直径10㎝が映し出す世界

矢嶋一裕|建築家

旅と鏡

 ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』(1871年)は、主人公のアリスが鏡を通り抜けて幻想的な世界を旅する物語です。鏡の中を旅するには、鏡の周りでも後ろでもなく、鏡を通り抜けなければなりません。しかし鏡を通り抜けようと鏡の前に立つとき、その鏡には私自身が映し出されます。そう、鏡を通り抜けるにはまず私自身の内面に入る必要があることを忘れてはいけないのです。

Pafos2017

 このプロジェクトは私とヴィオレッタ・イヴァノヴァさんとの協働プロジェクトです。我々は欧州文化首都パフォス2017におけるプロジェクト“arTwins in Open Spaces” で出会い、それ以来、お互いの友情関係を深めてきました。 “arTwins in Open Spaces”は、二人一組で作品制作を行うというユニークなプロジェクトで世界中から10名5組のアーティストが参加しました。パフォスでは、私とヴィオレッタさんは別のパートナーと作品制作を行いましたが、時を経て、今回は彼女と協働制作を行うことになったというわけです。今回の我々の作品制作にもパフォス2017のテーマ“Linking Continents, Bridging Cultures”が存在していたように思います。パフォス2017のテーマとその経験は現在の我々のなかにも継続して息づいているのです。

 現在、私はオーストリアのウィーンを拠点に活動を行っています。当初の計画では、2020年3月末から文化庁の新進芸術家海外研修制度を利用して日本からウィーンへ渡航する予定でしたが、新型コロナウィルスの流行に伴う飛行機の欠航とその後の渡航制限により延期になり、ウィーンにようやく渡航できたのは半年後の2020年9月末のことでした。しかし渡航できたものの、11月からオーストリアでは半年以上ロックダウン措置が続き、予定していた活動が行えない状況となってしまいました。そのような状況下において同じオーストリアのリンツに住むヴィオレッタさんと話すことは、コロナ禍を共有して励まし合うひと時であるのと同時に、現在の我々が遭遇している状況を冷静に捉えなおす貴重な機会であったように思います。
 ヴィオレッタさんとの会話では、我々が置かれた移動を制限される状況を反映して、自然と旅についての話題へと発展していったように思います。現在、多くのアーティストが旅を通して作品制作と関わっています。どこかを訪れ、その場所に根付いた文化を観察すること、その場所に関わる人々と交わること、そのように旅を通して場所と人を探索することは、アーティストにとって多くの意味と価値をもっています。もちろんSNSなどのデジタル空間がもたらす可能性は、多くの人にとって新たなインスピレーションの源になっていますが、インターネット上の仮想の旅に限界があることも事実です。
 そこで我々が旅をできない代わりに、モノが旅をすることで、現在の状況を異化できないか考えました。鏡は、我々の世界を映し出すのと同時にそれを歪めます。また鏡は、別の世界への入り口を示唆しているとも考えられます。あるいは鏡に映った自分をみつめることで内省するための道具として機能することもあるでしょう。そのように我々にとって様々な意味をもつ鏡が旅することで、我々が直面する状況に異化作用をもたらすのではないかと考えたのです。

 鏡は世界中の人々に郵送されます。鏡を受け取った人は、自分自身やコミュニティにとって大切な場所や物語、考えなどを鏡に映し、それをスマートフォンで撮影します。それら3枚の写真と撮影背景となったアイディアとともに我々に送ってもらい、それらをホームページインスタグラムで公開します。それにより鏡を通して映し出された彼ら/彼女らの世界を我々と共有することができるのです。『鏡の国のアリス』は、主人公のアリスが鏡を通り抜けて異世界に迷い込み様々な経験をする物語ですが、このプロジェクトでは我々が旅をできない代わりに鏡が旅をすることで様々な経験をするのです。

 鏡の送付先は私とヴィオレッタの友人を起点とした個人的な繋がりではじまりますが、鏡は友人を介してさらにその友人に送られ、そしてさらにその友人に送られ、というオープン・エンドな広がりとなっていきます。それにより、我々(ひいては観客やすべての参加者)の知らない場所や状況をともに発見し共有することで、異なる視点から様々な事象をみる機会を与えてくれます。このように芸術的、文化的文脈に留まらず、幅広いトピックに焦点を当てる機会を提供することで、社会実験の可能性をもつプロジェクトとなります。

 鏡を送付するにあたり、世界中の友人たちにプロジェクトの主旨を伝え協力を打診しました。多くの友人が協力を約束してくれる一方で、協力できないという友人もいました。その理由は、彼女の住む国では新型コロナウィルスの流行をきっかけに社会が二分されたため、新型コロナウィルスと少しでも関わりのあるプロジェクトには協力したくないというものでした。たしかに外国からもたらされるウィルスに対して「内と外」の区別を強調する考え方やワクチン接種推進派と反対派に象徴される社会的分断は、現在においても進行しているように思います。このプロジェクトによって彼女を悩ますそのような社会的問題は解決できないでしょう。むしろこのプロジェクトが目指すのは、そのようなコロナ禍によってもたらされる多くの不都合へと向けられる表面的で一元的な見方とは異なるベクトルへと向かう契機を我々に提供することにあるように思います。友人から友人へと郵送される鏡による小さな連帯は表面を超えて異なる文脈へと接続するためのきっかけとなるのです。

 あなたのところにも直径10cmの小さな鏡が届くかもしれません。これからも“Mirrored Journey”は続いていきます。