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[Vol.209] コロナ禍の欧州へ 事務局・古木の訪問記(その11)

古木修治

EU・ジャパンフェスト日本委員会 事務局長

日本文化も西洋文化も世界共有の宝

私はフランクフルト空港を乗り継ぎで利用することが多く、今夏の欧州訪問も同様だった。空港内ロビーでいつも立ち寄るのは、ゲーテ像がど真ん中に設置されているカフェだ。ご存じのように、18世紀後半から19世紀にかけて活躍したゲーテは詩人、劇作家、小説家、自然科学者でもあり、そして、ワイマール公国の宰相として政治家を務めるなど広い分野で活躍した。彼はグローバルプレーヤーだった。ゲーテが後世に及ぼした文化的影響は極めて大きい。1999年の欧州文化首都にワイマールが制定され、彼の思想は今なお欧州文化首都の精神に息づいていた。ゲーテは、現代にも通じる、輝くような言葉を残した。
「愛国的な文化は存在しない。愛国的な学問は存在しない。いずれもが世界的な財産であり、過去の遺産に成り立ち、今現在の刺激をもとに未来へむかって成長してゆくものである。」

フランクフルト空港ロビーのゲーテ像

我が国、日本は17世紀から19世紀後半まで鎖国政策を続け、海外との接触を断った。やがて1868年、開国した日本はどん欲に西洋から多くの文明、文化を学び取った。それまでの260年間の孤立は、日本が独自の文化を掘り下げる重要な時間であり、日本の文化的キャパシティーを広げた。結果として、日本は独自の文化を守りながら、世界から多くの文化を受け入れた。その後、西洋も日本の文化に眼を向け始めることとなる。

現代においては、世界中のあらゆる文化が共有されるか、或いはその途上にあり、その潮流の中で、欧州文化首都の果たす役割は実に大きい。その一つの例を挙げたい。
私は、2017年1月ノヴィ・サドで地元の合気道の道場を訪問した。私自身、大学時代に合気道部の主将を務め、50年前、短期留学したロンドンでも現地の合気道の道場で稽古した経験があったので、セルビアでの現状には大変興味があった。合気道は、今から100年ほど前に植芝盛平によって始められた武道だ。合気道は、植芝氏が日本の伝統的な柔術や剣術などの武術を研究し、彼独自の精神哲学でまとめ直された武道である。武力によって、勝負を争うことを否定し、「調和」「愛」「自然を敬うこと」を大切な要素としている。それ故、欧州では「動く禅」とも呼ばれている。

4年前、厳寒のなかの稽古の様子/ノヴィ・サドの合気道師範ミランさん(右)

2017年1月のノヴィ・サドは寒波に襲われ、ドナウ川も数十年ぶりに凍結した。極寒の中にあって道場は熱気に包まれていたことを思い出す。師範のミラン(Milan)さんの指導の下、多くの門下生が白い息を吐きながら稽古を続けていた。日本発祥の合気道は、世界140か国以上に広まり、ミランさんはセルビアを中心にバルカン諸国、南欧での合気道の普及に力を尽くしている方だ。ミランさんが長年にわたって師事している方は、清水健二師範。清水氏は合気道の創始者である植芝盛平の高弟の一人であり、1969年に独立し「天道流合気道」を創設。現在では、子息の健太氏とともに、ヨーロッパや世界各国での指導に当たっている。

かつて、ノヴィ・サドも戦乱に見舞われNATOの空爆にも襲われた。ミランさんは、2021年の欧州文化首都開催に合わせ、欧州各国から参加者を募り、合気道のセミナーを計画している。誰が20年前に、この計画を想像できただろうか?今年の夏、ノヴィ・サドで、私はミランさん達と今後の展開を語り合った。彼の輝く瞳を見ながら、ふと、かつて彼が漏らした言葉を思い浮かべた。
「もし、多くのバルカンの人々が合気道を知っていたら、私達はお互い闘っていただろうか。」
歴史に「もし」はなく、私たちは過去の歴史を変えることはできない。しかし、私達には共通の未来がある。これから挑戦できることは、限りなくある。コロナ禍で世界の連帯はますます強まった。小さな努力を重ねつつ、お互い力を合わせてゆくことはできる。私はミランさんと再会しそう確信した。

今夏、ノヴィ・サドにて。ミランさんと合気道の仲間たち。

※次回は10月6日

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