特別インタビュー2:海外ツアーで生活していく――ゼロから飛び出し、世界で活躍するパフォーマンス集団へ

小川正晃|和太鼓集団「倭(やまと)」 代表
河野桃子|インタビュワー/ライター

海外でのマネージメントもすべて自分たちでおこなう意義

─海外ツアーでは、どのような契約になっているんですか?

大きく2つあります。まず、自分たちで興行を行う場合。自分たちで劇場と契約し、宣伝してチケットが売れて初めて収入になります。もうひとつは、プロモーターとの公演契約。公演場所もギャランティも用意されているところに呼ばれて演奏するというパターンです。どちらもありますが、現在倭が挑戦しているのは前者。いわゆる「手打ち興行の世界」ですね。呼んでもらってギャラをもらって公演することが多かったけれど、そうすると、突然キャンセルされることもあるし、そこにやる気がなくなると公演自体がなくなってくる。いくらこっちが頑張っても他人任せな感じは否めません。それよりも、自分たちで劇場を探して、現地の人とやりとりをして、一生懸命に宣伝をして1枚ずつチケットを売ってという方が倭っぽいと感じるので、そうやって公演を自分たちで制作することにも挑んでいます。


この形だと、プロモーターなどの力があって決まったギャラがあるのではなく、基本的にはお客さんがどれだけ入るか、それ次第で収入が決まります。そうするととにかく作品が良くないといけないし、責任をもって次の公演に繋げていかないといけない。毎回が勝負です。緊張感があって、劇場にはできるだけ早く入らせてもらって、可能なかぎり練習をする。公演のたびに良くなかったところを反省して、たとえ前回の公演がうまくいったと感じても気を引き締めるよう心がけます。失敗したら明日から食べていけないということを、一人一人がちゃんとシビアに認識することはパフォーマンスのクオリティーに影響を与えます。「良い公演をしなかったらのたれ死ぬことになる」ぐらいの覚悟で生きてきた感覚があります。

─制作面もすべて自分たちでおこなっています。マネージメントの会社を頼もうということは考えなかったんでしょうか。おそらく自分たちで英語での交渉をするのも大変なのでは、と想像しますが。

今まで現地のマネージメント会社に頼んだこともあるんですが、丸投げはせずあくまで一部委託だけにしてきました。すべてをお任せしてしまうと、向こうが別の事業に手を出したり、突然逃げだしてしまった時に取り返しがつかなくなるからです。
だから最初の頃から自分たちで英語の辞書を見ながら契約書を読んだりしていました。たいへんだっただろうと思いますが、あまりに必死だったので今となってはどうやってたんやろ?とは思います(笑)。ただ、契約内容がちゃんと理解出来ていなくても会話がうまく出来ていなくても「どうにかして世界に行きたいんだ」というやる気だけは、相手に伝わっていたと思うのです。するとむこうも、最初は「この日本人達どうする気なんだ?」と訝しんでいるんですけど、途中で「俺たちがなんとかしてやらなきゃ」と思うんでしょうね。いろんなことに手を貸してくれるんですよ。そうやって助けてもらってツアーを作ってきました。公演制作や契約などもそうですが、何より現場です。メンバーは劇場に入ると朝7時から夜まで働き詰めなんですが、むこうのクルーは搬入する僕たちのことをまさかアーティストだとは思ってない。メンバーは劇場に到着したら作業着に着替えてトレーラーから太鼓やセットを運び出して劇場に搬入し、照明を合わせてサウンドチェックをやります。何時間もです。いつまで経ってもアーティストは来ないことにクルーが不安を覚える本番直前、慌ただしく衣装に着替えてステージに向かうメンバーに、「もしかして君達がアーティストなのか?今まで働いていたのにこれから演奏するのか!?」と驚くんです。メンバーは2時間の公演を一瞬の気を抜くこともなく演りきります。爆音を響かせ、観客のスタンディングオベーションで演奏が終わって汗も引かないうちに、つなぎに着替えて太鼓を片付けはじめる頃にはようやくクルーが倭を理解し、「おまえらすごいな!おれたちが手伝ってやるからな!」とさらに進んで助けてくれる。撤収完了後には「おれたちみんな仲間だよな!」という雰囲気で乾杯。その時が一番グッときて盛り上がります。数年後にまたツアーでその劇場を訪れると、劇場クルーたちが前回の公演Tシャツを来て待っていてくれるんです。僕たちはただ自分たちのやるべきことを一生懸命やっていただけですが、それが言葉を越えて受け入れられ続けている……マネージメントされることに安住せず、自分たちで直接やりとりしてきたからだと思います。


もう今はいろんな国に知り合いができたので、劇場を探してもらったり、地元の宣伝会社と直接契約して広報を依頼できたりするので、自分達のやりたいようにできる力がついてきたように思います。小さなカンパニーですけれど、海外公演のノウハウが蓄積されてきたので、どこでなにをやるにもあまり怖くないです。自分たちで直接行動することで得られる繋がりやノウハウは、大変さよりも大きな価値があります。

─それでも慣れるまでは右も左もわからず、トラブルなどもあったのでは、と思います。

トラブルは数えきれないほどありましたね。多いのは輸送の問題。たとえば倭の場合、本番の準備に7〜8時間かかるんですが、開演1時間前まで太鼓が届かなくて「今日は出来へんかな」と諦めかけたことがありました。開演15分前というところでトラックが到着し、衣装のままお客さんの見守る前で梱包をといてセッティングし、なんとか幕をあけられました。みんな準備を手伝い、暖かく見守ってくれて素敵な公演でした。
嫌な話ですが、物やお金を盗まれたことも数えきれないほどあります。イタリアの港町では停めていた車から太鼓も衣装も盗られました。取り敢えず、急いで服屋さんを駆けずり回って衣装になりそうな布を買ってきて、それをぐるぐると体に巻いたりして、とにかく必死に演奏しましたね。驚いたことに、地元の警察に被害届を出すと「車はあったの?」と聞かれ「車はあった」と伝えると「それは良かったじゃないか!」と喜ばれました。普通は車ごと盗まれるそうです。パリのホテルでは食費や移動の経費が入った鞄ごと盗まれましたし、楽屋に置いていた時計や服がなくなったこともよくありました。ホテルでは今まさに盗もうとしている人とばったり顔を合わせたこともあります。
これまでの盗難金額は数百万円でしょうね。ほかにも、メンバーが道に迷って帰って来れなかったり、メンバー同士で揉めていなくなったり。携帯電話がない時代は只々探しまわるしかなくてたいへんでした。……公演に穴をあけるほどではないですが、小さなトラブルはたくさんありました。今となってはどれも笑える話ですけれどね。
海外ツアーを始めた当時は本当になにがなんだかわからなかったし、初めての行く先なので現地の様子もわからない。最初の頃はツアー期間中に食べる分のお米を太鼓の中に詰めて持って行ったりもしていました。大きな太鼓の中に米袋を400kgほどギッシリ詰めて運びました。まずは食べ物が大事だろう、と思ったんですよね。今はどこでもたいていのものは手に入るので、便利になりました。

─大変なこともある一方、海外公演だからこそなし得たこともあるでしょう。

生っぽいですが、生活できるようになった、というのが一番大きいですね。おそらく日本で太鼓をやっているだけなら生活費は稼げていないと思います。それぞれバイトをして、合間に練習をすることになっていたでしょう。
また、思いきって海外に飛び出したことで、日本では得難い経験もたくさんしてきました。時々驚くような機会もあって、2003年のデンマーク公演では女王陛下の前で演奏する機会を頂きました。開演前、準備を整えて袖で待っていた時です。さっきまでざわざわしていた客席がシンと静まり返ったのです。何かあったのかと思い、慌てて客席を映しているモニターを見ると、観客席の一番後方中央に女王様が立たれていました。女王様の登場とともにそれまで盛り上がっていた客席の人達が物音ひとつなく起立されたのでした。2000人もの人が入ったとは思えない静かな観客席。その間を、女王様がゆっくりと最前列の中央席まで進んで来られ着席されたその瞬間、客席のみなさんが音も無く着席されたのがモニターに映っていました。壮観でした。無音の静けさのなか、張りつめる緊張感と同時に落ち着いた空気が満ちていくのを、初めて感じました。その空気を打ち破るように打ち鳴らした一打目は、今思い出しても特別な瞬間でした。

─世界各国で公演されていると国によって宣伝や動員など予測がつかないこともあるかと思います。海外ツアーを組む際にはどんなことを心がけているんでしょう。

冒険にいくつもりで、とにかく楽しむこと。チケット料金や実際の動員は予想がつきません。アメリカに初めて行った時には、3000人ほどが入るホールに50人くらいしかお客さんがいませんでした。日本ツアーをしても、少ないところは本当に少ないです。
でもそのことに一喜一憂しません。お客さんがたった1人でも全力で演奏するのみです。最初は集客が出来ているか、公演がうまく行くか、とにかく怖かったし、正直生活も苦しかったけど、やっぱり楽しかった。楽しめないと意味がないですから。

©Masa Ogawa

公演以外の活動/オランダでの太鼓教室

─公演以外でも、太鼓ワークショップなどを国内外でおこなわれていますね。どのような取り組みをされていますか?

学校公演に年間60~70回ほど行き、ワークショップの時間をもうけて子ども達と一緒に太鼓を叩きます。海外ツアー先でも一般の参加者を募集して、公演前にワークショップをすることもあります。
近所の養護学校で演奏した時のことですが、子ども達がすごく良い顔で笑ってくれたんです。
普段は上手くコミュニケーションができない重度の障害を持っている子ども達だったのですが、その子達を先生が大きい太鼓の上に寝かせたのです。自分たちも恐る恐るでしたが、その子ども達が寝転んだ太鼓を叩くと、ものすごい笑顔で喜んでくれたのです。自力ではほぼ動けない子どもたちの親御さんが「目が開いたー!」「笑ってるー!」と驚かれていました。素直に素敵な、ほんとうに楽しい時間でした。こういった経験も和太鼓の持っている力を感じさせてくれます。
太鼓教室もいくつかひらいています。明日香村の魂源堂(こんげんどう)という自分たちの練習場には大人も子どもも何十人も通ってきてくれています。また、オランダに事務所を構えていて、5年前から『YAMATO太鼓スクール(YTS)』という太鼓教室を運営しています。
やっぱり太鼓は、見てもらうだけでなく叩いてもらった方が良い。見てるより叩いた方がずっと楽しい。最近は太鼓も科学的に研究されていて、太鼓には人の心を癒す力があるといわれているのですが、オランダの教室で長く診療内科に通っていた人が「お医者さんから『絶対に治らない』って言われていたのに太鼓を始めてからどんどん調子がよくなって、先生に『もう病院に来なくていいよ』と言われた。」ということもありました。太鼓は心を元気にします。
それと、太鼓は心をひとつにするとも言われます。一緒に演奏し、たくさんの人で音をひとつにしていく感覚が必要とされますし、みんなで太鼓を叩くとひとつになれたと感じることが多くあります。例えば、オランダでは日本と比べて自立心や独立心がとても旺盛で、各自の判断が尊重されるお国柄です。『YAMATO太鼓スクール』でも、みんな最初は自分の演奏をしたがって協調性はあまり感じられませんでした。一緒に太鼓運ぶのを嫌がる人もいるんですよ。「俺は運びたくないし、運びたい人が運んだらいい」という感じなんですが、それでも絶対にやってもらいます。そういうことを繰り返して、その間に一緒に演奏することを繰り返すと、自然と一体感が出てきてそれを楽しめるようになる。また一年に一度、一年間に使って折れたバチを集めておいたものを焚火で燃やし、バチ供養をするのですが、その炎でマシュマロを焼いて食べるんです。自分達が一年間使ったバチを燃やして火を囲んでいると、みんな「助け合わなきゃいけないな」とか「一緒に頑張ろう」という気になってくるようなのです。このスクール、生徒が200人いるのですが、今では大家族という感じがします。孤独感があった人も「こんな風に人と付き合ったことがない」と言う人もいる。そんな人達が気持ちを持ち寄って力を合わせているのを見ていると、太鼓に触れる人が増えたらいいなと強く思います。
2018年にはオランダの教室から70人ほどの人が明日香村にやってきて、倭が明日香村と作っているお祭りで一緒に演奏をしました。そんなふうに、太鼓を通じていろんなものが繋がっているのは嬉しいです。

本インタビューは第27回EU・ジャパンフェスト公式報告書掲載の、2019年に実施されたものです。
続きは7月6日公開