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欧州文化首都における日本関連プログラムを支援しています

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[Vol.265] ブルーディナー

ディミトリ・マレ

アーティスト/COOPra asbl副代表

「L’heure bleue(ブルーアワー)」は、明け方に空が一面エレクトリックブルーに染まり、自然が完全なる静寂に包まれる、この特別なひとときからインスピレーションを受けて生み出された建築、インスタレーションならびにイベントを盛り込んだ領域横断型プロジェクトです。

 

「ブルーアワー」プロジェクトは、欧州文化首都エッシュ2022の一環として参加しています。

 

私達は、コンサートから、生物学者、言語学者、美術史や建築史の学者らを迎えたトークイベントにいたるまで、さまざまなイベントを共同企画しました。各々のイベントが、静寂やエコロジーや色など、ブルーアワーを取り巻くいずれかの側面とリンクしています。

 

EU・ジャパンフェスト日本委員会からのご支援をいただき、6月には農業家のエレーヌ・ルグレン氏と日本人詩人の関口涼子氏による対談を開催しました。本イベントの二部構成をなしたのが、トークとディナーでした。

 

このトークでは、現代世界はいかにより良く食べることができるか?私達はいかに食物をより良く生産できるか?ひとつの色を食べるというのはどのような感覚か?生物を再考する方法とは?タイミングとはどんな味がするのか?といった疑問を突き詰めて議論していただきました。トーク終了後のディナーでは、青色を食べることによって、私達の身体と魂に内在する「青」を体験しました。

Ryoko Sekiguchi’s speech ©Jacqueline Trichard

このイベントの構想を描くにあたり、私に影響を与えた二冊の本があります。その一冊が、関口涼子氏の『Nagori』です。これは季節の終わりに漂うメランコリーについて詠った詩です。二冊目は、福岡正信氏の『自然農法 わら一本の革命』で、これは著者が自然農法の哲学について説くとともに、現代社会と、農業界に従事する現代人の知識を考察したものです。これらの二冊の本を読み、私は、生態系に身を置きながらそれを破壊している人間であることはどういうことなのか理解し、どうすれば道徳的に回避することが可能なのか、あるいは少なくとも溢れる希望を持つことはできるのかについて考えさせられました。

 

本イベントがこれら二部に分かれて実施されたことで、私達は、その方法のひとつとは、言葉だけでなく、時間、熟視すること、さらには人間以外の他の生物を通じて図られる共有やコミュニケーションであるということへの理解を深めることができました。

 

これには、自分達の身の回りのものに問いを投げかけること、注意を向けること、耳を傾けることが伴います。なぜならば、私達は自分達を取り巻くもので出来ているからです。

「気象現象が私達のなかに入り込む。決まった時間にではなく、いつも。私達は、自分達を取り巻く空気、明るく照らす空とともに、絶えずダンスを舞い、変容を遂げている。私達は他のものたちを体内へと迎え入れる。採れたての新鮮なそれらを口に入れたいと思うのは、そうすることで私達の身体が、その日の空により近づいたことに気づくから。一日前の空気を吸い込み、ブルーアワーを感じた生命が私達のなかに入り込む。輝きの、ブルーアワーの共有。やがてそれらは、私達がたったいま見つめていた空の色を身に纏い、私達の身体に息づいてゆく。」(1)

Dishes for the dinner. Vegetables from Hélène Reglain’s farm (La Ferme d’Artaud). ©Jacqueline Trichard

エレーヌ・ルグレン氏は、自らを農業家ではなく「野菜ブリーダー」と公言し、それがすべてを一変させています。その結果、生物の階層関係が耕され、混ざり合います。この呼称には、溢れんばかりの優しさが込められているのです。それは、福岡氏が感じていたこと、すなわち自然のなかに生きる人間が抱くこうした謙虚な気持ちにそのまま置き換えることができます。

「人間というものは、何一つ知っているのではない、ものには何一つ価値があるのではない、どういうことをやったとしても、それは無益である、無駄である、徒労である。(中略)一般的に考えれば、人間の知恵ほどすばらしいものはない、人間は万物の霊長として、非常に価値ある生物であるし、人間がつくりだしたもの、なしとげたもの は、文化にしても歴史にしてもすばらしいものだ、と誰もが信じている。(中略)人知、人為は一切が無用である」(2)

 

私達は、宙を漂うようなこのひとときに、言葉を食べ、野菜に耳を傾け、香水を眺め、逆さまの感覚を覚えながら、ともにコミュニケーションを交わしました。私達の体内で、味が口のなかで消えてなくなるとき、あるいは香水が幾万もの微粒子に霧化し、記憶を頼りに香るしかないときなど、明確に言葉で表現しがたいものがあります。私達が「ブルーアワー」で分かち合ったひとときは、まさにそのようにふるまい、そこには束の間の静寂の瞬間や青空をはるかに超え、昼と夜をも超えた壮大さがありました。

 

私達は、「ブルーアワー」というプロジェクトを、旅するプロジェクトとして考えました。遊牧民がアクロバットの技を披露して楽しむサーカスのテントのように、建築や芸術作品を解体可能にし、新たなブルーアワーを食べ、新たな言語、新たな声、さらには声なき声までもを発するために、私達は異国のどこかの場所にそれを再び構築できるよう望んでいます。

 

ディミトリ・マレ、2022年7月

 

1- 関口涼子『The blue dream(青の夢)』(2022年)「ブルーアワー」プロジェクトに寄せた書き下ろしテキスト

2- 福岡正信『自然農法 わら一本の革命』(1975年)、ギ・トレダニエル版(2004年)

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