ご縁に導かれリトアニアにやってきたように思います。

本間 智美|アーティスト・イン・レジデンス - OBI

リトアニアに来る前に色々調べると、視覚的情報はいくつか入ってはきましたが、自分で入手できる事前情報は、視覚的な情報だけなので、明らかに違う都市の風景、歴史背景。特に木造建築は、視覚的に似ているけれど明らかに壁構造で違う。想像するのが難しく、事前プランニングには苦労しました。しかし、日本のことわざ「百聞は一見に如かず」のとおり、ここで暮らすように滞在しながら、人々と交流し、地方を散策し、リトアニアの食文化も堪能し、五感を働かせながら3週間を過ごせたことが、リトアニアの文化について理解を深める一番良い方法でした。

Vernacular Lithuanian architecture in the Open-Air Museum of Lithuania ©︎ Rasa Chmieliauskaitė

両国におけるヴァナキュラー建築は、視覚的にとても似通っています。植物を葺いた屋根、自然物を象徴するような妻飾り、寒気の侵入を防ぐエントランスなど。そして両国ともに自然を崇拝し共に生きてきたという歴史文化を建築物が物語っています。民俗文化についても、異なる宗教ではあるものの、家の中に飾られたキリストの前には、日本の神棚のように飾り紙が設えられ、村のエントランスには、日本のお地蔵様のように十字架とキリストを慕うお手製の布がかけられ、とても似通ったものがありました。通信手段のない当時になぜ似通ったのか。ヒトが何万年もかけてたどり着いた地で、その風土に合わせて暮らす中でできあがっていった文化に、そう違いが出なかったということを物語っているように感じます。

また、自然を五感で楽しむ文化は、リトアニアで強く感じ、むしろ日本で忘れがちなその文化を思い出させてくれました。ハーブをこよなく愛し、食、サウナなど、様々なシーンで五感を刺激し季節の移り変わりを感じます。日本以上に五感を楽しむ文化が日常生活に入り込んでいるように感じました。

もちろん風土に合わせて暮らすからこその違いもあります。日本の伝統的木造建築は、尺貫法の名残が基本モジュールにあり、また地震・台風などの自然災害から身を守る耐久性を担保しなければなりません。さらに島国で他国からの侵略の脅威が少なかったことで、独自の建築文化が成熟しました。神道を起源とする柱を崇める文化や、「多くの言葉を語らずとも、その文脈を読み取ることが美徳である」という文化など、自然素材を自然界にある別の物に例え、それらを組み合わせながら物語をつくる「見立て」として、建築様式に大きく影響を与えました。今回日本から持ってきた様々な素材にもそれが表れています。

最も似て非なるものは、夏をむねとしつくる日本家屋。冬をむねとしつくるリトアニア家屋。中央に煙突状の部屋があり、食物を干物にしたり、薪をくべ家中を温める暖房になったり。日本ではキッチンは今でこそ家の中心にくるようになりましたが、思えば日本の家の中心には囲炉裏がありましたので、近しい文化とも言えるでしょう。

日本は湿度の高い気候条件から高床式の建築構造となり、雨の侵入を防ぐため、家の中は1段上がった場所として区切られ、「家に上がる」という言葉からも神聖な場所として、汚れを落とし、靴を脱ぎ、家に入るという文化となっています。その文化からも、足裏を通して素材を楽しむという嗜好が生まれました。

Creative workshop with the community of blind and visually impaired ©︎ Andrius Aleksandravičius

今回、目の不自由な方々と共に見つけた、両国における日常に潜む同異性について展示した「Invisible&Similar」は、両国の建築素材や文脈を分解し再構築し、空間表現しました。空間を体験することで、リトアニアのあなたと、日本の誰かとの、とても似通った思い出のシーンを結び付けるでしょう。

建築は単なる機能的・視覚的競争力を持った箱ではなく、様々な心温まるシーンを生み出し・紡ぎ、後世に伝えることのできる、使用期限のない体感型ミュージアムと言えます。リトアニアの街並みが、アイデンティティを育むものとして認知され、修復・保全されていることにも、それがうかがい知れます。

リトアニアにおける過去の侵略が風景を書き換え、アイデンティティをも破壊するものであったことを、レクチャーを聞きながら感じました。その侵略・破壊は、21世紀が1/4過ぎようとする現在もなお、近国において行われています。一方で、インターネットユーザーにとっては、人間が便宜上作った国境を越えて繋がり、ノマド居住者として世界各地を遊牧しています。いわば過去の生活様式に少し戻りながらも、新しい文化として進化しているようにも思います。そのような背景も踏まえ、また今回の滞在制作を通じて、ヴァナキュラー建築を保全する目的を、ヒトが何万年もかけて各地で築き上げた文化に対するオマージュとして扱うことで、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を考える機会をもたらし、世界平和のための新しい解決策に結び付く可能性を感じました。

Prototyping workshop with the youth from Kaunas ©︎ Arvydas Čiukšys

今回、日本人建築家/アーティストとして何をすべきかを考えるきっかけを与えていただいたことに、あらためて心から感謝申し上げます。Rasa、Justinasをはじめ、ご協力いただいたリトアニアの皆さん、ありがとうございました。