コラム
Column舞踊評論とは何か -Aerowave’s Spring Forward Festivalという経験-
舞踊評論家[養成→派遣]プログラム2期生としてヨーロッパのダンスフェスティバルに初めて参加し、より舞踊評論の役割を切実に感じた。日本人作家初ノーベル文学賞を獲得した川端康成は『雪国』においてストーリテラーの島村に舞踊評論について「見ぬ恋に憧れるようなもの」と言及させているが、舞踊評論は道楽なのだろうか。
私が派遣されたAerowave’s Spring Forward Festivaは4日間24作品を一気に観る事ができるダンスフェスティバルで、ヨーロッパ34カ国に広がり46のパートナーがおり欧州連合委員会の新進アーティスト育成のためのクリエイティブ・ヨーロッパ・プラットフォーム・プログラムから最高額の助成金を受けている。Aerowavesには、公演だけではなくキュレーター育成、アーティストとの交流、ウクライナなどからの移住者の芸術、文化的サポートなどなど多彩な取り組みがある。日本の城崎国際アートセンターとのレジデンス提供、横浜ダンスコレクションの公演提供もその一つだ。また評論を学ぶスプリングバック・アカデミーもあり、2人に1名程度の指導者が付き3日間朝8時からセッション、10時頃から22時頃までの鑑賞、執筆というハードな課程を行っていた。
今年の開催地はイタリアとスロベニアの国境のゴリツィア。ゴリツィアは11世紀以降政治的・行政的地域、地方交易地域として発展、様々な国に変容し1947年イタリアとスロベニアに分断されるが、2007年欧州経済共同体へのスロベニアの参加により国境は地続きとなった。郊外には葡萄畑が並び白緑の美しい川が流れ、スロベニア語で「小山」と意味するゴリツィアの広大でありながら滑る様な山肌が並んでいる。
私たちが到着した夕方急な雨が降り寒さを感じたのだが、会場での全ての人々の出会いはとても暖かく、それはAerowave‘sが「ボーダレス」を最初に提唱し参加者全員が直ぐに理解、共有したからだった。
またAerowavesは国連のSHIFT文化エコ認証を受けており300以上いるゲストは徒歩可能な劇場へは会話をしながら歩きバスもシェアしたので、3日間で4、50人とゆっくりと深い話しができダンスの経済、教育、勿論作品について有意義な意見交換を行った。
印象に残った作品は、イタリアのAristide Rontini ”Lampyris Noctiluca”で1975年にピエル・パオロ・パゾリーニが書いたイタリアにおける権力の空洞化がホタルの消失を呼び起こしたという記事を基とし、1960年代に大気汚染や水質の悪化により田舎で蛍が消え始めた事がイタリア社会の衰退、消費社会の象徴として解釈された作品だ。
Aristide Rontiは右手肘下がないダンサーで、作品冒頭右手が隠しつつあたかもあるかの様に踊り始めた。その後右腕が露になるが、次第に動きから見える身体と動きから感じる身体が曖昧になるのを感じ、さらに着ているものを取り外すと床を流れるように踊りまるで床までも体の一部と化しどこまでが身体と言えるのだろうかと錯覚を覚えた。そして彼は赤いスカートを纏うが、最後に頭に被り天を仰ぎ嘆き悲しむ様に見上げた後静かに倒れた。
日本では身体障害のあるダンサーの作品は少ないが、目に見える障害は表面的なもので、それはホタルの消失の権力と同じ様に表象的な何かにより大切なものが失われているという事を痛感した。
さらに、”I HOPE I WELL”。
黒いTシャツ、ジーンズ色のパンツを履いたスロベニアのJaro Vinarskyが、かなりの長さに結んだ強力なゴムバンドを劇場のエントランスから体に巻き付けて行き、客席、舞台上へと進む。舞台上3面に客席があり観客ととても近く劇場客席含め4方が中央の空間を囲む様に設定されていて、彼女は優しく話しかけたり対峙する様に見つめ合ったりしながら観客の前にある吊りものポールから垂直に張られた5本のロープにかかるいくつかのフックにゴムバンドを固定し、また次の観客の方へ移動して行く。
一人一人の観客との関係をとても大切に紡いでいくうち、ゴムバンドは複雑な綾の立体物と成り安定するが、その綾が不安定である事を強調するかの様に繋いだゴムバンドから何度か彼女は落ちる。無作為に表れた綾が、舞台上の人から人の繋がりを具現化した所で作品は終わった。
Jaro Vinarskyは明らかなステップを踏むわけではないが床を踏みしめる足裏や身体の隅々が絶え間なく身体感覚の変化を発していてそれがダンスである事を改めて感じ、その時にしかない空間とダンスと人々の融合に胸が打たれた。
ダンス作品によっては必要とは言い難いがYared Tilahun Cederlund、Chara Kotsail、Slene Weinachter、Grogo d.Farkasなどダンサーたちのレベルの高さも目を引くものがあり、ドイツのディレクターによるとハンガリーやフランスなどダンサーの育成に力を入れている国の結果が顕著に現れており、それは充実したダンス教育支援の賜物だと説明していた。
また小道具使いがとても巧みだ。差別について面白くかつ迫力のあるアプローチで表したAlen Nsambu“NEON BEIGE“、機械と人間との関係についてリモートコントロール車を用いたMaeta Bilosnic”Never ALLone”。あらゆる角度から老いについて追求したJunk Ensemble”Dance Like A Bomb”、すべての要素が洗練されていたProduction Xx”Gush is Great”などヨーロッパの美学や象徴主義の影響を感じた。
さらにユーモアを狙った作品が9つ(どれも効果的)、文章表記、セリフ、歌など特に言葉が用いたものが半数以上の13作品有りロジックが強い作品創りをしている事が窺えた。
ヨーロッパの作品に共通して感じた事はとても強いテーマを基としている事、特に社会における問題意識が明確に表れている事だ。銃声を思わせる仕草や音、商品化される人間や生き方、黒人、女性などあらゆる差別への抵抗、虐げられた歴史への共鳴。また、日本においても時々見受けられる事なのだが振付家達が現代の社会から感じとる共通のキーワードといえる要素が作品内に現れていた。ミニマムな音や振り、ゆっくりと走り出す動き、水、観客と親密な配置や内容。私はこれらがポストコロナ禍に人間同士がさらに繋がりたいという気風なのではないかと感じた。
舞踊は刹那の芸術だ。映像を残してもその場の空間の中で感じたものは決して再現できないが、どの様に人間が感覚で捉えたのかを直接経験し評論で書かれた文章は舞踊の真実を証明する事ができる。『雪国』の中で西洋舞踊の書物や写真を基にそれらを紹介する文章を書く島村を、川端康成は「見もしない舞踊を評論するなんか、全くたわいない話だ」「島村は私ではない」と語っている。つまり『雪国』の島村という人物はパラドックスとして描かれていたのだ。
コンテンポラリーダンスはあらゆる舞踊のみならずこの世にある全ての人間から生み出される身体表現を包括するもので、今人間に起こっている事が表出される芸術だ。今の日本には無い舞踊表現を知る事は世界を知るという大きな価値があると理解できる。
2023年からスタートした日本初の舞踊評論家[養成→派遣]プログラムにおいてヨーロッパにおけるダンスを網羅できるこのフェスティバルを派遣先として乗越たかお氏が選ぶ理由は意義深い。また助成してくださっているEU・ジャパンフェスト日本委員会の方々が舞踊評論を御慧眼によりとてもよく理解し支援してくださり、その恩恵に当たる事ができた私は只々感謝の気持ちでいっぱいだ。
次回Aerowave’s Spring Forward Festivaはポルトガルで開催される。ヨーロッパは地理的には遠いが直接観る事の出来た作品、人々はとても近く感じ、また舞踊評論家[養成→派遣]プログラムによって沢山の作品の舞踊評論から新たなヨーロッパの息吹が舞い込む事が楽しみでならない。

