対談:「リンツー欧州文化首都となる以前と未来-アルスエレクトロニカの事例」

ゲルフリード・シュトッカー|アルスエレクトロニカ・ディレクター
小川 絵美子|プリ・アルスエレクトロニカ担当

小川:アートとテクノロジーが文化として根ざす街として2009年にリンツ市は欧州文化首都に選ばれています。その中心的役割を担ったメディアアートの国際的文化機関であるArs Electronica Linz(以後アルスエレクトロニカ)は1979年に誕生し、今年で35年目になりますね。アルスエレクトロニカがリンツの街で始まった経緯と背景をお聞かせいただけますか。

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Prix Ars Electronica2013
Digital Musics & Sound Art部門で優秀賞を受賞した
SjQ++のコンサート

Stocker:リンツ市は35年前、鉄鋼を始めとする産業で有名な街でしたが、際立つ文化的プラットフォームがありませんでした。両隣をウィーン市、ザルツブルク市というどちらも観光で有名な街に挟まれ、当時リンツ市は、独自のアイデンティティを求められていました。リンツ市の戦略は、次のようなものでした。高度の産業テクノロジー→コンピューターといったテクノロジーをフォーカス→アートとテクノロジー、社会における未来に溜まって行く(Future Oriented)文化的発達→その地に住む人の文化的生活の発達→スマート&クリエイティブなひとたちを惹き付ける→その人たちがリンツに住みたくなる。
 
もともと、技術の発達した産業の街、というイメージがあったので、テクノロジー&アートというコンセプトはすんなりとフィットしました。そして、1979年にアート、テクノロジー、社会の中のフェスティバルとしてアルスエレクトロニカ・フェスティバルが始まったのです。また、フェスティバルを開催して専門家達と重要なアイデアを議論するだけでなく、「クランクボルケ※」といった市民参加型のユニークなイベントを恒例化することにより、そのテーマの元にリンツの市民を巻込んで行ったことが非常に重要でした。テクノロジーとアートの発想がどのように未来を変えて行くのかのディスカッションを促す場所として、多くのひとを巻込み、アーカイブしていく、それがアルスエレクトロニカの最初からの役目でした。

小川:欧州文化首都となった2009年以降も、リンツの街のクリエイティブ産業は1995年で1073社であったのに比較して、2012年時点で3848社と3.5倍以上増加と、当初からの試みは非常に成功しているようです。なにがその秘訣だったのでしょうか。

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Your-Cosmos/真鍋大度、比嘉了

Stocker:まず挙げられるのは欧州文化首都プログラムの準備、特に予算配分の点が、よく練られていたことだと思います。予算をすべて欧州文化首都である2009年に利用するのではなく、その前年の2008年、またその後の2010年にも配分し、既に予定している事業だけでなく、未来の「Seed Fund(種となる資金)」として新しいイニシアチブに分け与えられました。そしてまた、その文化的サポートが持続可能な要素を持っていたことでしょう。例えばその成功例として、OK centerのHohenrausch展やFilm Festival, Comic Festivalなどが挙げられます。これらは2009年から始まり、今年2013年にも恒例行事として開催されています。アルスエレクトロニカも、欧州文化首都の年を機にセンターを大幅にリニューアルし、メディアアートの国際的文化プラットフォームとして、世界中から来館者を集めています。

また、欧州文化首都のプロジェクトとして、外からのアートを招聘することと、地元のイニシアチブたちのアイデアのサポートのバランスも非常に重要でした。前者に重点を置けば、その年は大々的に盛り上げることが出来るでしょうが、その後には記憶しか残りません。(もっとも、記憶にさえ残ればいいという見方もあるとは思いますが)また後者に重点を置きすぎれば、やはり国際的な欧州文化首都としての盛り上がりに欠けてしまうかもしれません。外からの刺激によるインスピレーション、ローカルの文化のサステナビリティ(持続可能性)その両者による共鳴。このバランスが非常に重要だと思います。

リンツ市が、国際的ネットワークと文化的インフラを、(欧州文化首都になる前に)既に確立していたことも、欧州文化首都として大きなステップアップ後、順調にクリエイティブ産業を、またそこに住む人を惹付けている要因の一つだと思います。

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プラモデルによる空想具現化/池内啓人

小川:2009年の欧州文化首都としての経験は、リンツ市にどんな成果を残して行ったでしょうか。また、アルスエレクトロニカとして、その未来についてどのようにお考えですか。

Stocker:欧州文化首都がリンツに与えた一つの成果としては、ストックホルダー間のネットワーキングかもしれません。リンツ市内のツーリズム、文化マネージャー、美術館、博物館、コンサートホール、シアターのディレクターたちが、文化的施設が横のつながりでコミュニケーションを取り続けています。これは、欧州文化首都のプロポーザルの中に組み込まれていたことで、既に戦略の一つではありました。副市長である文化担当官をハブにして、各文化施設のディレクター達が話し合いの場を持つ。この時始まった経験は、非常にうまく機能しています。

例えば、これは今まさに進みつつあるプロジェクトですが、ツーリズムの責任者が、アルスエレクトロニカとOK Centerに、リンツの中央広場で行うクリスマスのイベント考案を依頼されました。普通は逆の流れ(文化施設が、市のツーリズムに中央広場を使わせて欲しいとお願いする)なのでしょうが、これは前記のようなコミュニケーションがあったからこそできていることです。

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時折織成-落下する記録/和田永
アルスエレクトロニカにとっても、この欧州文化首都は未来にむけてとてもいい経験でした。アルスエレクトロニカがキュレーションする、アート・サイエンス・テクノロジーの分野のアーティストの作品が、一般の多くの人たちに社会に対する関心や議論のきっかけを作ることに、非常に重要かつ有効であることも証明できました。未来は常に私たちにチャレンジを与えてくれます。アーティストがもっと文化・社会の発展に重要な役割を果たして行けると確信しています。

※クラングボルケ・・・アルスエレクトロニカ・フェスティバルの一環として始まった、ドナウ川沿いを舞台に繰り広げられるテクノロジーを駆使した屋外ショーイベント。1979年の開始当初から10万人を集め、今も恒例行事となっている。(リンツの人口は現在19万人)