コラム
Column歌とピアノで辿る日本とノルウェーのクラシック音楽史
2024年9月、ボードー 在住のソプラノ歌手、ダリア・カティーバ と私は、北ノルウェーはボードーで4つのコンサートを実施した。このコンサートは、同年2月から3月にかけて東京で実施したコンサートの次のステップとしての企画で、今回は日本の知られざる歌曲やオペラを知る機会となるプログラムを組んだ。軸となったのは海外での人気が高い作曲家、武満徹 である。武満の美しい歌曲を中心に、邦人作曲家による日本語のオペラ「黒船 」「夕鶴 」のアリアを盛り込み、西洋発祥の音楽が日本においてどのように独自に発展していったのかを辿る。「日本とヨーロッパの音楽の出会い」と題し、ノルウェーやフランスの作品も盛り込んだ。フランスの作曲家モーリス・ラヴェル とクロード・ドビュッシー の音楽を通して、フランス印象派がいかに東洋からインスピレーションを受けていたのかが感じられる歌を取り上げる。また、北ノルウェー出身の作曲家ルドヴィグ・イルゲンス=イェンセン による日本を描いたオペラも披露した。
私自身、学生時代を首都オスロで過ごした経験からノルウェーという国には馴染みがあるものの、北ノルウェーは未知の領域。オスロから飛行機に乗ってボードー空港に到着すると、風が強く吹き、薄暗く、より寒くて、どんよりと曇っている。あぁ・・と言葉を失うばかりだったが、会場やカフェで出会う人々は誰もが温かく、明るく出迎えてくれた。
打ち合わせおよびリハーサルは、本番の前の週にオスロで行われた。初日は、日本語歌詞の発音や抑揚をチェックしたり、日本歌曲ならではの発声の特徴を丁寧に見ていったりした。オペラ作品においては、イタリアオペラのアリアとは根本的に異なるため、日本オペラに込められた奥ゆかしさや、想いを内に秘めたまま耐え忍ぶ登場人物の心情をどのように音に載せるか、どうしたらノルウェーの聴衆に伝わるかを話し合う。作品が描く日本はどのような時代であったかという背景も重要で、特にオペラ「黒船」においては幕末の鎖国時代に来航した黒船がどんなに恐ろしく黒黒しく見えたのだろうか、と話は尽きなかった。ノルウェー人は皆、船が大好きなので船の話は良い反応が期待できそうだ。また、オペラ「夕鶴」においては、“動物の鶴が人間の姿をして布を織っている”というストーリー設定に客席がどのようなリアクションをするか楽しみであった。ノルウェーにはトロールが登場する民話や、森や山に棲む妖精のおとぎ話が数えきれないほど存在するので、こういった日本の昔話も信じてくれるだろうか。
4公演の幕開けは、ボードー中心部にあるストルメン・コンサートホール でのランチコンサート。会場は、メインホールの入り口に面したホワイエ。一面ガラス張りとなっており、港に面した建物のため窓の外にはフィヨルドの景色が広がっている。コンサートの1時間ほど前から観客が到着し、ランチを楽しんでからコンサートが始まった。平日のランチコンサートは定期的に実施されており、観客は市内の高齢者たち80名ほどが無料招待(応募制とのこと)。演奏後に数名が、初めて聴いた日本のクラシック音楽の聡明さや内に秘めた美しさに心から感動したと声をかけてくれた。
1公演目が終わったあと、2公演の会場「ボドゴー 」へ移動。ボドゴーは1985年に設立されたアートギャラリーで、北ノルウェー最大の美術品・文化財の個人コレクションを所蔵している。演奏するスペースにもアート作品が展示されており、リハーサルの前に贅沢な鑑賞タイム。
実はこの日は、終演後すぐに飛行機で移動するというスケジュール。フライト時刻はなかなかギリギリ。あらかじめ荷物はまとめておいて、アンコールを演奏し終えておじぎをした瞬間に荷物を持ってドレスのまま走り出す。入口で待っていたタクシーに飛び乗り、空港へと向かった。大爆笑が起きて拍手で見送ってくださった聴衆、ギャラリーのスタッフ、ずっと待ってくれていたタクシーの運転手・・・この寛容さはどこから来るのだろう。
2日目は、モーシェーン という小さな町に新しく建てられたアートセンター、Bakgården kulturにて1つ目のコンサート。会場に到着すると、観客を迎えるための準備でコーヒーと大きくて豪華なケーキが用意されていた。というのも、この日ちょうど開館1周年を迎えたそうで、私たちもケーキをいただきリハーサルに臨んだ。リハーサルから本番まで時間があったので、年に一度のマーケットに繰り出してみると、トナカイの燻製、鹿のソーセージ、スモークサーモン、干しダラ、サバ缶・・・どれもこれも「北ノルウェーっぽい!」と買いたくなるものの断念。会場に戻るとコーヒーやケーキを楽しむ観客が集っており、私たちは準備をしてステージへ。ダリアによるユーモアを交えた日本の作曲家や作品についてのレクチャーを観客は興味深く聴いてくれ、またよく笑いが起きていた。
最後の公演は、モーシェーンから車で2時間弱のモー・イ・ラーナ にて。車から見える景色は、とにかく山がひたすら続く。締めくくりは、ダーシャ(ダリア)が声楽のレッスン講師やオペラの指揮者として働くラーナ・カルチャースクールの講堂。リタイアしたおじさん3人がボランティアで照明や音響、会場設置の手伝いをしてくださった。脚立に乗って天井近くの照明を移動したり調節してくれた中太りの男性は、いつ脚立から落ちるかととてもひやひやしたので何事もなくほっとしている。
空き教室からテーブルを運んできてテーブルクロスを敷き、キャンドルを置き、ワインとグラスを用意し、素敵な空間に変身する。自分がこの小さな国で学んだことはピアノの専門知識だけではなく、「自分でできることは自ら手をかけて“手作り”する。それが、品があることだ」ということを思い出させてくれた。
2日間で4公演はハードであったが、最後の公演が終わってもまだ安心はできなかった。翌日午後のフライトでオスロから日本に帰国するためには、深夜0時発の夜行列車に6時間揺られてトロンハイムという町まで移動し、そこから国内線フライトに乗り換える必要がある。「終わった感」はまったくないままレストランで打ち上げをしたが、北ノルウェーで獲れた白身魚を使ったメイン料理は“ボードーへの音楽の旅”の締めくくりとして最高の一皿だった。
真夜中の駅のプラットホームでダーシャ(ダリア)と「ノルウェーと日本の音楽の魅力を広める活動を今後も続けていこう」と固く約束をし、別れの挨拶を交わした。