揺らぐ写像、越境する視座  -日欧写真学芸員交流プログラムの報告

清水 有|せんだいメディアテーク美術担当 学芸員

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欧州文化首都リール2004

まるでカラフルなレゴブロックを整然と配列し積み上げた様な家々を抜け、車は今夜の宿であるアメリカ系ホテルの玄関へと滑り込んだ。まだ夜の8時だというのに外気温はとっくに零度を下回っているのだろうか。窓にはりついた水滴は凍っている。  フランス最北端ノール地方の中心地リールは、パリ-ロンドン-ブリュッセルを結ぶ「ゴールデン・トライアングル」のほぼ中心として栄え、フランドル地方伝統の旧市街と近未来的な新市街の2つの横顔を持つ。新旧ふたつの対照的な光景が隣接するという今世紀の都市の特徴はこの街でもあちこちに見受けられる。例えばユーロスターが乗り入れるモダンな建築のユーロップ駅と1860年代の伝統の様式フランドル駅という2つの対照的な国鉄の駅がその代表である

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欧州文化首都リール2004
草間彌生作品と奥にみえるリールユーロップ駅

 このリールでは2004年の欧州文化首都として、1年間にわたる様々な文化的イベントが2003年の12月から開幕し た。開幕式には50万人もの市民が押し寄せたという。その第1ターム(12月6日~2月22日)までは、最先端の技術を駆使したアートとテクノロジーの融 合する、日本人アーティストが多数参加することなどでも話題を呼んだテーマ展示「シネマ・デュ・フチュール(映像の先駆者たち/CINEMAS DU FUTUR)」である。

 

『LOVERS』

 実はこの展示の中に2001年のせんだいメディアテークの開館記念イベント以来、3年ぶりに公開される故古橋悌二氏の『LOVERS』 が展示されている。メディアテークの受託作品でもある『LOVERS』が起動している姿を何としても確認したく、出発の一週間前からこの展覧会のディレク ター、リシャール・カステリ氏にコンタクトをとり続け、大変な多忙な中をご本人にその会場を文字通り駆け抜ける様にご案内頂いた。彼は大変忙しい方なの で、会場で『LOVERS』をはじめとする日本の作家の作品が普通のヨーロッパ人の眼にどのように映るのか、監視担当の若者達に聞いてみた。彼らは口々に 「多くの日本人作家が大好き。」「和製アニメーションや工業製品のデザイン、ITテクノロジーなどこれまでに受けた日本の文化の影響は計り知れない」とい う。また、「それらの結晶とも言える作品は、来場者にも新鮮な感動を与え、生命ある人格のように理解されているようだ。」と語ってくれた。きっと元来の アート性を基盤としながらも高度なテクノロジーと洗練されたデザインを感じさせる「日本」の作品群はリールのような都市の若者には無条件に歓迎されている のだろう。この意味においてカステリ氏の企画は成功しているのかもしれない。

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『LOVERS』 古橋悌二

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揺らぐ写像

さて、滞欧の一番の目的はヨーロッパで活躍されている写真家との交流である。彼らが撮影した和歌山、奈良、仙台等の作品 をこの企画のディレクターである菊田氏、開催地である和歌山近美の奥村氏や仙台の私たち日本側とヨーロッパ作家側が交流を通して展覧会に当たっての作品選 定やアドバイスを通して企画を練るというねらいがある。
 まず、ユギュ・フォンテーヌ氏(フランス)の今回の作品は「ヨーロッパ人の見た日本」というタイトルには文字通り最も適した写真家と言えるのだろう。彼 のPC画面で作品のプレゼンしていただいた時、彼の内にある日本への憧憬を感じた。むろん撮影地の「奈良」がより日本の伝統の息づく場所だったことも彼に インスピレーションを与えているかもしれない。しかしまた、日本の映画や文学に対しての彼の造詣の深さも影響しているだろう。
彼の作品はともすれば見えにくくなりがちな今回のテーマを再認識させ、伝統の日本の再発見につながるだろう。

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Hugues Fontaine『Nara Pavillon Nigatsudo』

2人目の、ベルト・テウニッセン氏(オランダ)の撮影場所は仙台市、奈良県、和歌山県と4人の中でも最も多く、現在の日 本の家庭(室内)を数多く映し出している。彼の力強い洞察力、未知への好奇心を通して切り取られた日本の家と家族には我々が普段見逃していた日常の中で予期しない発見と感動に満ちているだろう。

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Bert Teunissen
 さて、今回の4人の作家の中では最年少であるマチュゥ・ベルナール=レイモン氏(フランス)の作品にはまんまと欺 かれてしまった。彼は撮影した写真をPCの中で加工、画像を再構築する。世界中の「どこにでもありそうな場所」は「どこにもない場所」となり、写像は揺ら ぐ。マチュゥ氏の写真は、「写真は真実を映し出す」という言葉を「虚構を作り出す」という言葉へと置き換えていく興味深い作品である。

 最後に残念ながら4人の中では最年長であるイタリアのミンモ・ヨーディチェ氏にはお会いすることは叶わなかったが、菊田氏と奥村氏が選定にあたった。仙台での彼の作品との邂逅が待ち遠しい。

 また、今回はミーティングの合間の空き時間に、様々な施設を見学することが出来た。フランスを 代表する建築家ジャン・ヌーベル氏が設計したパリのカルティエ財団本部への訪問、故岡本太郎氏が滞欧中に何度も通ったといわれるミュゼ・ド・ロム(人類学 博物館)、オランダ、ロッテルダムのボイマンス美術館、オランダ国立写真美術館のフリッツ氏との出会い、前述の故古橋悌二氏が在籍した芸術集団「ダムタイ プ」のヨーロッパ公演「Voyages ヴォヤージュ」の鑑賞など、思い出せば毎日が押し寄せる新しい知識、刺激的な事件と興奮、感動の波にもまれる連続 でもあった。

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ミュゼ・ド・ロム(人類学博物館)
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カルティエ財団本部

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越境する視座

 こうして早足に駆け抜けたほぼ1週間の滞欧感は、以前、私が90年代初頭にまわった滞欧感とは極めて異なったものだっ た。今回準備した2週間用のスーツケースの荷は旅行中、全く増えもせずどの空港でも重量オーバーは無し。かつては、ロンドン、パリ、ローマ、どこの美術館 のカタログ、パンフレットも競って買い求め、とうとう鞄には入りきらなかった書籍の山を国際郵便で大量に日本に送った経験がある。それが当時のツーリスム の醍醐味、楽しさであったことは否定できないが、言い換えれば物信主義の偽りの虚構(バブル)の時代だったのかもしれない。
今回の欧州旅行は、より日常的な時間の中で旅を終えた。それは私個人の変化なのか、世界が変わったからか?今は「どこにでもある場所」は「どこにもない 場所」へと変容する危険をはらんでいると思う。だから仙台の書斎の中のPCの中だけで判断することはできないだろう。越境していくというプラクティスと視 座を現実に持たなければならないのだ。
今夏に予定されている仙台の展覧会ではそれらの視点にも注目した構成が提案できれば幸いである。
 最後に、EUジャパンフェスト日本委員会事務局の古木修治氏、川原美保氏をはじめ事務局の方々、そしてこの視察を現実のものとして頂いたEUジャパン フェストへの協賛頂いている各スポンサーの皆様、また、欧州でお世話になった各写真家の方々、各施設の方々、ご同行くださった奥村泰彦様、菊田樹子様、小 寺規古様、そして最後にすばらしいご公演をプレゼントして下さった「ダムタイプ」の諸氏と高谷史朗、桜子夫妻にお礼申しあげる。多謝。