「スモールリブート」は始まったか?

岡田智博|ソーシャルキャピタリスト/ アート&クリエイティブプロデユーサー

科学技術と人間性による進歩による、明るい時代の到来を心に人々が描く中、のっぴきならないことが無数に起き始め、身につまされる時代と今やなってしまった。

コミュニケーションのグローバル化は、巨大なビジネスの流れになる一方、千年来の人々のうねりのような移動の流れをもたらしている。経済の軸は西から東に移り、あわせてさまざまな力が衝突する。その上、地球環境が異変をきたし、挙句にパンデミックが全人類に襲ってきた。

全人類規模で大きな変化がおきてしまう、すなわち「グレートリセット」とよばれていた状況が、陰謀論ではなく、国際的な政治経済を語る上で不可欠な用語となってしまった程の驚天動地に襲われてしまったのだ。

そのような状況の前で、一人一人の人間はちっぽけな存在、なすがままに圧し潰されてしまうのだろうか?

いや、そうでない、このような状況を知り、自ら一歩先を切りひらけるのが、人間が人間たる存在なのだ。まさに、状況をかたちにし、私たちに示唆を与え、一歩先を切りひらくヒントを与えてくれる人々が存在する。それが、現代を表現する芸術家たちであり、作品なのだ。

この展覧会は、一歩先を切りひらいて私たちにみせてくれる作家たちの作品を通じて、私たちの小さな打開、すなわち「スモールリブート」になるヒントを得てもらうことを、コンセプトに開催するものである。

Japanese artists and curator at the opening of the exhibition©︎ Marija Crveni/Danube Dialogues

西と東・好奇心で理解を通わせる

 本展をセルビアで開催するにあたり、念頭に置いたのは 1. 展示が実現できる作品やプロジェクトであること 2. セルビアの人にとっても日本の人にとっても欧州の人にとっても理解できるコンテクストであること 3. 日本からの作家の作品という期待に応えること というものであった。

 これは、日本にいながらにして旧ユーゴスラビアの社会的コンテクストを理解するとともに、沖縄の離島であっても(執筆中の今は東京都でありながら日本でも特に深い山の中の村で)テクノロジーアートの展示をやってのけてしまう、「地域性を国際的に理解でき」かつ「何処でも展示可能にできる」という、両面をやってのける稀有な日本人キュレーターとして見出されてしまったのだから、それに大いに応えようというものでもあった。

 特に2と3は、重要な要素であった。この「グレートリセット」の状況は、セルビアを中心とするドナウ沿岸でも日本でも、今の生活環境の中で同じように降りかかっている、その日常目線からの共感の喚起をコンテクストとして込めた。その上に、ハイテクノロジーが文化にも込められていると期待する日本像とその表象を等身大なものとして提示することに努めた。

 私自身もまた、その導入として「作品」をつくり、スモールリブートへのジャーニーに誘った。多くの人が知る日本の古都である京都では、毎年夏、祇園祭が開催されている。この祭りは、1000年以上前のパンデミックを鎮めるための街の人々の祈りから今に続いている。京都は生き続ける古都であるだけでなく、ノーベル賞を数多く輩出し、任天堂を代表する世界のハイテクノロジーの研究とビジネスの中心でもある。その最先端に関わる人々も祭りに参加する。すなわち、千年以上にわたり「スモールリブート」を人々がするレジリエンスが存在しているのである。その祭りの調べからジャーニーは始まる。

Opening party in the garden of the Museum©︎ Marija Crveni/Danube Dialogues

「スモールリブート」のヒントたち
 これからの科学技術の発展予測に対して、その時の社会や生き方を洞察した作品で、私たちの価値観を揺さぶる、未来を見透かす作家がいる。

 長谷川愛は「I WANNA DELIVER A DOLPHIN…」で、出生技術の発展により人がイルカの子を産む未来、映像を中心とする作品で表現しました。なぜ、人がイルカを産むのか?そこには、女性にとっての産むことの選択、そして、人類による動物の種の絶滅と地球環境の破壊に対する強烈な対応策の提示により、喚起を促している。

 岡田裕子は「エンゲージド・ボディ」で、倫理により決定権を持てない自らの臓器の存在を再生医療の進歩の先にあるものとともに気づかせてくれます。再生医療で増やした臓器は自分のものなのか?だれのものなのか?自分でどうにもならないのなら、いっそうのこと、自分のアクセサリーにしてしまえ!再生医療ではなく、最新のイメージング技術でつくられた自らの内臓のかたちをアクセサリーにした作品は、そんな時代の話題とした偽の情報番組とともに、臓器を入れ替えるのが当たり前になった時代の価値観を試している。

 「グレートリセット」で弾かれた人々の姿は、日本も欧州も変わりません。動物たちを擬人化した彫刻で、公園にしか行き場がなくなってしまった者どもの情景を活写した石塚隆則の「光射す公園」は、動物の彫刻としての可愛さに注目することで、日常目にそむけることを直視させ、思いを馳せることになるのだ。

 喚起だけではなく、一方で、芸術家によってつくられる新たな可能性もある。

児玉幸子は、液体の金属を自由自在に操ることにより、まるで生気を持ったかのような滑らかにかつ、ダイナミックに動く彫刻を作り出した。

nubot-presentation ©︎ Marija Crveni/Danube Dialogues

林智彦は、東日本大震災によって、離れ離れになった同じく働くクリエーターたちを、遠隔環境でひとつのチームとして活躍するために、本人の顔を映し出すスマートフォンがぬいぐるみの頭になった、ユーモラスなのでオンラインであってもリアルに親密になれるロボット「nubot」を、パンデミック時代の遠隔でのチームによる働き方を予測したかのように、速い時代に生み出した「スモールリブート」を成し遂げていた。

これら未来を予測、あるいは創り出す、それも私たちの日常の延長にあるであろう、さまざまな種類の創作による作家の作品と触れることで、私たちにとっての切りひらきたい未来地図のインスピレーションが湧いてくるかもしれない。そんな「スモールリブート」の機会であったら、この展覧会は一人一人にとって意義深いものになったに違いない。