土地の記憶/写真の力

吉田 隆|グラフィックデザイナー・ギャラリーカフェオーナー

「カリーさんのMemory Tracesにおける写真のモチーフはとてもネガティブなイメージなのだけども、カリーさん自身がここから発信しようとしているものは最終的にはポジティブなものなのですか?」長崎での展示作業を終えたあと、みんなで会場近くのレストランにておそい夕食をとりながら、私は勇気を出してこう質問した。勇気を出してというのは、この質問がカリー氏にとって答えるに値するものなのかどうかさえわからないまま、ともかくこのことは一度は訊いておかなければとも思っていたからだ。そして彼は笑顔で「そうです」と答えてくれた。

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広島、長崎、チェルノブイリ、コソボ、サラエボ、ビキニ環礁…。写真集Memory Tracesに収められたカリー・マルケリンクの写真は、かつて人類が悲劇をひきおこした場所を徹頭徹尾客観視した風景である。そしてその風景の中には、私が見慣れてきた長崎の街も含まれていることに、ちょっとした目眩にも似た感覚を憶えた。私は人類史上、特筆すべき悲劇が起きた街に生まれ、すでに半世紀以上もこの街で生活してきたということを、この何も起こってはいない現在の長崎の街の風景写真によって問い直されたような気がしたからだ。爆心地の長崎。もちろんカリー氏が大判のフィルムに焼き付ける爆心地付近の風景には、原子爆弾投下の痕跡は残っていない。しかしそこには現在というフィルターを通したその向こう側に、目には見えないが確かにその土地の記憶があることを思い知らされる。おそらくタイトルのMemory Tracesというのはそういうことなのだろうと勝手に思っている。私はカリー氏の写真を見て、写真そのもののもつ可能性についてあらためて考えた。というより写真というメディアの現代における重要性について再認識させられたと言ったほうがいいだろう。

一般に写真といえば記録という機能的な側面が目立ち過ぎていたり、あるいは画面を従来の絵画的な色調やバランスに近づけることによって表現されることが多い。決定的瞬間を捉えたドキュメンタリー写真。あるいは、まるで絵のように美しい写真のことだ。そうした類いのものが写真の存在価値を示すものとされてきたし、それは今でもごく一般的な写真の存在の仕方でもある。しかしカリー氏の少なくともMemory Tracesでの仕事は、そうした従来の写真とは確実に立場を違えている。一般的な写真を「記録」とするならば、カリー氏の作品は「記憶」である。氏は記憶そのものにファインダーを向けシャッターを切る。土地そのものが内包する記憶というものに向かっている。それも人類があきらかに踏み誤った行いの記憶の上を塗り重ねるようにして、その土地の人々はそれぞれの生活の記憶を折り重ねていくのだが、彼はその下層にある決して消し去ることのできない記憶にフォーカスしているのだと思う。

それでは写真家カリー・マルケリンクは、その土地の記憶を暴きだすことによって私たちに何を伝えようとしているのか。たとえばネガティブな痕跡のイメージを提示することによって、人間の行いをポジティブな方向へと指し示すことなのか。彼の作品を単なるヒューマニズム的な警告として理解するのは簡単なことだ。しかし彼はそれ以前に否応なく破壊へと突き進む人間の業のようなものを、静かにきちんと伝えようとしているのではないだろうか。彼が私の質問に対して「ポジティブ」と答えてくれたとき、私は嬉しくもあり、またそれ以上に人間が抱えてきた大きく根深い問題に挑み続けている彼の姿に敬服した。何気ない日常の風景のなかに、目に見えない記憶が織り込まれ積み重なっている。本来は特定の場所の一瞬の風景を記録するはずの写真という装置によって、安易なヒューマニズムなど吹き飛んでしまうほどのリアリティを見るものに突きつけ、長いながい人類の記憶の集積を目の前にひろげて見せるのだ。カリー氏の作品は、写真というメディアがジャーナリスティックな社会問題を越え、個人的な芸術表現も乗り越えて、さらに人間存在の根源的な問いかけに至る力があることを示してくれているように思う。

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今回の長崎でのイベントは、カリー氏が参加した写真プロジェクト「日本に向けられたヨーロッパ人の眼・ジャパントゥデイ」のアーティスティックディレクターである菊田樹子氏からのオファーによって実現することができた。初対面の彼女からオランダの写真家カリー・マルケリンク氏のトークイベントを長崎で行ないたいとの相談を受けたのは2月初旬だった。今思えば東日本大震災が起こるひと月前の事だ。そのとき最初に大判の写真集Memory Tracesを見せていただいて、これはとても重要な写真だし長崎の地で是非紹介すべき仕事だと思った。それからイベントの準備を進めている途中で、福島第一原子力発電所の事故が起こり、またしても人類は取り返しのつかない負の記憶を背負い込むことになってしまった。結局カリー氏の被爆地長崎でのトークイベントと写真展は、皮肉にも福島原発事故によって日本中が混乱しているなかで開催されることになった。

またトークイベントも彼の作品を理解できる長崎の作家とのトークセッションといった形のほうが、よりわかりやすく話を掘り下げられるのではないかと思った。そのトークセッション参加に快諾をいただいたのは山本正興氏。放送文化基金賞、地方の時代映像祭グランプリ、児童福祉文化賞、世界映像祭アジア未来賞、FNSドキュメンタリー大賞グランプリなど数々の賞を受賞する日本を代表する現役のドキュメンタリー映像作家である。思惑どおりトークセッションはとても深い部分にまで及ぶことができたし、会場いっぱいの来場者も九州各地から来ていただくなど充実したものとなった。

またこのような優れた作家の支援を行なっているEU・ジャパンフェスト日本委員会の方々をはじめ、デザイナーの山崎加代子氏や多くの方のご協力をいただかなければ実現できなかったと思うとともに、この場をお借りして感謝申し上げたい。

◎第19回EU・ジャパンフェスト:「カリー・マルケリンクによるトーク及び写真展」プログラムページは コチラ