました。

Landscape design festival Magenta. Conference “Nature.Human.City.” ©︎ Martynas Šiaurė

ミツバチとリトアニア

私は3棟のミツバチの家を制作しました。リトアニアのミツバチがEU加盟国の中で最高の生育環境にあることを報告した調査結果を読んだことをきっかけに、ミツバチの家を制作することを思いついたのです。ミツバチの死亡率は通常10%ほどのようですが、リトアニアでは3%ほど、年によっては1%未満でEU加盟国内において最も低いということです。このような調査結果は、リトアニア語で親友を意味する「bičiulis」が「bitė」(bee)から派生していることからもわかるように、養蜂が古くからリトアニア文化の一部として重要な役割を担ってきたことと関係しています。2005年にはウクライナの大統領からリトアニアの大統領に3棟のミツバチの家が贈られたこともあり、私も3棟のミツバチの家を制作することにしました。

KAZUHIRO YAJIMA “Bee House – Kaunas Central Post Office” ©︎ Martynas Šiaurė

カウナスのモダニズム建築

私が制作するミツバチの家はカウナスの歴史的重要建築物をミニチュア化したものです。カウナスには20世紀の戦間期(1918年-1940年)に建設された様々な用途の約6000棟のモダニズム建築があります。1919年に首都のヴィリニュスがロシアに占領され、1920年にヴィリニュスがポーランドに併合されるとカウナスは臨時の首都となります。それから1940年まで、カウナスはリトアニア最大の都市として発展していくことになります。そのような状況の中で建設されたのがこれらモダニズム建築なのです。

建築家は居心地の良い空間を求めて動物の家を参照することがありますが、今回はその逆で人間のためにつくられた建築をミツバチの家に転換しています。国や社会が新しくつくられる時に、新しい公共建築もつくられます。そのため、それらの建築には国や社会が投影されることになります。人間社会のしがらみと無関係のミツバチが人間社会を投影した家に住むことの意味を考えることでカウナスのランドスケープを再考する機会を提供したいと思いました。

3棟のミツバチの家はケーブルカーから眺めることができます。このケーブルカーも戦間期の1931年に建設され、現在も稼働しているモダニズム建築のひとつです。人間がケーブルカーに乗ってミツバチの家を眺めることで、人間とミツバチのつかず離れずの良い関係が築けると考えました。

ゲディミナス・バナイチス氏(Mr. Gediminas Banaitis)をはじめとするMAGENTAチームの皆さんのお陰でこの作品を制作することができました。私がカウナスの重要なモダニズム建築を三つ選定し、それらをミツバチの家として建築図面にしました。その建築図面をもとに木工作家のヴィダス・ヴァルナス氏(Mr. Vidas Varnas)が制作を担ってくれました。展覧会後も3棟のミツバチの家は養蜂家によって管理され、近い将来蜂蜜が採取されることが期待されています。

KAZUHIRO YAJIMA at the festival opening ©︎ Martynas Šiaurė

 

杉原千畝

私は2020年からオーストリアのウィーンで暮らしています。外国に暮らしはじめて遭遇する困難のひとつとしてビザの取得があります。実はオーストリアでの私のビザ延長申請は一年以上経っても未だに審査中という状況にあり、リトアニア渡航にあたり不安がありました。ウィーンでのビザ審査の遅延は私に限った話ではなく、多くのオーストリアに住む在留邦人も同じような状況にあり、昨年、日本大使館が正式にオーストリア移民局に抗議する事態にも発展しましたが、未だ改善されないという状況にあります。このような審査中という状況はオーストリア国内に滞在する限り違法ではありませんが、あくまでオーストリア国内での事情であり国外では通用しない可能性があります。そこでリトアニア入国に関して、リトアニア大使館、リトアニア移民局、リトアニア国境警備隊に問い合わせたところ問題ないことを確認することができました。しかし、リトアニアからオーストリアへの再入国に関して、オーストリア内務省から有効なビザがないため再入国できない可能性があることを警告される事態となりました。そこで内務省から提示されたのは特別な許可をリトアニアのオーストリア大使館で発行してもらうことでした。ただし、この許可は特定の場合においてのみ発行されるものであり、それに私が当てはまるのかわからないという回答でした。そこで、すぐに大使館に連絡しましたが繋がりません。後に判明したことですが、リトアニアのオーストリア大使館は閉鎖され、新しく領事館が開設される移行期に遭遇していたのです。結局、オーストリアに再入国できるか分からないまま、不安な状況での渡航となりました。カウナス到着後にリトアニアを管轄するコペンハーゲンのオーストリア大使館から再入国許可書類発行の連絡があり、ホッと胸を撫でおろすことになりました。まだ看板が取り付けられていないリトアニアのオーストリア領事館に私は最初の客として訪れることになります。領事のトーマスさん自ら私を出迎えてくれ、コーヒーとチョコレートで私を歓待してくれました。そして、トーマスさんは私のカウナスでの作品をインターネットで調べてくれていたようでカウナスでの活動やウィーンでの生活などの話に花が咲きました。

カウナスのスギハラ・ハウスでみた命の危険にさらされ日本へのビザを求めて集まった多くのユダヤ人とは全く異なる状況ですが、自分事として確かな身分保障のない心細さや杉原千畝氏の偉大さを実感した出来事となりました。