サルディーニャの海 光の紋様【吉開菜央&仲本拡史 新作映画制作レポート】

仲本 拡史|映像作家

吉開菜央、仲本拡史共同監督による新作映画の撮影のために、イタリアの各地を巡った。旅の前半は、2024年に神奈川県民ホールで開催されるオペラ『ローエングリン』の演出家、吉開菜央と、作曲家のサルヴァトーレ・シャリーノの対談のため、シャリーノ氏の住むチッタ・ディ・カステッロを訪れた。吉開は映画監督でダンサーであるが、今回初めて、オペラの演出を行う。私は映画監督として、取材を記録するだけでなく、旅そのものを映画にして欲しいとの依頼を受けて同行した。旅の後半は、サルディーニャ島で6日間過ごし、海をテーマにした映画の撮影を行った。最後に、昨年私が制作アシスタントをしたアーティストのタシタ・ディーンの新作を鑑賞するために、パリ、ピノーコレクションを訪れた。

まずフィレンツェの空港からイタリアに入り、フィレンツェで一泊した。日本からのメンバーは、吉開菜央と、神奈川県民ホール職員の荻野珠、私の3名。次の日、フィレンツェでイタリア在住の作曲家、杉山洋一と、神奈川県民ホール芸術参与で音楽学者の沼野雄司と合流。列車でアレッツォに移動し、タクシーでチッタ・ディ・カステッロに向かった。その足で、作曲家のサルヴァトーレ・シャリーノのアトリエを訪れて、取材を行った。シャリーノ氏のアトリエは、古いものから新しいものまで、絵画が壁面いっぱいに飾られていたほか、世界各地の彫刻や歴史的な資料が多数設置されており、様々な芸術分野への深い造詣を窺わせた。初日は双方とも緊張の面持ちで、杉山の通訳を挟みながら、3時間以上もの深い対話がなされた。次の日は偶然、早朝の市場で買い物中のシャリーノ氏に遭遇。そのまま教会や、何気ない壁に刻まれたレリーフ、おすすめのカフェまで、チッタ・ディ・カステッロの様々な名所を案内いただいた。その後、シャリーノ氏のアトリエを再訪問。昨日よりもリラックスした雰囲気で取材を行った。3日目は杉山、沼野と別れ、この街で生まれた画家アルベルト・ブッリの巨大な美術館を鑑賞したほか、郊外にある貝の博物館のオープニングに参加した。老若男女の地元の住民が多数参加しており、この地の文化的な土壌を感じることができた。4日目の最終日の朝には、この町の教会のミサに参加した。その後、タクシーでアレッツォに向かい、荻野と別れ、吉開と二人でアレッツォからローマへ向かった。ローマでは、フォロ・ロマーノとバチカン市国のサン・ピエトロ寺院を訪れた。

そしてローマからサルディーニャ島のカリアリに飛び一泊。レンタカーでカーラ・ゴノネに向かった。カーラ・ゴノネはサルディーニャ島の東部にあり、オロセイ湾の海洋自然保護区に面したジェンナル・ジェントゥ国立公園内の港町だ。カルスト地形の印象的な、絶壁の山々と屈指の透明度を誇るビーチが存在する。古くは紀元前730年以上前、ヌラージ時代に人が住んでいた。現在に至る街は20世紀初頭にポンツァ島の漁民の植民地としてあり、1860年にトンネルが開通するまで、その過酷な地形ゆえに、サルディーニャの他の地域からも孤立していた。初日はまず、宿泊先の目の前にある小さなビーチで簡単にテスト撮影を行った。山々を望む小さな湾内に、砂のエリア、石のエリア、岩石のエリアなどが点在しており、地形的な豊かさを感じることができた。二日目は、車でバウネイに移動。イタリア国定記念物として指定されているカーラ・ゴロリッツェのビーチが目指す到着点だが、そこに至るには片道2時間ほどの山道を徒歩で越えていく必要がある。岩肌は炭酸塩鉱物によって覆われており、白い岩肌と、点在する低木の緑のコントラストが印象的である。山道を抜けると、他のビーチを圧倒する鮮やかなエメラルドブルーの海が広がっていた。ビーチは入場は制限されているものの、船でのアクセスも可能であり、思ったより多くの人がいたが、それでも尚、この場所の圧倒的な魅力を肌で感じることができた。この後、数日間の行程で、キョウチクトウの森に面したカーラ・ルナや、カーラ・フイリ等いくつかのビーチや、船で岸壁の鍾乳洞、ブエ・マリノ洞窟も巡った。

今回のサルディーニャ島における撮影のハイライトの一つは、吉開菜央による海中ダンスである。サルディーニャの海にも慣れ、日を追うごとに吉開の海中ダンスは、自由な振る舞いを見せるようになった。当然、撮影も海中で行うため、私自身も吉開の周りを衛星のように回転し、深くに沈む吉開を上から撮影したり、深い場所から太陽の光を見上げるようにして撮影を行った。また、吉開もカメラを回しつつ、時には互いのカメラを水中に置いて、二人でカメラの周りを泳ぎ回ることもあった。海は概ね静かだったが、どこまでも青い海表面の緩いさざめきによって生み出される、海中の複雑な光の紋様は、この場所でしか写すことのできないものであった。

カーラ・ゴノネからの帰り道で、サルディーニャ島西海岸にあるオスタリノのサン・ジョバンニ・ディ・シニスに寄った。サルディーニャ島は全域に渡って様々な遺跡があるが、中でも、この場所にあるタロス遺跡は考古学的にも重要な場所である。湾を囲むように細長く伸びる特徴的な地形を持ったシニス半島は、東西両側にビーチがあり、訪れた日には西から強い風が吹いていたが、東側がとても穏やかだったため、ゆったりとスノーケリングをすることができた。東側の海からは元教会堂であった遺跡の大きな2本の柱を背景に撮影することができ、さながら世界の終わりのような雰囲気を醸し出していた。海が海岸からすぐに深くなるカーラ・ゴノネとは違い、この場所の遠浅の海には多くの海藻が生えている。ちょうど魚の卵の孵る季節だったようで、夥しい数の小さな魚たちと共に泳ぎ、撮影することができた。

山沿いの道幅は狭く、レンタカーで走るにはよほど慎重にならなくてはいけないが、イタリアの車は皆、嵐のような速度で走っていたため、ヒヤヒヤし通しであった。円安の影響もあり、節約のために、ほとんどの場合、自炊を行った。スノーケリングと山歩き、撮影で疲れた体を芯から回復させてくれたのは、ただ塩とオリーブオイルで焼いただけの、大きなナスやトマトにマッシュルーム、フェンネルなどの野菜、市場で購入したエビ、イカ、魚や、厚切りの牛肉、レモンなどの、地の食材たちである。

パリでは、タシタ・ディーンの新作鑑賞のためにブルス・ド・コメルス – ピノーコレクションを訪れた。ピノーコレクションの建物は、18世紀には穀物取引所として使われていて、建築家の安藤忠雄が改装を手がけている。円形の建物の中心には大きな吹き抜けがあり、ここにはタシタ・ディーンの35mmフィルムを使用した巨大なインスタレーションが設置されていた。各展示室はその吹き抜けを取り囲むようにあり、その展示室の一つに、私がアシスタントを行った、日本の桜の写真作品があった。8×10のフィルムカメラで撮影された写真は、美術館の空間に合わせて348cm×500cmに大きく引き伸ばされていた。さらに、白い色鉛筆によって背景が半透明に塗りつぶされて、桜の巨木そのものが強調されている。長旅の終着点で観る日本の桜は、その洗練された佇まいによって、私の心身の奥底から癒しをもたらした。

他にも、様々な印象的な出来事があったが、ひとまずの回想はここまでにしたい。次のステップとして、イタリアで撮影した膨大な映像素材を編集する必要がある。チッタ・ディ・カステッロで撮影した素材は、神奈川県民ホールの企画に使用する。サルディーニャで撮影した素材は、来年の映画祭への出品に向けて、編集を進めたい。応募は「ヴィジョン・デュ・レール」(スイス)や「イフラヴァ国際ドキュメンタリー映画祭」(チェコ)などのヨーロッパのドキュメンタリー映画祭の他、イタリアの各所の映画祭も検討したい。余談だが、私たちがパリを離れた直後に、大きな暴動が報じられた。一刻も早い収束と、回復を願う。

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