あるがまま、なすがまま。 -「Asia on the Road」の小島屋万助劇場

茂木 仁史|伝統芸能研究家

この夏、デンマークのコペンハーゲンとオーフスで「IMAGES OF ASIA」と題された19日間の催しが行なわれ、関連企画としてこの2都市を含む8都市を「Asia on the Road」が巡回した。
「Asia on the Road」はアジアの国々から集まった様々な芸能が持ち時間15分~90分で次々と上演されるもの。劇場ではなく、可動式の野外特設舞台で朝から晩まで繰り広げられる。舞台は吹き抜けのテント。中央の舞台を囲んで、銀色でいびつにひしゃげた太い柱がアトランダムに立ち並び、銀色に輝く屋根を支え、そこから幾重もの不揃いな三角形の白い天幕が広がっている。その姿は巨大な鳥が翼を広げて飛び立とうとしているようにも見受けられる。Asian Pavilion =「アジア展示場」と名づけられたその舞台は、デンマーク国内8都市で、変哲もない土地にイメージ・オブ・アジアの祝祭空間を現出させ、終われば跡形もなく消え去っていく。通り過ぎていく異邦人は記憶にのみ留まるということか。

その中で、最初の開催都市であるオーデンセの舞台を見た。
オーデンセは、首都コペンハーゲンから列車で1時間半ほど離れた田舎町である。童話作家・アンデルセンの故郷として有名で、そのせいか、どこか「おとぎの国」を思わせるのどかで美しい町並みを見せる。ことにアンデルセンが幼少期を過ごした家の一角は景観保護地域に指定されていて、往時の様子そのままを伝えている。

ヨーロッパの田舎町はどこもそうだが、必要以上の便利を排し、それが秩序有る生活のリズムを作っている。昔ながらの町並みには昔ながらの商店が点在し、夜更けて陽が落ちてのちは、街燈もごく慎ましやかにぼんやりと灯る。家の中もまるでランプの生活かと思うほどしっとり暗く、100Wの電球が煌々と隈なく照らすなどということがない。必要な場所を必要最低限の光で照らすのみなのである。

オーデンセにはアンデルセン博物館と併設して、子供がアンデルセンの世界で創造的に遊ぶための施設、通称「火打ち箱」がある。ネズミの扮装をして屋根裏で遊んだり、顔に森の妖精のペインティングを施して木の子の森でかくれんぼをしたり、お絵書きや工作などの楽しめる施設である。ここのトイレにびっくりした。地下にあり、そこへ至る階段はすでに薄暗い。降りると八畳ほどのスペースがあり、天井から不気味な蔦のようなものが無数に垂れ下がっている。目を凝らすと宝の箱があり、その奥に目のギョロリとした大きな犬(むろん作り物)がうずくまっている。彼方に目をやれば王様のイスがあり、その傍らに首のない魔女が立っているではないか。小さな子供が成長する過程でトイレに一人で行けるようになることは重要なことである。私の父方の田舎など、トイレは母屋にはなく、外の牛小屋の脇であった。夜、牛が尻尾で蚊を追う隣で用を足すのは怖かったが、無事に戻るときの達成感もあった。この施設ではトイレに至る道がおどろおどろしい。暗く不気味な世界もまた、子供が通過・克服すべき世界ということなのだろう。さらに勇敢な子供は、犬の前に置かれた宝箱を開けて見るだろう。すると、奥にうずくまっていた犬が、圧縮空気のプッシュー!という轟音を立てながら、眼前に迫ってくるのである!
実はこれらの仕掛けは、施設の通称でもあるアンデルセンの童話「火打ち箱」をモチーフとしているのだが、この物語を知らない人のために、読んだときの発見や感動があるよう、これ以上詳述することをやめておく。

話を本題へ戻そう。オーデンセでの「Asia on the Road」、日本からの参加は小島屋万助劇場であった。小島屋は、アジアにおけるパントマイム様式の確立を目指している。ヨーロッパで発祥したパントマイムは、それゆえ西洋の生活様式の記号化という側面がある。そこで小島屋はパントマイムの日本での様式を模索するとともに、韓国・タイ・香港などの仲間らと協同して「アジア・マイム・クリエイシヨン」を立ち上げ、この10年ほどの間に各国でフェスティバルを開くなど、成果を上げている。
一時間弱の舞台は、小島屋万助演じる三つの作品と、それをつなぐ羽鳥尚代演じるインターバル用のショート・コントで構成される。
メイン・プログラムは、「抜けた男」「意味のない二人」「笑う男」の三作品。
「抜けた男」はストレスのかたまりのようなサラリーマンが、日常的なイライラが最高潮に達したとき、身体の穴からまるで空気が漏れていくように、何かが〈抜ける〉というもの。必死に漏れ穴をふさぐ姿は滑稽であり、もの悲しくも見えるのだが、終いにはある種の諦観とともに抜けることの至福へと至る。
「意味のない二人」は小島屋と羽鳥の二人で演じる意味のない世界。無感情に展開するナンセンスな二人の距離感は、現代社会を映し出す。
「笑う男」は小島屋の代表作。絶望し、死を決意したサラリーマンが首を吊ろうとするまさにその時、足元に落ちていたのは顔にかざすと笑いが溢れるという不思議な額縁であった。サラリーマンはその額縁で遊んでいるうち、絶望の死よりも笑って生きることを選ぶ。

オーデンセの人々は「アジア人のパントマイムによる現代のおとぎ話」をどう受け止めただろうか。
オープニングでの期待感、つづく若干の戸惑い、そして小島屋の世界のルールを理解したときに訪れる、ククッとこみ上げるくすぐったいような笑い。ほぼ小島屋のねらい通りだったのではないか。そしてそれは「Asia on the Road」という仕掛けの中に置かれたことで、よりいっそう鮮明になっていたようだ。韓国のサムルノリ、タイのTシャツパフォーマンス、アフガニスタンのポップス、フィリピンの神子儀礼をモチーフとした現代パフォーマンス、などなど。雑多で意外性溢れるラインナップにはテーマや目指すべき到達点がない。これは整理されたコンビニエンス・ストアのショーケースではなく、角一つ曲がると別の世界が広がる、アジアの市場の万華鏡のごとき混沌である。ヨーロッパの人々は、自国の文化に対し頑ななほどゆるぎない自信を持ち、一方で異文化をありのままに認めていく姿勢を持っている、と思う。国ごとに異なる文化が隣り合わせている大陸で、自然と身に付けていった処世術なのだろう。ただし、本物を見抜く力も鋭い。その観客に、Asian Pavilionは極めてクールにアジアの現在を提示した。統一性を持たせず、何の解釈も加えない不親切さが、観客の望みに叶っているのだろう。
オーデンセの駅前の公演に忽然と現れたごちゃまぜのアジアは、すぐに消えていくという大前提があって、その輝きを増していた。印象深い体験として、この夏のヨーロッパの猛暑とともに、深くオーデンセの人々の記憶に留まるであろう。

 

デンマーク「IMAGES OF ASIA」のサイト
http://www.images.org
 
小島屋万助劇場のサイト
http://www.geocities.jp/kojimayaman