街の音をたどる旅

山田 英晶|空間現代

音楽は言葉の壁を越える。海外でのライブ演奏中にあがる観客の歓声や終演後の観客との交流でそれは何度も痛感してきた。しかし国や言語が異なる音楽家同士はどうなのか?実感したことはない。空間現代の通算3度目の欧州ツアーには、その疑問に立ち向かう新たな挑戦が盛り込まれていた。全く想像のつかない街であるポーランドのヴロツワフでいきなり5日間の滞在制作が予定されていたのである。この拙稿ではそのヴロツワフ滞在での出来事や感じたことを記していきたいと思うが、そこに至るまでの説明を少し。

今年は日本-ポーランドの国交樹立100周年ということで、日本ポーランド両国で様々な文化交流事業が開催されているが、空間現代はヴロツワフで10年以上続くAvant Art Festival(以下AAF)への出演、そしてヴロツワフ在住のアーティストと2回の滞在共同制作・発表を行うことになった。最初の滞在制作とライブ演奏は5月に空間現代が拠点を置く京都で。そして今回はヴロツワフでの5日間で滞在制作とライブ、そしてツアーの中でワルシャワとクラクフでもライブの機会を得た。共同制作を行うアーティストはAAFからの推薦により、ヴロツワフで活動しているHubert Kostkiewiczという名前の発音が非常に難しいギタリストに決まった。Hubertとは5月に京都で初めて出会い、一週間の共同制作の中で親交を深め、今回彼が暮らすヴロツワフで再会した。前置きはこのくらいにして、ここからはヴロツワフでの出来事や感じたことを書いていきたい。

到着翌日に早速1発目のライブ。時差ボケもあり、到着してからあっという間にライブ本番が訪れたという感覚だった。会場のImpartは国立博物館や政府庁舎のある閑静なエリアにある、街で最も古い文化施設の1つと紹介されている。施設内には600席の大ホールと200席の小ホールがあり、今回は小ホールでの演奏。前衛音楽がメインのフェスティバルでこれほど立派な施設を使う例は日本では本当に少ないので、席が埋まるのか疑心暗鬼だったが、日が暮れて開場すると様々な年齢層の客がわらわらと訪れ、開演時間にはほとんどの席が埋まっていた。10年以上続くフェスティバルというのもあるかもしれない、継続は力なり。全て着席での鑑賞というのもあってか、観客は静かに音楽に聞き入っており、演奏終了時の拍手も含めて日本での反応とさほど変わらない印象。しかし終演後にバーやロビーで多くの知らない観客に声を掛けられる。興奮している様子がダイレクトに伝わってきて、やはり日本とは違うなと感じた。

ライブ翌日からのHubertとの滞在制作は、彼が普段使用しているスタジオで行われた。集合住宅の中を通り抜けて大きな門をくぐったところに、自転車屋やボクシングジムなどがある小さな集落のような場所が出現し、その一角がCRKと呼ばれるスタジオとライブスペースのある建物となっている。15年以上前に、市が所有する廃墟寸前の建物を改装したという。立地としても安く、街中では感じられない穏やかな空気が流れている。制作を開始する前に集落共用の中庭で改装当時の話を聞く。ポーランドが現在の国家体制になり、政策による様々な排除や貧困、助け合いがあったこと、その中で自分たちが好きな音楽を鳴らす場所を作り、そこに多くの人が集まっていたこと。場所や姿勢に共感した有名アーティストがライブをしたり壁画を描いたこと。話の内容は非常にハードだが、彼の語り口に悲壮感は感じられない。むしろそんな時代でも自分たちのやり方で居場所を持っていた誇りのようなものを感じた。話を聞きながらヴロツワフへの強い愛着のようなものが芽生えていったような気がする。

少し話が逸れるが、街への愛着が最も湧いた時のことも書いておきたい。制作の合間、Hubertにお願いして街の中心部にあるMilk Barに連れていってもらった。Milk Barは政府が支援している大衆食堂の呼称で、共産主義時代に大衆に低価格で乳製品を基にした食事を提供したことが名前の由来とのこと。店内にはポーランド語の表記しかないためHubertを介して注文する。スープや肉、ポテト、サラダ、パンケーキなど、フルコースが日本円にして約300円。。その量と美味しさは本当に衝撃的だった。Hubert曰く、ヴロツワフのMilk Barはレベルが高いらしく、他の地域では不味いものを出す店も少なくないとか。ここは最高の街であると確信した。

滞在制作の話に戻る。そのような街や現地に住む人の生活を実感しながら音楽制作に取り組めたことは今回の滞在制作の中でかなり重要な点だったと思う。制作の内容はと言うと、即興演奏だけではつまらないという共通認識のもと様々なアイデアを出し合い新たなフレーズ、展開を考えていく。完成度の高い楽曲は一朝一夕でできるものではなく、その後のワルシャワとクラクフのライブでも全てを披露することは叶わなかったが、今後もヴロツワフと京都で互いに制作を続け、録音データを送り合いながら共作の音源を完成させるという目標を立てた。発表の形態はまだ未定だが、面白い音源を作れるという手応えを得られたのはヴロツワフでの滞在制作の最大の収穫だと思う。互いの生活環境、街の歴史や現状の認識と理解を深められたことで、言葉の壁を越えるだけでなく、今まで聴いたことのない新しい音楽を生み出せるチャンスを得られたと思う。もしその新しい音楽を作品として世に出せた時に、我々は真の意味での国際文化交流を果たせたと言えるだろう。

最後に今回の滞在制作と欧州ツアーの実現に尽力してくれたAAFのKostasとKatarzyna、そして常にヴロツワフで我々の全ての面倒を見ながらも全力で共同制作に取り組んでくれた親友Hubertに最大のジェンクイエバルゾ(ありがとう)を。