文化と公共空間:文化地区としてのサッシ

リタ・オルランド|オープン・デザイン・スクール  プロジェクトマネージャー

 1974年、マテーラ市は、1950年代から廃墟と化していた古代地区サッシ(洞窟住居群)の再生事業の構想案を募る国際公募を呼びかけました。このコンペは世界各国の参加者が対象で、当旧市街の再生には、都市の歴史的中心に新たな息吹をもたらし、単なる観光名所への変貌にとどまらない、流れのある有機的でバランス感覚に富んだ都市的アプローチが必須であるとする考えが中心に据えられていました。 
    建築家児島学敏氏は、日本から当コンペに参加しました。児島氏の事業構想は、市の歴史的中心地を市民の手に取り戻すことを目的とし、サッシ地区を一般向けの文化イベントが開催できる開放的な公共空間に生まれ変わらせる発想を中心に展開されたものでした。

 その作品の中核をなすコンセプトが、マテーラ2019の一環で誕生した建築家・デザイナー集団オープン・デザイン・スクールにとってのひらめきとなったのです。

 「マイ・マテーラ」は、オープン・デザイン・スクールと日本間においてアイディアや知識の交換を促し、安定した対話の基盤を構築するため、オープン・デザイン・スクールと建築家児島学敏氏のあいだで会合を開くことを目的としたプロジェクトです。

 

 滞在初日、建築家児島学敏氏はオープン・デザイン・スクールのオフィスと研究室が入居するマテーラの歴史的建造物カジノ・パドゥーラを訪れ、オープン・デザイン・スクールのスタッフから歓迎を受けました。

 プロジェクト活動は二部構成に分けられました。2019年5月6日と7日、児島氏のワークショップに参加するため、15名の若手建築家とデザイナーがサッシ地区にある古代建築コンプレッソ・デル・カザーレに集まりました。児島氏は、1974年に自らのプロジェクトを発展させていった経緯と、持続可能で拡張可能な都市建築という理念がなぜ彼の描いた構想の鍵を握っていたのかについて詳述するところから当セッションが開始しました。日本領土の持つ特性が、建築家らに、自然が突きつける挑戦に適応可能な建造物の開発を促しました。この原理は、険しい環境とそれを手懐けようとする人為的努力の微妙なバランスの結果が生んだ、マテーラの特殊な背景にも当てはまります。

 続いて当グループは、サッシ地区の中心部を舞台に伝統的歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ(Cavalleria Rusticana)』を上演するマテーラ2019の公式文化プログラム「Living the Opera(Abitare l’Opera)」プロジェクトの事例研究に取り掛かりました。具体的には、彼らはプロジェクトの第一部である、異なる地点への観客の移動を伴う遊歩型の序幕に焦点を当てて取り組みました。

 児島氏と学生達は、後にプロジェクト活動の開催地となる複数の地点を訪れました。一行は、出演者と観客を収容するのに適したエリアを特定し、ある地点から別の地点までの観客の移動を容易にするため、サッシ地区内で動線をたどる試みを行いました。人数(1,000人を想定して実施)、可視性および可聴性の問題、起こり得る危険性など、複数の要因が考慮に入れられました。

 現場視察を終えた後、メインのオフィスに戻った一行は、サッシ地区の大型地図の作成に着手しました。本段階での最終的果となったのが、出演者の配置に最も適したエリアと最も不向きなエリアを示した報告書で、考えられる支障やリスク、回避を勧める提言といった留意点が列挙されています。またこれには、サッシ地区内で観客に行き先を分かりやすくする工夫として、オペラをイメージした誘導サインや道案内図のスケッチなども盛り込まれました。

 「Living the Opera」を担当した技術チームは、プロジェクト運営管理の最終調整を実施するにあたり、このレポートに感銘し、このように述べました。「当報告書の、観客の配置に最適なエリアに関する評価がとりわけ関連深く、場面ごとの視覚的インパクトを最大限に高めることができました。」

当プロジェクトの第二部は、5月8日、現在はカーザ・カーヴァと称する公会堂に変貌を遂げた、岩を切り出して造られた古代建造物で行われました。建築家児島学敏氏が招かれ、ご自身のプロジェクトの歴史について公開講演を披露して頂きました。

 児島氏は、1974年にコンペを公示した委員会の一員だった建築家のロレンツォ・ロータ氏と、在任中にサッシ地区をユネスコ世界遺産登録へと導いた元市長のサヴェリオ・アチート氏を伴って登壇しました。

 ロレンツォ・ロータ氏はコンペの公示に際して自治体が寄せた願いや期待について克明に語り、サヴェリオ・アチート氏は最終的にサッシ地区の修復がいかに実行されたかについて述べました。児島学敏氏は、調和のとれた都市社会発展のために建築と都市計画が担う役割について説きました。

 児島氏のお話に興味を持つ、主に建築家と市民でなる観客は、当イベントへの参加に積極的でした。観客の多くが、自分達の街が日本というはるか遠くの国からの関心を呼んだ事実に対して好奇心を抱いていたようです。割り込みの発言が一段落した後も、数名の観客から質問が挙がり、講演は長丁場に及びました。

 建築家児島学敏氏の来訪は、オープン・デザイン・スクールが成長し、学習し、革新的発想を用いた試みを行っていく上での根幹となる機会となりました。オープン・デザイン・スクールの若き専門家達は、示唆に富んだ人物から学び、建築が人間と自然のニーズの狭間に介在しながらいかに一都市の発展を強化しかつ支援し得るのかについての児島氏の見識を享受するチャンスを得たのです。

 建築家児島学敏氏はひらめきの源泉であっただけでなく、寛大な世話役でもありました。自らの知識を共有しようと親身で意欲的な児島氏のお姿に触れ、協働する機会に恵まれたことに一同多大な感謝の気持ちを感じています。

 このプロジェクトは、オープン・デザイン・スクールと日本を結ぶ対話の創出にあたる第一歩となり、それが将来の新しい協力関係に向けた最初の礎石を据えることになることを願っています。