野中耕介氏 インタビュー

野中 耕介|佐賀県立美術館 学芸員

●ストラトス、カリンの作品を見た始めての印象は?

私たちが日常よく目にする「写真」の姿と全然違うものが現われた

ストラトスとカリン、ふたりの写真はコンセプチュアルです。それぞれに独自の様式をそなえ、さらにかれらが「世界をどのように見ているか」の、かれらな りの答えが込められている。佐賀にはかれらのようなタイプの写真はほとんど見られないんですよ。私たちがここ佐賀で見ている写真とは、何もかもが違う印象 でした。それは私にとってとても刺激的でしたし、お客さんにとってはなおさらそうだと思うんですね。

全体的にいえることなのですが、佐賀の美術作家は考え方がややクラシカル、オールドファッションなところがあり、また、仕方のないことでもあるのです が、色々な制約にしばられてものをつくらざるを得ない状況にあります。地方的な制約、例えば公募展覧会が主な出品の場となると、作品の大きさや点数がおの ずと限られてくるんです。全紙サイズの大きさに引き伸ばしてマット装をして、と、写真の見せ方も限定されてしまう。でもカリンとストラトスは全然違ってい て、見せ方に自分の意志が自由に反映できている。私たちが日常よく目にしている写真の姿と全然違うものが現われたのが、とてもいいなと感じました。

県内で身近に見る写真は、何かのフェスティバルのワンシーン等、記録撮影風のものや、自然主義というか、風光明媚を美しくフレームに収める、というよう な内容のものがやはり多いんです。それはそれで素晴らしいとは思いますが、しかしそれだけではなく、もっと「造形」とは何か、「写真」とは何か、「ものを 見ること」とはどんなことか・・・等、表現の根源に立ち向かったような作品が出てこないものかと思っていました。果敢に「美の限界」を広げていくような、 表現にかんする問題提起をしてくれるような作品はないものかと、いつも考えていた。ストラトスとカリンの作品は、確かにその点まで一歩踏み込んで考え、撮 られている。「写真」という造形、表現とはこういうことだという、彼らの表現者としての意思みたいなものが伝わってくる。ああ、私はこういう作品が見た かったのだと思いましたね。

あえて違和感のある作品をつくり、見せる。見る人の中にはそういう挑戦的な作風に対して反発する人もいるんですね。「これは違う」「写真ではない」「美 しくない」と。しかし、その「美しいと思う心」を疑うことが、美の限界を広げていく端緒になるのだと思うのです。

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作品選考会にて(2006年3月、アテネ)
左より、ストラトス・カラファティス、カリン・ボルヒハウツ
そして福島県を撮影したエレニ・マリグラ

●作家とともに展覧会を作っていく過程で得たこと、感動的だったことは何ですか?

アート、そしてものをつくるということは、国境や年齢を越えて共通の言語になりうる

何に一番感動したかというと、やはり作家の「ことば」です。型どおりの答えや立派な文言でなくていいんですよ。作家は誰でも、自身だけが見つめているも の、表わしたいものがあるんです。それぞれの作家だけが語れることばがある。それを直に聞けるというのは実に感動的で、刺激的です。なぜこういう作品が生 まれてくるのか、こういう表現になったのか・・・等、作家のことばはやはり、すべて驚きに満ちていました。これは佐賀の作家、久我さんや佐賀写真協会の 方々、欧州の作家全員にいえることです。

そして、作家と一緒に展覧会のプランを考えていけるのはとても楽しい体験でした。作品を前にしてことばを交わしていくと、お互いに感情が高揚して、場に あふれんばかりの熱気が生まれます。それが皆の活力のもとになる。ものを作る、ものが生まれる瞬間のエネルギーを共有できたかもしれない、という思いがし ました。お互い「明日も仕事がしたい!」という気持ちになる。今回の展覧会がきっかけで、自分自身、未来においても何かいい仕事ができるんじゃないかとい う気持ちになりましたね。そして、アート、ものをつくるということは、国境や年齢を越えて共通の言語になり得るんだと改めて実感しました。そのすばらしさ がお客様にも伝わればなと思います。

そして、カリンやストラトスに会ったことで、久我秀樹さんや佐賀写真協会の方々、身近な存在であるかれら県内の作家のことを、私は実はまったく理解して いなかったのではないか、と気づきました。今回かれらの作品も見せていただいて、お話もできましたが、そのことは自分にとってずいぶん勉強になりました。

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ギャラリートークにて、自作を解説するカリン・ボルヒハウツ。

●展覧会をつくっていく過程で苦労した点はなんですか?

作家が持つ違いというのをお互いが認めて、そこから何をお互いに引き出せるか

佐賀県立美術館は古美術や文化財を中心に紹介する館で、現代美術、コンテンポラリー・アートの展覧会はこれまで、ほとんどおこなわれていませんでした。 ですから現存作家とともに展覧会をつくりあげるということに、まったく不慣れだった。今回のプロジェクトは個人的にも、また学芸課全体としても戸惑うこと が多かったですね。正直にいって、現存作家とのやりとりは簡単なものではありませんでした。

今回、欧州の生きのいい現代写真家とその作品の紹介ということで、同時開催の「佐賀の現在」展に出品される写真家の方々(佐賀写真協会会員9人)には、 最初の段階では、よりコンセプチュアルな、現代的視点を強調した内容の作品の出品をお願いしたんです。「皆さんにはぜひこれまでとは違う何かを撮って欲し い」と。全体として「現代写真とは何か」「現代とは何か」を問うような展覧会にしたかったのです。

しかしそれがもとで揉め事が起こった。打ち合わせの席で写真協会の方々に「お前のいう写真など私たちには撮れない」と暗にほのめかされたんですよ。一時 は皆さん全員がこの企画から降りるかもしれない、という危機にまで発展しました。でも冷静に考えてみれば、かれらのいうことはもっともで、頭からかれらを 理解しようとしなかった私の思い上がりだったんですね。内容はともかく、どんな写真家にもそれぞれ日頃から見つめているもの、撮りたいものがある。そし て、ずっと見つめ続けてきた(いる)ものがある。それをないがしろにしては、このプロジェクトに成功はないと、はたと気がつきました。

ややもすると佐賀の人は「世界」とか「東京」ということばに弱いところがあります。例えば佐賀県の美術史を遡って調べてみると、東京=すべての文化の発 信地であり、それに追従するかたちで発展をとげているという構図があるんですよね。笑い話のようですが、佐賀の作家には、東京から来た人に対してどこか身 構えたり、コンプレックスめいたものが今も少なからずあるんです。とにかくまずはそういうものをとりのぞくような何かが必要だと思いました。「新しい視線 の写真」、「現代を問う作品」を求めるばかりに、私は佐賀の写真家たちの意思を捻じ曲げ、横並びにさせようとしてしまった。もちろんきっぱり拒絶されまし たが、それは展覧会全体のためにも、そして自分のためにもよかったと思います。

私自身がもう一度、このプロジェクトの精神というか、そこに立ち返ってみる必要がありました。「各国のそれぞれの作家が持つ違いをお互いが認めて、そこ から何をお互いに引き出せるか」。「世界」や「東京」に一番コンプレックスをもっていたのは、実は私だったんですよね。

とにかく、作家とは対話の時間を十分にとるべきだと思いました。「あなたが選ばれたから、この費用でこの日までに作品をお願いします」というだけでは絶 対にだめで、極端な話、作品はさておいても、まずはあらゆる事柄について、作家との対話の時間が大切なんです。作家のことばを聞き、こちらの考えを伝え る。そこからすべてが始まり、生まれてくる。それが作家たちを尊重して仕事をするということだと気づきました。

もうひとつ大切なのは、「明日への活力」なんですよね。この機会を通して、明日またみんなが新しい気持ちで創作に向かえるというのが、このプロジェクトのもうひとつの理想、目的のひとつであると思いました。

 

●今までにお話をうかがって、地元の写真家のみなさんとのこれまでの取り組みについては、よくわかりました。一方で、写真を普段とらない方、一般の市民の方に対しては展覧会が始まって今後どういうアプローチをされていきますか?

この展覧会をみんなで何かを考える場所にしていきたい

欧州の写真家の作品を見られたお客様は、きっと面食らうだろうと思います。「変わった写真だ」と、まず何かしらの違和感を覚えることでしょう。もしかす ると「こんなのは佐賀ではない。これだったら誰でも撮れる」という意見も出てくるかもしれません。しかし実際はそうではなく、ものの見方と表現の違いにと まどいを覚えているだけなのではないか・・・。やはり何より、お客様のそうした気持ちにアプローチしていくことが大切かなと思います。「わからない」とい う意見があれば、「そうですか。ぼくはこう思います」とか、「こう見ると面白い」とか、新しい見方や発想をうながすような声のかけ方をぜひしたいです。

この展覧会が皆で何かを考える場所になればいいですね。作品におおいに感動した人も、逆に反発を覚えた人も、皆で「写真」についてとか、あるいは日常や 自分についてとか、何かを考えることのできる場所にしたい。だからギャラリートークをいっそう積極的におこなうつもりです。  また、久我さんをはじめ、 地元の写真家の皆さんにも何かお話していただくとか、そういうこともお願いしたいですね。

作品についてことばで「実証」すること-つまり、自らの作品について語ることは意味のないことだと考える作家もいると思います。「ことばにできないから 作品をつくるのだ」と。もちろん理解はできます。だけど私の中に、はたしてそれに甘んじていていいのかという思いもあるんです。作家自身が作品をことばで 「実証」していく、等身大の、自分の言葉で語っていくこと。それはとても価値のあることだと思うし、実は、お客様もそれを期待して待っているふしがある。 作家が望めば、ぜひそういう機会を増やしたいですね。

学校によびかけ、より多くのこどもたちに写真を見てほしい

子どもたちにより積極的に、展覧会のピーアールをしていきたいです。私学文化課の方もなさっていますが、美術館からも各学校に展覧会に来ていただくよう に声をかけていきます。さらに、佐賀大学文化教育学部・美術工芸科でファインアートを学ぶ学生にも声をかけました。

子どもたちはああいう(表現・様式に現代的な文脈を持つ)作品に、実はとても興味があるんです。大人が想像するより、子どもたちのアンテナは広く敏感に 物事を感じ取ります。他の美術とくらべて写真展は県内での開催の機会が少ないので、写真展というものを初めて見る子どもも多いかもしれない。だからこそ、 学校への呼びかけは大事だと思っています。

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学校の活動の一環として、多くの小学生が写真展に足を運んだ。

●撮影の段階から作家と出会い、選考会にもオブザーバーとして立ち会った野中さんですが、今回のプロジェクトで経験した一連のことを学芸員として今後どのように生かしていきたいですか?

地域の人の現代アートへの関心の高まりに応えたい

佐賀は陶芸が有名ですが、アートのあらゆるジャンルにおいて、創作や発表がさかんです。県内には、佐賀美術協会が主催する公募展「佐賀美術協会展」と、 佐賀県が主催する「県展」のふたつの大きな発表の場所があります。そのほかにも各美術団体も発表をおこなっています。美術を学びたい、触れたい、知りたい というニーズがとても高いのです。もちろん、コンテンポラリー・アートについても例外ではありません。

今回のプロジェクトは私にとって「毎日が学校」みたいなものでした。見たもの、体験したことすべてが勉強になりました。現在を生きる、現在進行形の作家 たちのことばを聞いて、かれらの創作のスタンス、考え方を知って、展覧会を組み立てていくことは本当にすばらしい体験でした。今後、当館でもより積極的に 写真をはじめ、コンテンポラリー・アートを紹介できる機会が訪れると思います。そういう時に、今回の経験はものをいうはずです。

佐賀県内には「美術館」と名がついた公立の施設はここだけしかない。だからお客さんは古いものも、新しいものもここで見られると思ってやって来られま す。これまでの佐賀県立美術館は現代美術を見たいというお客様の声に十分に対応できなかった。しかし今後は、今回の経験を生かして何とかそのニーズに応え てきたいと思いますし、私自身、いくばくかの自信もつきました。現代美術には昨日までの自分を変える、斬新でダイナミックな魅力がある。このことをお客さ んたちにぜひ伝えたい。また、作家の発掘、育成にも積極的になりたいですね。

今回の展覧会の反響はとても大きいと思います。展示室をのぞくと、普段見たことのないお客様が来ているのです。このプロジェクトの展覧会を聞きつけて美術館に足を運んでくださったのだと思います。感触のよさを感じています。

 

●展覧会以降、このプロジェクトに関連した新しい企画や試みをお考えでしたら聞かせてください。

写真展をより身近なものにしたい

写真を美術館で見るという機会が、今回をきっかけにもっと増え、さらに定着させることができたらと思います。写真を扱った展覧会は県内にまだまだ少な い。絵画や彫刻などにくらべると、写真は芸術性が薄いと思っていらっしゃる方もいます。しかし実際にはまったくそうではなく、写真には写真の、たとえるも ののない独自の芸術性と魅力がある。そのことはきちんと伝えなければと思います。

また、久我さんと佐賀写真協会の方々が、さっそく何か新しい企画を考えておられるようです。こちらとしてもぜひご協力できたらと思っています。