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[Vol.84] 盆栽の道

マチェイ・ポゴジェルスキ

ポーランド日本親善友好財団
業務執行理事

あまりにも私的なアプローチであることをお許しください。私は盆栽に関して困難を感じることがあります。私はガーデニング、とりわけ日本的な庭造りをこよなく愛し、我が家の庭もわずかながら日本風に手入れするよう心がけています。しかし植物の枝を切らざるを得なくなるたびに、申し訳ない気持ちに駆られるのです。そして心の中で植物にこのように語りかけている自分がいます。「ごめんね、やらなければいけないんだ、君のために良いことなんだよ。」これは宗教的信念といった類のものではなく、恐らく単なる子供じみた本能がそうさせているのでしょう。

しかし年月を追うごとに、我が家の庭が成長していく様子を眺めながら、剪定の必要性を実感しています。そして私はますます多くの枝を切るようになり、植物はこれまで以上に美しく見えるようになりました。

その限度はどこにあるのでしょうか。私は展示会で盆栽を見ながら、その姿にただ見惚れます。しかし実演で盆栽が素早く形造られる様子を目の当たりにした途端、依然として痛ましい感覚を払拭することができないのです。何はともあれ、今回ばかりは克服せざるを得ませんでした。私は盆栽展の共同主催者となったのですから!

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このプロジェクトは、約半年前に二人の盆栽作家ヴォジミエシュ・ピエトラシュコ氏とミハウ・マラフスキ氏を交えて行われたポーランド日本親善友好財団「波」の会議の場に旗揚げされました。両氏は、幸運にもヴロツワフに本拠を置くポーランド盆栽協会で理事を務めています。ミハル氏は非常に敏腕な主催者で、ヴォジミエシュ氏は何年も前にポーランドにおける盆栽人気の火付け役となり、多大な発想で樹形形成の技について語る人物です。 

私は、同氏が盆栽とは何かについて触れた非常に端的な解説に感銘を受けました。盆栽はまさに文字通り「鉢に入った木」であり、樹木と鉢を絵画と額縁になぞらえています。絵画は西洋文化において極めて重要な存在で、私達のほとんどが絵画と額縁の関係を理解しています。私達は額縁が特定の絵画に合うか否かをほぼ直感的に見分けます。ヴォジミエシュ氏は、決まって20世紀のある時期に「流行」となった額縁のない絵画を例に挙げ、鉢のない盆栽は誤った発想であると聞き手を説得します。これはいささか過剰解釈にも感じられ、この点について私は同意できません。なぜなら額縁のないイーゼル画だけでなく、非イーゼル画で建築的構図の一部としてもともと額が縁取られているもの(あるいは額縁を必要としないもの)も存在するからです。人類の歴史の大半において壁画が視覚芸術の大部分を占めており、過去数世紀のあいだに主流となったイーゼル画はそのわずか一部分を担っているに過ぎません。盆栽も小型樹木形成における可能な形態であるだけに留まらず、同様に主流といえるでしょうか。私は盆栽が建築的構図における不可欠要素としてデザインされた際に、鉢のない盆栽がどのように見えるのか理解を試みています。

イベントの話に戻りましょう。準備全般については、誰にとってもそれほど興味深いことには思えませんので、これだけ述べさせてください。ポーランド盆栽協会の盆栽作家のように、これほどまでに熱心で専門的な方々と仕事を共にできたことを、本当に大変嬉しく思います。

そして遂に大切な日がやって来ました!

私は特別ゲストと対面する心構えが十分に整っていることを願うばかりでした。私はインターネット上で得られる英語で書かれた情報をかなり読み、たくさんの写真を見ました。両氏が異なる生い立ちの持ち主であることを知りました。平松浩二氏は盆栽栽培の伝統を受け継ぐ四代目で、生まれながらにしてひたすらこの職に従事しているのに対し、ケヴィン・ウィルソン氏は自らの選択と才能だけで一代で名を成した盆栽作家です。私は平松浩二氏の「小品」とケヴィン・ウィルソン氏の「山採り」と呼ばれる各氏の作風に関する基礎的な情報について学びました。

しかし実のところ、この二名のゲストの真の対照性はどことなく意外といえました。

一目見て対照的だったのが、容姿でした。ルーベンスを彷彿とさせる体格の良いケヴィン・ウィルソン氏は、発想豊かな芸術家さながらであると同時に、エセックスのパブからやってきた男性のようでもあり(ケヴィンさん、どうぞ許してください。)、その一方で平松浩二氏のは典型的な日本人らしく細身の体形でした。

続いて目に留まったのが気風の対照性で、ケヴィン・ウィルソン氏はやや豪快な印象で、平松浩二氏は控えめながら朗らかでした。そして実演とワークショップが開始すると、二通りの作業方法にもコントラストが見られました。ケヴィン・ウィルソン氏が髪に木屑を散らしながら際立った風貌で電気工具を手に作業をするのに対し、平松浩二氏は手工具のみを用いて、多大な集中力で熟考を凝らす仕草で、必要な時だけ力を込めていました。

そして最後に、完成作品に見られる対照性。趣きは全く異なりますが、どちらも同等に刺激的でした。こうした相違点を考えると、これほど独特な個性の持ち主から共通点が見出せるとは思いにくいところですが、ただこれだけは言えました。二人の芸術家は、ともに非常に率直かつ開放的で、両氏とも作品作りを心底から楽しみ、それぞれの技能を披露し指導することに喜びを感じていました。

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重力や風の勢いを表現することで樹木がつまらなく見えないように仕立てる方法を説くケヴィン・ウィルソン氏の簡潔な指導を私は忘れません。また平松浩二氏が自らの作品を気に入ってもらえたかと観客に真摯に尋ねる光景を忘れることはないでしょう。

両氏はふたつの異なる道のりを歩みながら、双方の道のりが盆栽という大いなる道の内に存在していることを私達に示してくれたのです。 

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