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[Vol.79] 距離の克服:存在力を検証する

第23回EU・ジャパンフェスト
第16回メディアアートビエンナーレWRO2015「Test Exposure」

アグニエシュカ・クビツカ‐ジェドシェツカ

画像レジストレーション技法の分野に由来する歴史的概念「Test Exposure (テスト露光)」が、第16回メディアアートビエンナーレWRO 2015のタイトルに選ばれました。その多面的定義が、現代美術の幅広い分野における実験的アプローチの必要性を示唆しているためです。またそれは、特定のパラメータを用いることで発想や現象に光明を投じる芸術の持つ力を想起させてくれます。

カナダ人の映像作家でWRO 2015の参加者であるマリエラ・ニトスワヴスカ氏は、このように言及しています。「(前略)適切な見方がないのと同様に、『適正露出』というものは存在しません。いかに露出するかは、何を露出するかを意味するのです。」

「適正」な露出の客観的パラメータは、写真・映像主体の時間芸術に関していえばかなり明白です。このプロセスにおいて、人は一定の光量と時間を必要とし、被露出物体は技術的機械装置からある一定の距離に位置しなければなりません。しかし適切な露出を整え、現代ならではの多様なアプローチや形態、技法からなる現代美術の実践を有意義に展観するために私たちがすべきこととは何なのでしょうか。展示空間をアレンジし、多彩な発想やコンセプトを自由に共鳴させるには、どういったツールやメカニズムが必要なのでしょうか。いかにして作品の発表を取り巻く慣例を検証しつつ問いを投げかけ、観客を獲得し、作家およびその作品、展覧会主催者、視聴者の間のコミュニケーションの空間としての展覧会のフォーマットを試みることができるのでしょうか。

現代美術の展示という形式をとるコミュニケーション空間を構築する上で、肝心な要素といえるのが存在だと考えられます。メリアム・ウェブスター辞典によると、「presence」という言葉は、特定の場所にいるという事実、存在する状態、また誰かに近接する場所を意味します。空間的な遠隔性を乗り越え、人々が相互に関わり合わない状態を克服するためには存在が必要となります。つまり、私たちは相互関与の結びつきを築くために現場にいることが不可欠なのです。

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©Mirosław Koch

コミュニケーション媒体を利用して、事実上距離を克服することは明らかに可能で、私たちは様々な異なる方法でテレプレゼンスを実践しており(テレプレゼンスの概念がメディアアートにおける影響力のあるトピックとなって久しい)、たとえ同じ言語を話さなくても遠隔で作業を行っています。しかし関係者が実際に物理的に面前にいることが、相互理解や遂行される行動の質の水準に深遠な変化をもたらすのです。

これはWRO 2015メディアアートビエンナーレで日本人作家の作品展示に際して協力するなかで得た私の考察です。遠隔作業で作品の展示を極めて精巧に行うことも可能ではありますが、ヴロツワフの国際色豊かなコミュニティに隣接するエリアで展開されたこのイベント自体に作家達が集結し、現場における作家の実在感と他者とともに存在する状態が、作品に強力な付加価値をもたらしたといえます。

今年の初めに東京で出会った数名の作家やキュレーターと再会できたことを喜ばしく思います。2015年学生CGコンテストでグランプリを受賞した若手作家のノガミカツキ氏は、WRO 2015が実施した公募に2つのパフォーマンス作品を応募していました。私たちは東京で対面し、この出会いがきっかけとなり彼の芸術的実践についてより理解を深め、最終的にそのプロポーザルを採用するに至りました。

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©Mirosław Koch

彼はおそらくWRO 2015ビエンナーレの会期中最も高い認知度を誇ったアーティストのひとりで、その参加型パフォーマンス「山田太郎プロジェクト」は、公共空間を舞台にヴロツワフの市民ならびにフェスティバルの観客を巻き込み展開されました。作家は数日間にわたり、ボランティアグループと共同で取り組みました。なかにはヴロツワフのエウゲニュシュー・ゲッペルト芸術デザインアカデミー、メディア芸術学科の学生の面々も含まれています。外国語での言語コミュニケーションという障壁がありながらも見事に協力し合い、相互理解という空間において当人同士およびヴロツワフの市民と高度な非言語レベルでの意思疎通を図っていました。企業体によって操られるソーシャルネットワーク上でのプライバシーや人間関係の搾取といった深刻な問題を痛快に扱うアクションでした。ふたつ目のパフォーマンス作品「レキオン -轢音-」は、観客の焦点の方向をシフトさせ、作家自身の体内を音響楽器とする発想を取り入れた作品です。特殊マイクや超音波スピーカー、特別なソフトウェアにより、作家の頚椎の骨の動きによって生み出される通常は耳にすることのない関節内轢音を聞くことができます。その音は、ロボットアームに取り付けられた超音波スピーカーを通じて聞くことができ、そのアームの動作はパフォーマーの頭の動きと同期しています。作家自身の体内からの実況放送が繰り広げるノイズ音のパフォーマンスが、観客の注目を集めました。

2005年のWRO ビエンナーレで初披露され、今年再びカムバックを果たした松村誠一郎氏の双方向型インスタレーション「Dancing Mirror」は、愉快なインタラクションを創り出すために観客の存在がなくてはならない作品でした。隠しカメラが通りかかった人の動きを捉え、シンプルで陽気なメロディーに乗った反復するジェスチャーや加速する動きが創り出す切れ目ない踊りの振付けに一変させるというものです。これは大学図書館新館で開催された「Test Exposure」展の入り口を飾る作品となり、シンプルでありながらパワフルな魅力で観客を歓迎しました。私はそこで展覧会の監視や来場者へのガイドツアーを行いながら、このシンプルな作品が発する溢れんばかりの笑いや喜びを目の当たりにしました。この作品の空間に足を踏み入れる前は他人同士だった人々が、このコラボレーション型のダンスの振付けを通じて協力し始めるのです。この作品は、お子様連れの家族向けに特別に企画された順路で通常展示を巡るガイドツアーを用意する「リトルWROプログラム」を構成する作品のひとつでもあります。特にWRO2015ビエンナーレのオープニングの週に作家自身がその場に居合わせ、ほとんどの時間を作品の傍らで過ごすなかで、こうした世代を超えたインタラクションが繰り広げられたことは、素晴らしいことです。

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©Marcin Maziej

若手アーティストで「恋愛の大饗宴」の共作者でもある三谷悠華による、露光された8ミリフィルムに直接スクラッチ、ペイントして創り出された実験的映像は、おそらくヴロツワフにおける作家の存在により最も恩恵を得た作品といえるでしょう。彼女にとっていわゆる師匠といえるドイツのウォルフ・カーレンのメディアアートの傑作についての長いディスカッションや、上映会で長時間を過ごし、展覧会を見て回りながら、明らかにフェスティバルの雰囲気を満喫している彼女の様子を私は嬉しく観察していました。今回が三谷氏にとって初めての海外の国際映画祭出席となりましたが、他の作家や作品と熱心に触れ合う姿に感銘を受けました。

WRO 2015でプレミア公演を果たしたRyo Ikeshiro氏のライブ生成による音響映像パフォーマンス作品「Construction in Kneading」もまた、作家の存在がなければ実現しなかったもうひとつの作品です。観客は、マンデルブロ集合に触発されたn次元フラクタルに基づく仮想生命体の形状に寄せる作家の思索的な探求心を称賛していました。音響と映像をリアルタイムに生成するデータとアルゴリズム的手順が織りなすこの生の「オーディオビジュアライゼーション」は、極めて独創性の高い美学の一例を呈したといえます。

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©Małgorzata Kujda

WRO 2015ビエンナーレは、専門家間の交流と絆を築く場を創出したといえます。そんな意義深い存在の実例として、今年初めに東京でお会いした東京都写真美術館でキュレーターを務める岡村恵子氏が敢行したポーランド視察旅行が挙げられます。岡村氏は、WRO 2015美術雑誌評論家編集者賞の審査団の一員である四方幸子氏と同様に、当フェスティバルのイベントを細部にわたって注視していた人物です。この場でご一緒したことにより、私たちは2016年に向けて計画中の展覧会「エコ・エクスパンデッド・シティ」の日本プログラムにおけるプログラム提携のさらなる可能性について話し合うことができました。

すべてのプランが実現したわけではありません。特定の作品に伴う空間面や輸送面での要求を考慮し、自分たちの限界を受け止めざるを得ませんでしたが、それでも当プロジェクトの総合的な成果は、極めて満足のいくものだったといえます。2016年のECoCヴロツワフと恒例となる次回の2017年WROビエンナーレを控え、私たちは今回かなわなかったプロジェクトを実現させるさらなる可能性を抱いているのです。

アグニエシュカ・クビツカ‐ジェドシェツカ
2015年7月30日

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