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[Vol.40] 隔たりのない人とパフォーマンス

第19回EU・ジャパンフェスト
「シビウ国際演劇祭:ボランティアスタッフ派遣事業」

山口 由利子

2011年シビウ演劇祭ボランティアスタッフ

ルーマニアといえば、私が生まれた年に、独裁政権から自らを解放するべく、革命が起こった国。シビウといえば、「地球の歩き方」にも載っていない、トランシルバニア州のとある田舎町。しかし、そこでエジンバラ、アヴィニヨンに続く規模の国際演劇祭が毎年行われている。パフォーマンスの多様なレペトワが高く評価されている上、昨年のルポによると、挑戦の多いボランティア内容だったとか。美術史および文学とパフォーミング・アーツに大学で魅了され、なるべく多くの芸術文化に触れ、アートとコミュニティについて考えたかった私は、好奇心とチャレンジ精神の赴くままに、ボランティア参加を決定した。

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フェスティバル中はビデオ部で、昼と夜が逆さまなスケジュールで10日間活動した。夕方から夜にかけてはカメラマンと同行し、パフォーマンスや観衆の様子を撮影するのを手伝った。そして明け方までに、その日に録画したテープを編集し、翌日YouTubeを始め、大広場やRadu Stanca劇場のスクリーンを通して、人々がその日のフェスティバルの様子を見ることができるよう、わずか4分のダイジェスト版ビデオの制作を補佐した。今年のビデオ部は私を含め、ボランティア5名とリーダーの6人で構成されていた。実は外部メディアに頼らず、フェスティバルが独自のビデオ部を設立したのは、たった3年前で、実際にフェスティバルの様子を撮り始めたのは去年からだった。故にか、フェスティバル中は技術上のトラブルも絶えず、私の役割の大半は、絶えず喋り続け、人を宥め、作業のテンポを保つことだった。

空っぽの劇場に居残り、静まり返った中庭で休憩をとると、よくビデオ部の改善策が話題に上った。「カメラマンを増やせば、編集に専念できるんじゃない?」と提案すれば「トレーニングをする時間がない。」と返される。「じゃあ来年は、日本からカメラマンのボランティアを希望したら?」と冗談で言うと、「ボスのキリアックが求めている映像は、一緒にずっと作業をしていなければ分からないんだ。」と顔をしかめられた。意地っ張りだと思いつつ、確かにこのフェスティバルの中心となる人々の拘りや結束、信頼が、成功の鍵だと思った。金融危機の影響でルーマニアの芸術文化活動に対する資金が南へと流れて行く中、シビウ市はEuropean Capital of Cultureに認定されるなど、必死に戦っている。この姿勢は、特にコスティンや、ボランティアスタッフを統括しているラヴィニアの、身を削るような作業の様子を見て切実に感じた。彼らがそこまでするのは、このフェスティバルに意義があるという確信と、大きな愛を抱いているからだ。コスティンは絶えず「これ以上仕事が増えたら辞めてやる!」と嘆いていたが、ボランティアも同じで、いくら不平不満があっても、翌年もまた参加してしまう。何が魅力なのだろう?撮影をしながら「これ、本当にいいショーなんだよ。」と囁いてきた私のパートナー。「あの俳優、すごく素敵だったの。」と目をキラキラさせていた私のホスト。辛口なコメントもあるが、それらは全て強い感情に象られていて、決して無関心や中立を感じさせない。フェスティバル側も、優秀なボランティアには旅行券を与えたりと、厳しさの反面、彼らの協力を重宝している。色々なドライブがあるからこそ、このフェスティバルは、ここまでコミュニティに根付いているのかもしれない。

私は役職柄、多くの会場に行き、パフォーマンスを垣間見ることができた。会場に関しては、劇場はもちろん、学校、廃墟、パブ、大通りや広場を使ったパフォーマンスが多く、バラエティに富んでいた。(「しっ、聞こえないよ!」と後ろでざわめく観客を、ビールを片手に、他の客が制するような光景をパブで見たのは、これが始めてだ。)特にコンサートやスペクタクルが行われた大通りや広場では、パフォーマンスと観客の間に面白い関係が見れた。例えばAktionstheater Pan OptikumのTRANSITion-大広場のメインステージと共に、移動する小さなステージを数個使用していたが、それらは、広場の人ごみをかき分けるように、手動で移動させられていた。日本であったら、観客の位置を固定させるだろうが、そのような係は一人もいない-というか必要ない。観客はステージが動くと、戸惑いもなくさっとどき、吸い寄せられるようにまたステージを後から追いかける。大通りでも同じく、アクロバチックなものが多いのにも関わらず、役者と観客を隔てるものは何もなく、観客は己の定めた距離を保ち、ぞろぞろとパフォーマーたちと平行して移動する。Radu Stanca National TheatreのFaustも、室内でありながら、観客を巧みに歩かせた。芝居中、ファウストとメフェストフェレスと共に、観客までもが舞台の間に開かれた道を、奥の「地獄」に誘導される。衝撃的であり、観客もパフォーマンスの一部として信頼されている。

印象的だったのは空間演出だけではない。確かに元工場だったLibera HallやSimerom Hall、これらの空間使いには目を奪われた。大広場も夜のパフォーマンスでは、ライトや観客で溢れ返る様子、広場を囲む建物に写る役者のシルエットなどが絶妙な空間演出を織り成していた。しかし、それ以上に目を引いたのは役者だ。今年は景気も悪いせいもあり、一人芝居が多かった。彼らは一人の人間の可能性を見せつけてくれる。特にRadu StancaのFeliiでは、Ofelia Popiiが一人七役を演じ、人に内在する様々な側面とドラマについて考えさせられた。決して経済的な余裕が優れた芸術文化を生み出す訳ではない。不自由や障害があるからこそ、それを乗り越えようと面白い工夫がなされる。

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ステージで見る人と同様に、私にとって、フェスティバルで親しくなったシビウの人々も面白かった。嬉しいときには目がキラキラしていて、ストレスを感じているときには黙りを決め込む。嫌なことがあればそれはそれは大げさに嘆く。日常がドラマで彩られていて新鮮だった。果たしてこれは演劇が身近にある故だろうか?シビウに行く前に、私は、演劇とは現代社会に多くの刺激をもたらすアートの形だと書いた。言葉や動作、音楽やダンス、舞台の空間使いなど、様々な方法を用いて観客に訴えかけることができ、即時性がある。同じ空間を共有している観客に強い印象を与え、揺さぶり起こす。実際にシビウで見たパフォーマンスの多くでは、役者と観客の間の距離が感じられなかった。そのせいか、観客は目の前で繰り広げられるものと自分との関係性を密接に感じやすいと思った。

余談だが、シビウの人々は地元で採れた食物を好み、説明するときによくbioという言葉を使う。しかしEU加盟と共に、食品衛生に関する規制がかけられ、農家もコミュニティとの自由なやり取りがし辛くなった。「幼い頃から賞味期限なんかついていないお隣さんのチーズを食べてきたけど、一度も腹痛にならなかったよ?新しい規制なんか必要ないよ。」と私のパートナー。Dan Perjovschiが劇場の外壁に描いた幾つもの風刺絵の一つにも、バラバラになった星たちがEUの星の輪に対して「君たちいつまで輪っかになってるの?」と呼びかけているものがあった。シビウの人々は変わりゆく首都ブカレストのよりも、少し古びていて、愛嬌のあるこの街を好んでいるようだ。そんな歴史を保ちたい、伝えたいという声は滞在中よく耳にした。要するに、シビウの人々は自分たちのコミュニティーに対して「こうでありたい」というイメージを強くもっている。 フェスティバルに関しても同じだ。日本にいる私たちも不穏な空気が滞る中、今一度自分や自分の周りのあり方を再考慮すべきだと思う。強い意志があってこそ、印象的な芸術文化活動は成り立つのではないだろうか。

v40_3 最後になったが、貴重な経験をさせてくれたEUジャパン・フェスト、FITSの皆、日本人ボランティアの皆とホストのStoicescu家に感謝の意を示したい。Mulţumesc!

◎第19回EU・ジャパンフェスト:「シビウ国際演劇祭:ボランティアスタッフ派遣事業」プログラムページは コチラ

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