“日本/現代写真”を考える シンポジウム”Positions in Japanese Photography” 報告

藤本 徹|現代美術展"PresentA(プレゼンタ)" キュレーター

2003年のこの秋、グラーツに拠点を置く写真芸術財団「カメラオーストリア」は、写真プロジェクト「KEEP IN TOUCH: Positions in Japanese Photography」を企画開催した。ここでは、メインとなる日本の現代写真に焦点を当てた写真展のほか、関連する3つのシンポジウムが開催された。

それらはいずれも、現在活躍している日本の若手写真家たちにスポットを当てており、パネリストは主に日本で活動する写真家や写真を専門分野とするキュレーター、批評家などにより構成された。

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クンストハウス・グラーツ

展示会場であるクンストハウス・グラーツは、完成してまだ間もない建物で、伝統的な石造りの建築物が並ぶグラーツ市街の中心部において、一際目を引く存在となっている。

そのハイパーバロック的な外観を呈するビルのなか、たとえば在日米軍の兵士を撮った石川真生の写真と、アジアを旅する日本の若者を撮った小林紀晴の写真が向かい合わせで展示される。あるいは鈴木理策による静謐な風景作品の隣に、散らかった自らの部屋で裸になってはしゃぐ女の子を写した都築響一の作品が並ぶ。そしてそれらを家族連れや老夫婦や若いカップルといったグラーツの観客たちが、気の向くままに眺めていく。なんだか面白いことになっているなという気がする。

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KEEP IN TOUCH: Positions in Japanese Photography展

3つのシンポジウムでは、作品を出展している彼ら9人の日本の若手写真家たちに見られる共通性や、他の地域/世代との関係 性に話題は自ずと収斂していった。締めとなる最後のシンポジウムにおいてはセッションの後半で、全シンポジウムのパネリストに来墺中の出展作家を加えた討 議が交わされるに至った。さらには壇上の彼らと、来場していた現地の写真関係者たちとのディスカッションにより、欧米の写真動向と比較した際に生じる彼ら 日本人若手写真家たちの特異点も次第に浮き彫りになっていき、シンポジウムは熱のこもったものとなった。
この3つのシンポジウムを経る過程で、日本の現代写真を巡っていくつかの興味深いキーワードが提出された。なかでも伊藤俊治による“縁”と、上野俊哉によ る“コンタクト・ゾーン”という2つの言葉は、あとに続くディスカッションのなかでも盛んに取り上げられ、3つのシンポジウム全体の鍵ともいうべき概念と なった観がある。
伊藤俊治は、彼ら9人の日本の若手写真家が一見何の共通性も持たないようでありながら、その実そのいずれもが東松照明や森山大道、中平卓馬、荒木経惟と いった前世代の写真家たちから何らかの形で影響を受けていることを指摘し、そこにある共通性を見出していくためのヒントを、“縁”というキーワードに求め ようとした。

社会を織り成す基底にあるはずのタテ糸とヨコ糸の存在は、その社会のフチを見ることで明らかになると彼は言う。この場合の“縁”とは従って、必ずしも中心 と周縁におけるフチではなく、フチはすべての場所に潜在的に存在する。そして写真家とは己の認識を身体化することで世界を作り上げていく存在であり、彼ら 写真家の行為によって、潜在的な存在としてのフチはあらゆる場所で明るみに出されうるとする。
その一方で上野俊哉は、ポストコロニアリズムのコンテクストから“コンタクト・ゾーン”という概念を導き出し、表現されたイメージや、表現主体である人 間、あらゆる情報が行き交う“場”としての写真作品がもつ今日的機能と意義に言及し、日本という土壌が育んできたアーキペラゴ(多島海)的特性に引き付け ることにより、彼ら9人の写真家たちの作品の内側に、現代日本の写真表現におけるさらなる可能性を探れるはずだと強調した。
なぜ出展作家の構成が、傍目にはバラバラに見えかねないこの9人なのかという会場からの問いに対しては、本展キュレーターの一人であり、また3つのシンポジウムを通じて進行役を果たしたクリスティーネ・フリシンゲリが、この“場”としての“コンタクト・ゾーン”という言葉を受ける形で応答した。

フリシンゲリは、日本の写真を巡る国内事情に縁遠い外国人の目で選ぶことにより、日本国内においてであれば作品個々にまとわり付くであろう、様々な立場で 生み出される写真表現を制約させかねないクリシェを寸断できたのではないか、そうすることで、このプロジェクトが新たな関係性の糸口を発見しうる“場”と なるのではないかと語り、それこそが展示とシンポジウムから成る今回のプロジェクトのありうるべき成果の一つだと述べた。

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シンポジウム会場内

またこれらのシンポジウムにおいては、出展した写真家のうち石川真生と都築響一の両名がパネリストとして参加したが、写真撮影という表現行為を巡る彼ら2人による掛け合いは非常に興味深いものだった。なかでも都築響一が、オーディエンスの一人から写真に向かう両者の姿勢について具体的な違いを尋ねられ、「これだけポジションの相違が明確だとかえって何も言うことがない」と述べて会場を和やかな笑いに包んだことは色濃く印象に残っている。というのも、実際にこの両者の作品の間に見られるような距離こそが、観念としては近代に特有の大陸的中心主義的規範を受け入れながらも、身体としては依然島嶼的線的な志向性を保ち続け、欧米由来のイデオロギーのもたらす閉鎖性からは無縁であり続けた日本という“場”がもたらした揺らぎそのものであるということは、もはや否みようがなく思われるからだ。
1946年生まれの木幡和枝は、パネリストとして彼女個人に割り当てられた時間を、日本における戦後の思潮や芸術表現の展開を話の軸としながらも、幼い頃に出会った米軍駐留兵士の記憶を皮切りとする彼女自身のライフヒストリーに重ねる形で語り通した。こうすることにより木幡は、これまで大文字でのみ語られがちであった思潮や表現の変遷を見事に逆照射して見せたが、実際今日において作品を観る側に求められているのは、そこにありうる思想的背景や内部構造の一貫性なり特異性なりを見出して悦に入るのではなく、それらの備える多様性を多様なままに受け入れて、己個人の観点において咀嚼していく姿勢だろう。

冷戦崩壊後の1990年代以降、イデオロギーやイズムによる芸術表現への縛りが日々無効化してゆくなかで、芸術表現の在り方は作り手なら作り手、受け手なら受け手の身体性、日常性により即した方向へと転進しつつあるかに見える。鑑賞者の立場から言うならば、作品を受け入れることが、そのまま表現の主体を呑み込むほどの覚悟を要求されるかのようなその在り様は、口で言うほどに容易いことでは決してない。だがそれゆえに、汲み尽くせない何かを常に湛えてやまない、彼ら写真家たちの作品を観る喜びもまた増していくはずである。

総じて写真展とシンポジウムからなるこのプロジェクトは、フジヤマ・ゲイシャや、マンガ・アニメといったステレオタイプな日本のイメージに集約不可能な今日の日本を、その捉え切れなさをそのままに提出することで、より如実に表出しえていたように感じている。それはとても稀有な達成のようにも思えるが、まさにそれこそが今日の社会においてこの種の複数作家展が果たしうる、重要な役割の一つなのではないだろうか。
展覧会を観、シンポジウムに参加して、私はそのようなことを考えた。