パフォーマンス作品『ヒューマン・シェイム』の持つ主要価値

フランコ・ウンガロ|Mediterrean Academy of the Actor、プロジェクトコーディネーター

「あなた達のなかで純粋なアイデンティティを持つ者はいるのか?」

これは、パフォーマンス作品『ヒューマン・シェイム』で最も興奮高まる一場面のなかで、日本人パフォーマー田代絵麻氏が観客に投げかけた問いです。本作は、EU・ジャパンフェスト日本委員会からのご支援を受け、#retetatro41(文化芸術団体)とマテーラ2019の共同制作により実現したものです。

2019年9月、バルカン諸国のモンテネグロと北マケドニアの舞台で、その問いが響き渡りました。ご存じの通り、当諸国には、セルビア共和国とコソヴォ共和国のアルバニア系民族、モンテネグロのセルビア系民族、北マケドニア共和国のセルビア系、ブルガリア系、アルバニア系の民族の存在から窺えるように、歴史的に少数民族が居住しています。これらの国家では、社会の民主化不足と少数民族の権利に対する認識の欠如が原因で、欧州連合への加盟が遅れているのが現状です。

 

こうした文脈および状況において、『ヒューマン・シェイム』のような舞台は、重要な美学的側面においてその使命を余すところなく発揮するだけに留まらず、観客に寄り添いながら、人間の尊厳および人格の中心性、自由、平等、権利といった欧州市民権が掲げる主要価値観の再発見と再我有化へと導いているのです。

「あなた達のなかで純粋なアイデンティティを持つ者はいるのか?」

ここでは、他のどこの都市以上に、役者の発するその問いが挑戦的な意味合いを帯びており、それは対話や相互理解、さらには多様性の尊重へといざなう招待状のようでもあります。

また、『ヒューマン・シェイム』の舞台を引き金に爆発する記憶や願望が、マテーラ2019の価値観を表しています。それはすなわち、偽善を覆し、私的かつ集合的な恥を美へと昇華させ、今もなお性的、人種的、宗教的偏見が浸透している北マケドニアの社会と家父長制文化における因習や強要を打ち破りたいという欲求です。

 

出会いや他者への敬意によって育まれる社会に向けて、そして現代だけでなく、現在と過去と未来が複雑に絡み合う時代に向けて、魂と肉体のバランスが織り成す美へと変化と昇華を遂げる発想およびプロジェクト。 

つまり『ヒューマン・シェイム』のパフォーマンスとは、芸術と社会のための壮大な挑戦そのものといえるのです。

 

このパフォーマンスは、一握りの有識者や専門家ではなく、あらゆる年齢層、性別、社会的および文化的背景の幅広い観客と心を通わせます。

 

本作は万人に通じる言語を用いて、私達一人一人の心に触れる話題を語りかけます。それは観客とコミュニケーションを図るだけでなく、人々が作品と一体となり、積極的に関与し、役者を通じてこの作品に登場する恥と通じ合うことにより、このパフォーマンスそのものが主人公であると感じるよう促します。(観客の皆さんには、用紙に各自の恥を記入していただくよう呼びかけています。) 

監督兼振付師のシルヴィア・グリバウディ氏と役者達による取り組みが奏功し、ユーモア、劇作術的内容、技能そしてプロフェッショナルな技巧がひとつになった、独特な制作方法論を展開させるに至ったのです。

 

その画期的な制作手法は、モンテネグロ、北マケドニアでとりわけ高い評価を獲得しました。これらの国々では、振付の動作についての台本の重要性を理解した上で、言葉とジェスチャーと動作の関係に重点を置いた俳優養成の伝統が長年にわたって強く根付いているためです。

 

『ヒューマン・シェイム』から学べる教訓としては、場面の言語の再構築と革新を図り、ジャンルと技法のさらなる融合を推し進め、観客とのコミュニケーションを決して忘れることなく、演劇とダンスと視覚美術による対話を創出することの必要性が挙げられます。

 

古木氏のバルカン諸国訪問の際に、EU・ジャパンフェスト日本委員会と同委員会のこの都市における具体的な任務についてご紹介いただいたことを受け、本パフォーマンスの巡回公演がきっかけでこれらの国々がマテーラ2019の公式プロジェクトのひとつと関係を結ぶ結果となったことは、共同企画および共創という観点において優れた実践と言うことができます。

 

今や本プロジェクトは、バルカン諸国において進められている、将来の新たな欧州文化首都の候補都市の取り組みに、ひらめきと指針をもたらしています。

 

私達は2020年に向けて、日本や韓国のような、特に若い世代のあいだで恥に関する話題がとりわけ顕著に感受される国々で巡回公演を実施したいと考えています。日本と韓国のアーティスト達と対面し、語り合うことで、制作手法を共有し合い、見識をより豊かなものにしたいという望みがあります。しかし私達は、何よりも増して、この舞台によって気づきの瞬間や人生における多大な希望と喜びがもたらされるであろう若き観客達との出会いに関心を抱いています。