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[Vol.25] 生命の鼓動

鹿児島市立美術館における写真展「日本に向けられたヨーロッパ人の眼・ジャパントゥデイvol.9」(会期:2008年4月8日~20日)の関連事業として、南日本新聞社との共催により、「エッセイ・作文コンテスト『一枚の写真を見て感じたこと』」を開催。6歳から78歳まで、215編の応募がありました。その中から、最優秀賞作品3編をご紹介します。

久留 友里さん

鹿児島市立甲南中学校3年生 ※肩書は当時

穏やかなたたずまい。温かみのある家屋。そんな写真の少女に、私は目をひかれた。特に笑っている訳でも、怒っている訳でもない。ただ、静かにカメラを見詰めている。そんな少女に。

私は、その写真に近付いた。食べかけの焼キソバ。傍らに転がるみかん。

どこにでもある、日常の一コマ。たったそれだけの写真を際立たせているのは、少女の、凛とした双眸だった。

なんてむき出しの表情なのだろう。私は、くっと息を呑んだ。礼儀。愛想。社交辞令。そんな無駄なものをはぎ取った、ありのままの表情。

『生命の鼓動』が、聞こえるようであった。

その夜、私は母と共に、自分のアルバムを開いてみた。「可愛い」となつかしむ母。私は、とても複雑な気持ちだった。入園式。七五三。誕生日。ページをめ くる度に現れる、あどけない表情の私。笑えてしまうほどに幼稚で、悲しくなるほど遠かった。今の私には、全て型通りの笑顔の写真しかない。「はい、ピー ス」の掛け声と共に、無理につくられた笑顔。―私は、自分の写真が嫌いだった。

名も知らない少女と、幼い頃の自分が重なった。自分の思い、考えを、相手に真っ直ぐ伝えられたあの頃、私もこの少女のような目をしていたのだろうか。そうだとしたら、いつからだろう、自分を隠し始めたのは。いつからだろう、自分を誤魔化し始めたのは。

私は、写真の少女と向き合う。確かな意志を感じさせる瞳を、正面から見詰めてみる。そうすることで、私は、私の中の『鼓動』を聞くのだ。

自分の心に正直になるため。そして、前に進むために。

 

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撮影:クニー・ヤンセン

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