Known Unknownな“日常”で

村上 賀子|Photograph by Maarten Boswijk

私は2021年11月に新宿のニコンサロンで「Known Unknown」(ノウンアンノウン)というタイトルの写真展を開催し、そのカタログとなる同タイトル写真集を刊行しました。Known Unknownとは、“知らないということを知っている”という認知の状態を意味します。私はこのテーマで写真プロジェクトを約10年間続けており、今回の展覧会はその集大成といえるものになりました。

この写真プロジェクトにおける撮影の条件は、自宅などで(カメラがないかのように)いつも通りに過ごす様子を撮るというものです。写真に写る女性たちは顔がはっきりと写されておらず、彼女たちの眼が私たちの眼を見返すことはありません。一方で、身ぶりや手ぶり、身につけている衣服、室内に置かれた家具や小物といった細部は鮮明に写されています。女性のいる室内風景というありふれた題材を、“顔が見えない”という点によって新しい文脈に開くことを意図しています。

©村上賀子

一般的に、ポートレート写真は個人の身体的な特徴を精確に捉え、特に優れた作品は被写体の個性を深い精神性とともに表現すると考えられています。しかし、この作品の関心はそういった視覚的な多様性にはありません。彼女たちが率直に自分自身を解釈しようとしたとき、それはどのように写真の中に現れ、写真はその一連の現象をどのように主導し、私たちの生に影響を与えるのかということについて考察しています。

時間をかけて取り組んできたプロジェクトということもあり、そろそろ発表をしたいと考えはじめていたところ、コロナウイルスによるパンデミックが起こりました。毎日同じようにくり返されて行くはずだった日常は嘘のように様変わりし、ステイ・ホームに徹する日々があたりまえになりました。奇しくも、私はこのプロジェクトの初心に立ち返る思いがしました。

このプロジェクトを始めたきっかけは、2011年の東日本大震災にさかのぼります。私の実家は、地震の震源からほど近い仙台市にありました。私は東京で暮らしており、都内で被災しました。東京での生活に深刻な影響はありませんでしたが、自分自身の東北地方との関わりの深さから、絶望的な状況に打ちひしがれる被災地と徐々に日常を取り戻しつつある東京の狭間で、名状しがたい感情を抱いていました。表現者としてまた東北人として、一連の出来事そして自分の感情とどう向き合っていけばよいのか、自分なりの答えを模索する日々が続きました。

当時私が暮らしていた地域では、計画停電が実施されました。建物に囲まれたマンションの1階にあった私の部屋は、日がほとんど当たらず日中でも薄暗く、できることといえば窓辺で毛布にくるまりながら本を読むことくらいでした。そんなふうにして停電をやり過ごしていると、ふと自分のセルフポートレートを撮っておこうという考えが頭に浮かびました。“作品”という意識はなく、自分の身に現実として起きている特異な状況を、記録しておこうと思ったのです。“表現”のしかたはまだわからないけれどこの気持ちを忘れてはいけない、という切実な思いもありました。

震災から一年ほど経過したころ、私はそのセルフポートレートを見返していました。写真の中の逆光を背にほとんど顔がわからない自分の姿は、まぎれもない自分であると同時に、見知らぬ他人のようにも見えました。意識的に自分自身を“見せる”という表現が放棄されていながらも、“個”としての強さと危うさの両面が見出されるような“私”の姿でした。それは、“見る”“見られる”という写真の不文律の外に存在しながらも、写真に写したという点によってのみ存在したイメージだったのです。この発見が、Known Unknownというプロジェクトに発展しました。

©村上賀子

 

ステイ・ホームの日々で、多くの人がかつての“日常”に思いをめぐらせ、物理的にも精神的にも自己と他者の関係や距離について、関心を高めることになったと思います。パンデミックのような圧倒的な一つの社会的出来事を前に、私たちは十人十色のそれぞれ異なった経験をします。そこに共感を覚えあうこともあれば、分断が生まれることもあります。“知る”ことに重きを置き、そこを出発点とする知的活動の中では、“わからなさ”はときに大きな不安とストレスを生むからです。

私たちは、たとえどんなにそれを望んだとしても、すべてを思いのままに知ることはできません。宇宙の誕生や生命の神秘も然り、世界は私たちにとって未知であふれかえっています。だからといって、私たちはそれに頭を抱えて立ち往生したりはしません。ほとんどの場合は、それをそのものとして受け入れながら生きています。しかし、そのバランスに違和感が生まれると、虚をつかれたかのように混乱し、思考停止に陥ることがあります。パンデミックは、コロナウイルス感染症の世界的流行であると同時に、“未知”への心理的な災害です。

ものごとはこのような単純な解釈で片づいたりはしないことが、この世の容易ならざることわりです。しかし、このような思考の流れは、私の写真プロジェクトが2011年からの同時代を強く反映し、分かちがたく結びついていることを強く実感させるものでした。そして、今このタイミングで展覧会を開こうと決意しました。

写真展では、17点の写真プリントと被写体となった女性たちへのインタビューをもとに書いたテキストを一緒に展示しました。コンセプチュアルなテーマの作品ということもあり、来場者の方々から質問をいただいたり、感想を伝えていただいたりと、フィジカル・ディスタンシングが原則の昨今、貴重な対面での交流を多く持つことができました。先行きの見えない中での開催運営となり、多くの皆様にご覧いただけない状況が危惧されましたが、嬉しいことに2週間の会期でおよそ1400名の方々にご来場いただきました。プロジェクト構想からおよそ10年、モデルになってくれた友人はじめ、多くの皆様に暖かいご支援・ご協力をいただきましたことを、この場をお借りしあらためて深くお礼申し上げます。

 

©村上賀子

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*プッシュ型支援プロジェクト#TuneUpforECoC 支援アーティスト*
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