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[Vol.39] 2011年3月11日を越えて

第19回EU・ジャパンフェスト 「昭和40年会-ウィアー ボーイズ!展」

長谷川仁美

本展キュレーター、昭和40年会マネージャー

本展開催のきっかけは、2010年2月よりクンストハーレ デュッセルドルフの館長に就任したグレゴー・ヤンセン氏が小沢剛に話を持ちかけたことだった。
「村上、奈良ではない、もっと泥臭い日本の現代美術を紹介したい」そういうことであれば、と小沢が昭和40年会を推薦したのが始まりだった。

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小沢剛・会田誠による作品「なすび画廊 さりん」

同じ年の3月、ヤンセン氏が日本にリサーチとファンドレイズのため訪問し、アーティストと会ってすっかり意気投合した。翌年の展覧会にむけ、全員でコラボレーション作品をつくることや、イベントを1週間毎日行う事等を話し合った。
その後、5月に別件でドイツを訪れた昭和40年会のマネージャーでもある長谷川仁美がデュッセルドルフを訪問し、会場を見て、ヤンセン館長らと企画や助成金や予算について話し合った。

ネックとなるのはやはり予算で、ヤンセン氏の小沢や会田の近年の代表作を出展したいという意向のためには、輸送費など大きなコストがかかる。
ちょうど会田は本展直前まで、ビルニュスでの個展がありMonument for Nothing III という大きな作品がヨーロッパにあり、また小沢の醤油画資料館はアビニョンのランベールコレクションが所蔵しているとのことで、その2点を展示することは早い時期に決定した。
また、クンストハーレの交渉により国際交流基金の共催が決まった。こちらはちょうど2011年が日独交流150周年記念の年でもあり、予算が取りやすかったこともあった。昭和40年会のほうでも申請できる助成にはほぼすべて応募した。幸運なことに、ポーラ美術振興財団から満額の助成もいただけることになり、予算の心配はほぼ無くなった。

 ドイツ、日本、大岩在住のニューヨーク、長谷川在住の香港でやりとりしながら内容を固めて行くさなか、直前になってそれは起きた。3月11日、地震、津波、そして福島原発の事故である。

ドイツはご存知のようにチェルノブイリ以降格別放射能にはセンシティブな国だ。ちょうど作品輸送のスケジューリングをしていたところ、突然頼んでいたドイツの輸送会社が集荷をキャンセルした。おそらく状況がまったく不明ななかで、東京ですらも放射能で危険と判断したのか、余震を警戒したのか、事情は明らかではない。しかもその会社は輸送について協賛する予定だったため、破格の値段で輸送してもらえることになっていたようだ。
そしてヤンセン氏も、地震と津波の被害者が当時1万人を越えたという報道がなされる中、そういう中でこの展覧会実施に予算をつかうことが正しいのかという倫理的なジレンマに陥り、展覧会キャンセルもしくは縮小、という話を持ちかけて来た。輸送は無しで、すべて手持ちかEMSなどで運び、会場は半分の場所かそれ以下ということであった。

日本側では、震災直後の夜道も暗い3月中旬に神楽坂の居酒屋に長谷川を含む(オスカールはNYなので不在)6名で集まり、話し合った。我々としては、今こういう時だからこそ展覧会を実施すべきだ、という結論で、その意向をすぐにヤンセン氏にも伝えた。同時に急遽輸送する作品を減らして日本側の会社で手配するため、各社に見積もりをとり、数プラン出してドイツの返事を待った。

我々アーティストと日本側の熱意が伝わったのか、展覧会は当初の企画とおりの規模で行われることになった。デュッセルドルフ、ニューヨーク、東京、香港で繰り返しスカイプミーティングを行った結果だった。そして国際交流基金の岡部美紀氏には、日本側から何度も相談をし、お忙しい中毎回アドバイスをいただき、ヤンセン氏の説得に大変なご助力をいただいた。

そしてついにドイツでの搬入の2011年5月、写真作品プリントのため先に松陰浩之が到着し、準備していた。そのさなか、小沢剛からEU ジャパン・フェスト日本委員会さまからも支援がいただける、との嬉しい知らせも入った。
大岩オスカールもニューヨークから到着し、ひさしぶりに全員そろってデュッセルドルフで仕事をした。クンストハーレの搬入工事の人々は全員優秀で、きっちり仕事をする人々だった。アーティストのほうから、「そこはもっとラフでいいよ」と言っても譲らずやり直しをする真面目で頑固なドイツ人気質を見た。
展示の搬入の方は大きな問題もなく、輸送もほぼすべて間に合うように到着した。カタログだけが、展覧会が終了した今現在もなぜか印刷ミスによりまだ完成していないが、近日にできあがることだろう。

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パルコキノシタによるワークショップ

パルコキノシタのドイツの小学生と絵を描くワークショップは大成功で、パルコが持参したプリキュアのダンスビデオで全員が踊り、千葉の流山生涯学習センターの協力もあって、持って来ていただいた日本の駄菓子を楽しみ、墨だらけになって子供達も鳥の絵を描いた。カラオケパフォーマンスは、マイクの音源が出ないというアクシデントはあったが、座頭一の姿で歌うアニメソングで多くの観客を楽しませた。

有馬純寿と松蔭のECHOのパフォーマンスは、床にアルミニウムを敷き1000本以上ドイツで集めたガラス瓶を割る、音とフラッシュライトに依る光を有馬の操作により電気的に増幅させるもので、2日間に渡って行われた。会場のすぐ隣には、ヨーゼフ・ボイスが教鞭を取った事で有名なデュッセルドルフのアートアカデミーがあり、そこの生徒やプレス関係者、そして地元の日本人が数多く訪れてくださった。

会田誠、大岩オスカール、小沢剛はそれぞれアーティストトークを行った。特に小沢剛は福島の農家から購入した食べられない野菜を使って、彼のシリーズであるヴェジタブル・ウェポンの写真作品を制作した時の様子について語った。展覧会は概ね好評で、バラエティに富んだ作品の数々が楽しめるものとなったようだ。地元テレビ番組の録画はもらっていないがいくつかのローカルのウエッブサイト、またアートフォーラムドットコムにも展評が載った。

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地元テレビ局の取材を受ける会田誠

今回の大変な災害で、被害に遭われた皆様にはこころから哀悼の意を表したい。たまたま私を含めた今回の展覧会の関係者のまわりに直接大きな被害に遭われた方はいなかったものの、今回のプロジェクトは大きな影響をその過程で受けた。しかし、熱意と努力でなんとか思うような形に持って行くことができたことは、私たち全員にとって大きな成功であり、展覧会自体の完成度も高く満足できるものとなった。まさにこのような時期にこそ、日本の今の文化を紹介し、この災害に対してアーティストが何を思うかという部分を一部表明できた事は重要であるとあらためて感じた。災害が起きたからと言って、避難所に食べ物や毛布を運んだり、募金するだけが正しいのではなく芸術や文化を海外に紹介することは大切なのではないだろうか。もちろん災害云々とは別に、この展覧会でアーティストをヨーロッパに紹介できたことは大きな達成である。
最後に、国際交流基金の岡部美紀氏、クンストハーレのグレゴー・ヤンセン館長に多大な感謝の意を表したい。

◎第19回EU・ジャパンフェスト:「昭和40年会 -ウィアー ボーイズ!展」プログラムページは コチラ

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