風まかせ

ウエダリクオ|アーティスト

まだコロナの規制が強い2022年2月末、ドイツ、ボンの美術館で開催された現代アートの国際展 “UP IN THE AIR”に参加しました。僕の作品は、風によって描かれた作品15点、そしてインスタレーションの作品が展示されました。

Work 01 – wind drawing Rikuo Ueda

 その頃はまだ日本では、3回目のワクチンが始まっていなくて、外国からの帰国者は、1週間の隔離が必要な状況で、またドイツ入国時も2週間の隔離となっていました。さんざん悩んだあげく、リモート搬入しかないと思い、フライトをキャンセルしました。ところが、展覧会をアレンジしてくれているハンブルグのギャラリーからEU・ジャパンフェスト日本委員会事務局長の古木さんが欧州を活発に駆けずり回っているよと言う連絡が入りました。それを聞いた僕は、即フライトを取り直しました。

 そこからがドタバタ劇の始まりです。ミキコサトウギャラリーの佐藤さんから3回目のワクチン証明があると隔離が免除される事と、欧州規格FFP2のマスクがいるとの連絡が入りました。これらが無いとスーパーマーケット以外はどこも出入りが出来ないとの事でした。

 とにかく電話をかけまくり、出発の2週間前にやっとのことで3回目のワクチン接種を受けたのはいいのですが接種証明発行は、郵送のみの受付で2週間以上かかるとのことでした。右往曲折があり、これもなんとかクリアーすると今度は、ドイツ入国に際し事前にデジタル入国登録が必要となりました。この入力に3日間。この時、スマホとパソコンを使いこなせないと何もできないことをつくづく思い知らされました。デジタルは融通が利かないので僅かな事でもアラートが出て行き詰まります。何とか目処が立ったのは、出発の2日前でした。

Esquisse for Kunst Museum Bonn Rikuo Ueda

 美術館でのインスタレーション制作には、5日間をとっていました。無事ハンブルグに到着しギャラリーで搬入の準備をしたのですが、またもや問題発生です。コレクターが持っている僕の作品を美術館が集荷する手はずになっていたのですが、コレクターが1週間のコロナ隔離になりました。これもなんとか間に合いそうなので、コレクターが準備してくれたファーストクラスの特急でボンへ向かう事になりました。ところが出発当日にドイツ北部を60年ぶりの巨大な嵐が吹き、倒木により電車が走れなくなりました。嵐は数日続くと言うことで美術館からは、いつ来くることが出来るのかと心配の連絡が入りました。なんとか行けそうなルートを探して、2日遅れでボンへ入りました。美術館で打ち合わせをし、ホテルに着くと、ドッとベットに寝転がりました。

 ボン美術館は、洒落たデザインの建物で国立美術館や博物館などが隣接していました。搬入が始まり、壁面は、美術館のスタッフに任せて、インスタレーションを3日間で仕上げました。事前に送っておいた図面で主要な部分を作ってもらったのと、その他の材料を準備しておいてもらったので、予定通りに仕上げることができました。美術館のスタッフが優秀だったので助かりました。僕の作品は、他の作品と毛色が違ったので、美術館にとても喜んでもらえたことが嬉しかったです。欧米とは違う東洋独特の繊細さを感じてもらえたようです。欧米の作品には、政治的なものが多いのですが、僕はそれをできるだけ避けようと心がけています。それにあまりこだわると視野が狭くなると感じているからです。 僕の中にもそういう作品はあるのですが、その時は出来るだけ直接的な表現を避けています。

今回の展覧会は、2021年の予定でしたがコロナの関係で中断しました。美術館スタッフの努力でなんとか開催にこぎつける事が出来、欧州の芸術に対する情熱を感じました。空気をテーマに環境問題等、様々な作品が展示され、大掛かりな作品もあったので、大変だった事と思います。オープニングには、予想以上の人が訪れたので、努力が報われたと思います。

TV interview Rikuo Ueda

 4日目のカンファレンスでは、テレビのインタビューとラジオの取材がありました。館長、キューレーター、スタッフ皆が親切で楽しく作品を作る事ができました。無理をしてでも来て良かったと、つくづく感じました。始まりは古木さんでした。実際に、今回のインスタレーションは、リモート制作では無理な作品です。オープニングの後、美術館のレストランでディナーがあり、作家と美術館スタッフとの交流ができました。全てにおいてサポートしてくれたギャラリーの佐藤さんには感謝しています。

 翌日、ハンブルグへ帰ったのですがここから再度のドタバタ劇が始まります。ボンからハンブルグへ向かう途中、ケルンを経由するのですが、ここで電車から降ろされる羽目になりました。なんと、運転手が暴漢に襲われて床に倒れているとのことでした。警官が多数乗り込んできて捕物劇が始まった次第です。なんとか別の列車をスマホで見つけてハンブルグへ着いたのは夜中でした。翌日は、帰国用のコロナ検査を受けたのですが、メイルで陰性証明が届いたのが夜の10時頃でした。ところが証明書を開くためのパスワードを忘れた為に、これを開くのに1時間かかり、プリントしようとしたところ今度はプリンターが不調でプリントできませんでした。これをなんとかクリアーして帰宅したのは夜中。

 翌日の昼ごろに空港へ行きゲートを通ると、いつもは安心できるのですが、これからがまた大変でした。搭乗口へ行くと3人しかいませんでした。定刻になっても搭乗口に職員がいません。なんのアナウンスもないので日本人を見つけて聞いてみたらスマホの情報でロシアがウクライナへ侵攻したとのこと。ギャラリーの佐藤さんからロシア上空が飛べないのでルフトハンザが引き返したとのことでした。僕の乗るフィンエアーは今の所は、ロシア上空を飛べるとのことでした。結局、フライトは機器の不具合だったらしくて2時間遅れでヘルシンキに着きました。乗継が出来なくなったのでヘルシンキで1泊することになったのですが、フィンエアーもロシア上空を飛べなくなり翌日のフライトをどうするかとなりました。南回りで帰ると乗継の関係で陰性証明の有効期限が微妙になります。情報が錯綜していて、いちど空港から出ると再度新しいコロナ陰性証明がいるとか言われて途方にくれました。しようがないので成り行きに任せると、なんとか成田にたどり着き3日間の隔離後に解放されました。東京から夜行バスに乗りやっとの思いで大阪の自宅にたどり着きました。

大変な旅でしたが今から思えば、楽しかったなあー。

皆様に感謝、感謝です!!

僕は、毎年欧州で作品を発表しだして20年以上になりますが、ほとんどが欧州北部です。EU-Japanとの繋がりができたので欧州南部でも展覧会が出来ればと期待しています。2024年の欧州文化都市バートイシュル(オーストリア)には参加予定なのですが、何故か立消えになっています。