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欧州文化首都における日本関連プログラムを支援しています

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[Vol.30] 事務局からの報告 「第17回EU・ジャパンフェストを終えて」

「第17回EU・ジャパンフェスト」(2009年1月~2010年3月)を終了し、事務局長・古木修治が活動の総括として文章を寄せました。

古木 修治

事務局長

自由の国に生まれた者には、理解できるまい、
私達が、繰り返し噛みしめる自由は、
全てに勝る贈り物であることを。

 

ハンガリーの詩人 マライ・シャンドール

 

2009年7月13日、リトアニアのヴィリニュスで行われたコンサートのことを私は生涯忘れないでしょう。この夜、各国から参加した少年少女たちの歌声が聖カテリーナ教会の大聖堂いっぱいに響き渡りました。この教会は、長く続いたソ連の占領時代、武器弾薬庫として使用された歴史をもっています。かつては華麗なバロック様式を誇った内装もこの間の損傷は激しく、今なおその爪痕が痛々しく刻まれています。そのような苦難の歴史が残る場内に広がる歌声は、まさに天使の奏でる調べのように美しく、清冽で、聴き入る私達を圧倒的な感動で包み込んだのでした。やがてその感動は、満場の聴衆の心の扉を開け放ち、その向こうに、日々私達が何気なくとらえているものとは異なる次元の「自由」の尊さを感じたのでした。

リトアニアは半世紀近くにおよんだソ連の支配から、1990年に独立を回復しました。この歴史的な出来事を米国で活躍するリトアニア人の映像作家ジョナス・メカスは、次のように書いています。

ソヴィエトの戦車がヴィリニュスを走行していたとき、
独力で解放したリトアニアの大統領ランズベルギスは
(リトアニアの自由のために誰も助けに来てはくれなかった。
アメリカも。リトアニア自ら自由になったのだ)、
そうだ、ソヴィエトの戦車がヴィリニュスの町を走行していたとき、
ソヴィエトの戦車に囲まれた国会議事堂のなかで、
ランズベルギスはピアノに向かい、
チュルリョーニスのプレリュードを弾いていた。
天使たちは見守り、自分たちのつとめにいそしんでいた。

 

不況の中で続行したヨーロッパの芸術活動

前年に始まった世界不況の波は、2009年に入っても鎮まることはなく、各国に押し寄せました。とりわけ欧州文化首都開催国のひとつ、リトアニアの経済危機は深刻でした。1月、国営航空会社が倒産、2月には政府の大幅な財政縮減が宣言され、もちろん文化予算も容赦なくその対象とされました。連日、日本では欧州からの暗い経済ニュースが伝えられていました。しかし、不安を抱きながらもヴィリニュスに赴くと、私達の憂慮はことごとく霧散してしまいました。この町では沈滞ムードを跳ね返すばかりの勢いで、大衆にしっかりと根を張った芸術活動が展開されているのを目の当たりにしたからです。欧州文化首都開催の数年前から日本のアーティスト達もリトアニアの芸術機関や団体とコンタクトをとり、プログラムの準備を重ねてきました。それらの活動は、欧州文化首都開催年だけでなく、その年を基点として国境を越え、さらに進化(深化)させてゆこうとする意欲にあふれていました。
不況によって失業者は増え、民間の一般的な消費は冷え込んだ一方、活気づく芸術活動の消費だけは増えたと言われています。このことは、芸術の存在が人間の大きなエネルギー源の一つであることを如実に示しています。ヴィリニュスの人々は、革命によってかけがえのない自由を獲得し、その「自由」は、彼らに生きる勇気と喜びを与える芸術活動をさらに強固なものへと導きました。その様子は、あたかも逆風の嵐のなかで、帆船がたくましく前進する姿のようでもありました。「人間は、試練の強さだけ強くなれる」という教訓を私達に示したのでした。

本年のもう一つの欧州文化首都はオーストリアのリンツ。ウィーンやザルツブルグに比べると、地方の工業都市という他に国際的に取り上げられることは決して多くはありませんでした。しかし、リンツが欧州文化首都に選ばれた背景には、戦後、中長期の視点に立って町をあげて取り組んできた芸術文化活動がありました。特に現代アート、先端アート分野では目覚ましいものがあり、リンツ出身の音楽家アントン・ブルックナーを記念した音楽祭の一環として、30年前から始められたデジタル(メディア)アートの祭典「アルス・エレクトロニカ」は、今では他国の追随を許さない内容と規模を誇るまでに発展しました。この間、多くの日本人アーティストも参加し、その進化と発展に大きく寄与してきました。当委員会も、この息の長い活動に可能な限りの支援を行えたことは大変幸いなことでした。
また、2009年1月には念願だった「アルスエレクトロニカ・センター」が完成しました。ここの入場者の8割が地元住民といいます。人口19万にしか過ぎない地方都市でありながら、世界最先端のデジタルアートに触れ、学べることに、この町の計り知れない文化力を感じます。

当然ながら、不況の影響はリンツにもおよび、文化予算削減の声が市議会で上がりました。しかし、市民の多くは「不況の時にこそ、さらに芸術を大切にする」という判断を下しました。市当局も、文化事業を縮減することによって新たに生じる失業者への社会保障費総額が、プログラム実施予算総額に匹敵する事実を挙げ、短絡的な削減案に対し議会の再考を促しました。リンツにおける芸術活動は一過性のものではなく、長年の継続と積み重ね、そして、何よりも市民の強い要請と支持によって成り立っていることは、見逃せません。順境にあっても、逆境にあっても、芸術が市民生活の中で重要な役割を果たし続けている姿に、この国の文化の底力を見せつけられたような気がしました。

 

私達は本当に「芸術」を必要としているのか

日本に目を向けると、我が国の芸術は目覚ましい経済復興に連動し発展してきたとは言えず、確たる文化政策も不在でした。もちろん「芸術不要論」を唱える人はいませんが、「芸術は“高尚”なもの」という幻想にも似たコンセンサスが議論されることなく、いつの間にか世間に定着してしまいました。
しかし、芸術が私達の魂を揺り動かす時、“高尚”というレッテルは不要です。“高尚”と定義された芸術は、マスメディアでの知名度や、立派な賞の受賞歴のみが主な価値基準となり、人間の心に響かない存在になってゆく危険性を孕んでいます。明確な論拠を欠いたこのコンセンサスは、やがて膨大な数のハコモノに巨額な税金を投入する文化行政の強力な大義名分となったことだけは明白であり、また、残念ながらハコモノが十分に活用され、芸術文化の振興に直結したとは到底考えられません。

一方、現在の日本政府の財政赤字は、国際社会で突出したものであることは知られており、社会保障、子育て支援、安全保障の財源不足にも大きな警鐘が鳴らされています。文化予算の優先順位が極めて低いうえに、ましてや夥しい数の施設や公的外郭団体を維持してゆくことだけでも経費は莫大です。そのような状況にあって、「芸術」を育てるソフトに対する予算は、今後ますます先細りとなってゆくことは容易に想定できます。

さらに、先の総選挙において「芸術」は争点の一つになることもなく、政権交代を果たした政党のマニフェストの片隅にも含まれませんでした。言いかえれば、国民は芸術への取り組みを政治に期待していなかったとも言えます。
その後の予算編成でも芸術文化に対する予算は縮減の対象とされ、「仕分け作業」の俎上にも乗ったことは記憶に新しいことです。しかし、膨大なハコモノにかかわる予算や芸術活動への助成金は、国民の強い要請で設けられたのではなく、政治家と官僚の手によって議会の承認を経て、いつの間にか成立していたという事実は、今一度確認しておかなければなりません。芸術に対する私達の無関心と無責任な黙認こそが、今の状況を作り出したと遅まきながら痛感しています。これまでの私達の芸術に対する姿勢を棚に上げたまま、政府に対して新たな芸術活動への助成金の拡充を叫ぶことに、私は限界を感じています。

第2次大戦で破壊されたウィーンで、最初に瓦礫の中から復興された公共建築は国立歌劇場でした。その背景には、芸術を心の糧とする多くの市民の強い願いがありました。また、シビウ国際演劇祭のように廃墟となった建物を活用しつつ、質の高い芸術活動を積極的に展開している都市もヨーロッパでは少なくありません。
これらの事例が示すことは、ハコモノ自体を問題とすべきではないということです。これまで、私が繰り返してきたハコモノ行政批判は、本質を欠いていたと今更ながら深く反省しているところです。改めて、私達一人ひとりが「自身の生き方」に向き合い、もう一度「私達は本当に芸術を必要としているのか?」と自問することが求められているのではないでしょうか。その問いに向き合ってこそ、本来人間の心にとってかけがえのない存在である「芸術」を私達自身の手に取り戻す道が開けるのだと思います。

 

今こそ、芸術活動にも求められる「人間力」

昨今の芸術活動の現場では、現下の不況が打撃を与え、関わる人たちが疲弊しているとの声が多く聞かれます。果たして、不況だけがその要因なのでしょうか。
すでに風化した歴史となっているのかもしれせんが、戦後日本の復興は、終戦直後の悲惨な状況を出発点にしたことに間違いありません。その当時をもう一度振り返ってみると、多くのことに改めて気付かされます。1945年、敗戦ですべてを失った日本が、世界有数の経済大国へと復興を遂げた道のりを辿ってみると、「復旧」から高度経済成長期の「復興」へと移行していったことが浮かび上がってきます。「復旧」は、迅速で圧倒的な物量の支援によって達成される物質的・量的な回復であるのに対し、「復興」は、長期的な視野のもと精神的・質的な充足、発展に向けた当事者たちの強固な意志と実行力が問われます。
その後、「東洋の奇跡」とまで賞賛された目覚ましい経済復興は、社会の底辺から頂点に至るまで、日本の産業を支える「人間力」によって成就されたことは紛れもない事実です。この「経済復興」を支えたのは、苦境に対峙し、乗り越え未来を築こうとする、当時の人々の姿勢と覚悟でした。私はその偉大な先輩たちのエネルギーを「人間力」と表現したいと思います。

当委員会は、設立以来17年間にわたり、経済界のリーダーの方々が実行委員長を務め、芸術支援活動を展開して参りました。この間、私が事務局として痛感したことは、歴代の実行委員長がことの本質を見抜き、自身の役割と責任に対し示した強い意志と熱意でした。
今、芸術文化の現場に求められることは、人々を感動させる質の高い活動はもちろんのことながら、それにも増して、上記のような経済界に見られる強固な意志と熱意あふれる「人間力」の発揮ではないでしょうか。
先に紹介した二つの欧州文化首都の事例でも、世界同時不況という逆風のなかで、芸術を守り抜いた「人間力」が存在したことを証明しています。

 

終わりに

現代社会は、超少子高齢化、人口減少、格差社会、政治不信、教育崩壊、財政破綻など、次々と新たな課題や難問が出現しています。それらを解決しようとする試みが、新たな難問を生み出すという「負のスパイラル」が続いてゆくかのようです。このような悲観的な見立てはメディア報道の姿勢からも伝わってきますが、それは日本に限らず各国に共通した現実かもしれません。しかし、以下に紹介するイスタンブールの例をはじめとして、時代の潮流に無抵抗に流されることなく、堂々と抗い向き合う活動は、芸術の世界にも数多く存在しています。
昨秋、私はトルコで現代アート展「イスタンブール・ビエンナーレ」を見学する機会を得ました。開催テーマは、「何が人間を生き生きとさせるのか」。複雑さを極める現代の社会情勢やシステム、終わりのない国際紛争、氾濫する情報に翻弄される人間の姿に鋭い視点で迫ってゆく展示作品の迫力に圧倒されるばかりでした。最後の展示で目に飛び込んできたのは、「Don’t complain!(不満を言うな)」という大きなネオンサインの作品でした。「不満を言っている限り、あなたの人生は、あなた以外の存在に支配され続ける」というアーティストの強烈な主張でした。その作品は、私達の矛盾に鋭く切り込み、改めて「今生きていること」について、感じ、考え、見つめ、語り合う機会の大切さを提示しています。そして、そこには私達が見失いがちな「人間らしさ」を取り戻そうとするエネルギーが存在しているのです。

私達は人類史上、物質的にはもっとも豊かな時代を迎えています。にもかかわらず、日常における困難の多くを「時代」や「複雑なシステム」のせいにして、しばしば不満(complain)を増幅させています。一方、「悲観は気分の問題、楽観は意志の問題」という名言があります。今日まで、とりわけ2009年の厳しい状況の中で、私達と行動を共にしていただいた方々の「人間力」を通じて、すべての人間が本来持っている「意志」の存在とその大切さを改めて痛感することができました。

2009年の活動を振り返り、決意を新たにしたことがあります。
今後とも「EU・ジャパンフェスト」の活動を通じて、人間同士の立場や価値観の違いを乗り越え、言葉を交わし、心を砕き、信頼を築くために時間と情熱をかけること、そして、小さくとも身の丈に応じた行動を確実に実行していこうということです。

この一年間、本活動のために、力を尽くしていただいたすべての皆様に、心から感謝申し上げます。

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