「手入れ」の概念と東ドイツのガレージ文化

アグニエシュカ・クビツカ=ジェドシェツカ|キュレーター
フラッグシップ・プロジェクト「#3000Garagen」

ガレージというこれらの小さなスペースは、整然と列をなしながらも多様な空間バリエーションで配置され、今なお多くの東ドイツの街の都市景観を形成しています。ドレスデンとライプツィヒの中間に位置する人口25万人のポスト産業都市ケムニッツも、その典型といえます。2025年欧州文化首都であるケムニッツは、およそ3万棟のガレージに秘められた社会文化的可能性を、欧州文化首都プログラムの主要テーマのひとつとして掲げています。

東ドイツの文化的アイデンティティにおいて、ガレージがこれほどまでに不可欠な要素をなしている理由を理解するには、その起源に目を向けることが重要です。ドイツ民主共和国時代、自家用車を所有することはごく稀なことで、誰もが熱望する憧れの実現そのものでした。トラバントやヴァルトブルクといった自動車を手に入れるまでに長くて15年待ちとなることもしばしばあり、人々はこうした大切な宝物を安全に保管する場所を確保するため、団結してガレージを建設するに至りました。建築資材の乏しいなか、あらゆるものを取りまとめ、借り合い、共有しなければならなかった「英雄」時代にまつわる逸話が数多く語り継がれています。これらのコミュニティの一員達は、自らの資金と時間を投じ、各自300時間から500時間もの労働時間を費やし、なかには数百棟におよぶ個別ガレージが配列されたガレージヤードを共同で建設しました。ケムニッツで最大の集合ガレージは、1970年代に8つのコミュニティによって数年かけて建てられたもので、1,247棟ものガレージで構成されています。

この歴史は、人々を結束し、永続的な絆を築きました。大半の東ドイツ人が、ガレージに深い情緒的価値を抱いており、三代にわたって受け継がれることもあります。20世紀後半の他の社会主義諸国でも同様の過程が見られ、物資不足が創造性と主体性の強化を育みました。ガレージは、単なる車庫の域を超えて、国家からの逃げ場であり、人々が集い、物を修理し、交流し、自由のひとときを見出す、彼らにとって極めて重要な「第三の場所」となったのです。

©Ernesto Uhlmann

こうした背景のもと、「スクール・オブ・ガレージ」(2025年8月24日~31日)が、「#3000Garagen」の一環として立ち上げられました。これはガレージ利用者と共同で展開され、利用者が語る生活史やスキルおよび経験に根ざした、十数に及ぶサブプロジェクトを擁する参加型で対話ベースの取り組みです。「スクール・オブ・ガレージ」の9つのアトリエと国際的な参加者のなかで、日本の建築家でアーティスト、そして研究者でもある大村高広氏の存在が、顕著な発言者として異彩を放ちました。基調講演者および客員講師として招聘された大村氏は、文化的・社会的空間としてのケムニッツのガレージに対する理解をより研ぎ澄ます、外部的視点をもたらしました。

「スクール・オブ・ガレージ」は、公共の都市空間の改善を専門とする建築家とデザイナーで成る国際プラットフォーム「コンストラクトラボ」により企画、開催されました。このサマースクールは、60名を超える国際的な活動家や建築家、アーティスト、デザイナー、都市開発者らと共に、またこれらの参加者のために開かれた、一時的な協働学習環境としての機能を果たしました。たとえそれがときにユートピア的発想の創出に終わったとしても、地域のガレージ有識者のレガシーを探究し、彼らと共に集合ガレージを持続可能性、創造的交流、集合的未来の場として再構想すべく新たなアプローチを発展させることをねらいとしていました。

©Ernesto Uhlmann

基調講演者のひとりで、またガレージ内および周辺に設置された9つのアトリエのひとつで客員講師を務めた建築家、芸術家そして学者である大村高広氏は、ケムニッツのガレージの持つ社会的・空間的意義に向けた日本的視点を提示し、それらに対する新たなアプローチを構想していただくべく招かれました。建築活動と深く結びついた大村氏の芸術的実践は、共同性や地域の歴史の持つ変容力、さらに都市および郊外空間の再編成に焦点を当てています。

2025年5月の事前現地視察の際、彼はケムニッツのガレージを探索し、利用者らと会話を交わしました。彼は、記憶の担い手としてのガレージに保管された物品の持つ持続性と、修理という行為によりリサイクルや再生といったエコロジー的論理に押し退けられ、こうした記憶が消滅しかねないという危機にとりわけ関心を寄せていました。

彼の基調講演は、「スクール・オブ・ガレージ」の開幕を飾りました。ここで彼は、故障した後の修理ではなく、絶え間ないケアと継続性への気配りの倫理観である、日本の「手入れ」というコンセプトを紹介しました。この概念は、生きた機能を凍結させることなく社会的・文化的役割を保存するため、一部の集合ガレージを記念物保護下に置くべきと論じるルイーゼ・レレンスマン氏が提唱する「遺産の創出」や、空のガレージを関与と貢献を欠いた民主主義と表現したピオトル・ヤクブ・フェレンスキ氏による比喩といった、地域で展開していた議論と力強く共鳴しました。

©Ernesto Uhlmann

大村氏は、「手入れ」をケムニッツのポスト社会主義的現実との対話に位置付けることで、ガレージが文化的インターフェースとして再構想され、ささやかなケアという行いが、持続可能性や民主的参加、そして市民の想像力といったより広範にわたる問いと響き合う場となると論じました。これを踏まえ、ガレージは、もはや単なる収納庫ではなく、新たな共生の形態を構築し得る媒体といえるのです。

この視点は、参加型都市デザインを専門とするドイツの青年ネットワーク「ウルバーネ・リーガ」が運営するアトリエ「キンツギ・シュタット・ガラージェ」で彼が講師を務めた活動にも反映されていました。この協働は、サマースクール以前から始まったもので、理論的基盤を築いた共有読本の作成を行っています。大村氏は、アトリエ会期中、参加者と共に物質的および社会的両面の亀裂や断絶を探究しました。ガレージ壁面に生じたひび割れを型取りすることで、当グループは、脆弱な線をコミュニティそのものの象徴へと昇華させました。それはひずみの痕跡であるとともに、修復への開かれた可能性でもあるのです。

特に金継ぎというアプローチをはじめとした「手入れ」の概念は、文化的慣習や社会的な絆を認識し、問い直し、維持するための、共有された継続的な取り組みのニーズを表す強力なシンボルとなりました。それは民主主義そのものが、ケムニッツの集合ガレージのように、控えめで目立たず、ひっそりとしたごく普通の空間で営まれる、このような日常的なケアという行いに依存していることを示唆するものでした。

こうした観点から、#3000Garagenの未来の遺産は、欧州文化首都開催年という時間的な枠組みを超えた、ケアの継続性と参加型実践の組織化に委ねられているといえます。「#3000Garagen」と「スクール・オブ・ガレージ」によって始動したこの活性化プロセスは、一過性の介入ではなく、長期的な文化インフラの原型として理解されるべきものです。これらを持続させるためには、政策による支援や資源の配分だけに留まらず、日常的な維持管理や対話、相互扶助といった「手入れ」のまさに真髄に向けた倫理的取り組みが不可欠です。そういった意味で、コミュニティ管理は、文化的方法論へと進化を遂げ、これにより空間のケアという行いが、関係性のケアへと転化します。こうした実践が続いていけば、ガレージは、集団的記憶と社会的想像力の動的インターフェースとして存続し、欧州におけるポスト産業化社会における回復力と民主的再興のモデルを提供し得ることでしょう。

基調講演および「スクール・オブ・ガレージ」における学習プロセスへの貢献の双方を通じた大村高広氏のインプットが、国際的な参加者間の今後の活動や協働にどの程度のインスピレーションをもたらし得るかを測定するのは難しいことです。相互の知的交流や触発のプロセスは、往々にして実体がなく捉えがたく、特にその持続や促進を担う安定した組織が存在しない状況ではなおさらです。その一方で、生きた経験の力や「スクール・オブ・ガレージ」のような協働的取り組みから湧き出る喜びは、変革的となり得ます。私は、ケムニッツの東ドイツ時代のガレージヤードとその周辺で展開したこの一週間の集中的な協働が、関わったすべての人々にとって実に独特で記憶に残る経験となったと強く確信しています。