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欧州文化首都における日本関連プログラムを支援しています

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[Vol.17] CSR―市民の社会的責任 事務局からの報告

「第14回EU・ジャパンフェスト」(2006年1月~2007年3月)を終了し、当委員会事務局長・古木修治が活動の総括として文章を寄せました。

古木 修治

事務局長

はじめに

1993年、欧州文化首都「アントワープ93」へ参加する日本のアーティストへの支援を目的として、NGO「EU・ジャパンフェスト日本委員会」の活動が始まりました。それから14年を経て、現在ではアーティストや市民同士の出会いから生まれた様々な活動は、日欧各地で展開されるようになりました。大地を耕し、種子を植え、それが苗となり、樹木そして森となることを目指すように、様々な活動が各地域で成長しつつあります。

 

「芸術は世界を救えるか?」アントニスさんの言葉。

私が事務局長として初めてベルギーの欧州文化首都アントワープ93委員会を訪ねたのは、1992年春のこと。 迎えてくれた組織委員長であるエリック・アントニスさんの部屋の壁には、1枚のポスターが貼られていたことがとても印象的でした。そこにはピカソの絵「ゲ ルニカ」があしらわれ、『Can Art save the World ? (芸術は世界を救えるか?)』と大書きされていました。当時はユーゴスラビアで内戦が激化している最中で、欧州各国のアーティストたちは連帯し、サラエボ の芸術支援活動に取り組んでいました。ポスターはそのキャンペーンのためのものでした。アントニスさんは会ったばかりの私に語りかけてきました。「芸術で 世界は救えない。しかし、芸術なくして真の繁栄はありえない。だからこそ、欧州文化首都活動によって、人間一人ひとりが芸術を通して生きることを、見つめ 考える機会になることを私は願っているのだ。」15年たった今でも、悲哀の中にも情熱あふれた彼の表情を忘れることはありません。そして、あの言葉こそが この15年間、私達の活動に大きな勇気を与え続けてきたと言っても過言ではなく、事務局の壁に貼られたあのポスターは私達を見守り続けています。

 

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“Can Art save the World?(芸術は世界を救えるか?)”エリック・アントニス氏より受け取ったポスター

国境を越えるアートの活動

「愛国的な学問や文化は存在しない。いずれもが世界的な財産であり、過去の遺産に成り立ち、いま現在の刺激をもとに未来へ向って成長してゆくものである」

(「人と文化の結びつきについて」ゲーテ)

 グローバル化が進み、国際間の投資の拡大や企業の海外進出が相手国の雇用を支えるなど、企業活動は多国籍化と いうよりも無国籍化へと展開しつつあります。文化やアートの分野でも国境を越えた活動が活発になってきました。伝統文化は、保護されるだけでなく、内外か らの刺激を受け進化し、その価値が磨かれてゆきます。その進化は国内に留まらず、必ず国境を越えます。一方、コンテンポラリーアートは、その誕生の時から 国境が存在しません。ただ、アーティストがそれぞれの独自のアイデンティティと国籍を所有するというだけです。国際交流という言葉自体、死語になってし まった時代です。世界中を見回しても、その言葉を今も大事に使っているのは日本の政府や自治体だけかもしれません。もはや国境を越えないアートはありませ ん。国境を越えることだけでも意味がなく、中身の質が問われています。

2007年3月25日、欧州統合の基盤となったローマ条約が調印されて50周年を迎えました。第1次、第2次の世界大戦が終結した後 には、平和が戻ってきました。しかし、世界中には膨大な量の核兵器が配置されている悲惨な現実があります。そのため、万一、第3次大戦が勃発したら、その 結末は地球の絶滅以外考えられません。グローバル化が進んでも、政治の分野では色濃く国境線が残り、引き続き、局地紛争も絶えません。そういう時代だから こそ、経済やアートが、地球規模で、平和と人間の幸福について、果たすべき役割と責任はますます大きくなりつつあると確信します。

いまこそ「市民の社会的責任」が問われる時代

昨今、日本では「格差問題」が度々取り上げられるようになりました。しかし、ここでの格差は、主に「貧富の格 差」であり、つまりお金持ちが更に豊かになり、貧乏人がますます貧乏になっていく競争社会の歪みに対しての批判です。しかし、私はこの取り上げ方に不満を 抱いています。格差は、お金の問題だけではないと考えるからです。人間性、教養、幸福度、モラルなど目に見えず数値で測ることの出来ない価値においても格 差は存在するはずです。私が、この40年間で世界を旅して目の当たりにした貧困の姿は、想像を絶するものでありました。それに比べる日本には食べることに も事欠く「絶対的貧困者」は殆ど存在せず、他人より貧しいことをうらやむ「相対的貧困者」が多いのが現実です。
「貧乏」と「富裕」について、平安時代の高僧、源信は次の言葉を遺しています。

「足ることを知れば、貧といえども富と名づくべし。財ありとも欲多ければ、これを貧と名づく」

景気が回復し企業の業績が好転するようになって、社会は、企業活動、とりわけ大企業のあり方に厳しい目を向け るようになってきました。 企業の社会的責任(CSR:Cooperate Social Responsibility)が問われるようになり、様々な社会貢献背景に取り組んでいる企業も増えつつあります。しかし、もう一方で忘れてならないの が社会における市民の存在であり、もう一つのCSRは市民の社会的責任(Civic Social Responsibility)です。企業が果たすべき責任と役割について述べる時、「企業市民として」という表現をしばしば用いられます。企業は、社会 の一部を占めるにしかすぎない存在です。市民こそが、社会全体を構成していることを忘れてはならないと思います。

話は変わりますが、日本でパチンコの年間売上は約30兆円(1,935億ユーロ)です。競馬は約3兆4千億円(200億ユーロ)で、 これは世界の競馬売上の約30%を占めているそうです。その他、競輪は約3兆円(193億ユーロ)。東京都の年間予算は6兆円(387億ユーロ)にしか過 ぎませんから、これらの売上高がいかに大きいかがお分かりいただけると思います。私達がやむを得ず支払う医療費(約32兆円/2,064億ユーロ)とはこ となり、いずれも国民が自発的に自分のポケットから支払ったものばかりです。私はここに大きな可能性を予感するのです。

先ごろ、南米の先住民に伝わるお話「ハチドリのひとしずく」が話題になりました。森が火事となり、動物たちがわれ先にと逃げてゆくな か、一羽のハチドリだけは残り、水のしずくを一滴ずつ運んで火のうえに落としてゆきます。「そんなことして一体何になるんだ」と笑われますが、「私は私に できることをしているだけ」と答えます。話はこれだけですが、その続きを様々な人が書きました。環境ジャーナリストの枝廣さんはこんな展開で書いています。

森が燃えているのを見たハチドリは仲間を増やそうと思いました。「それぞれが一羽ずつ 仲間を増やすよう伝えて!」―――2回伝わると4羽が、3回伝わると8羽が、10回伝わると1,024羽が、20回伝わると100万羽以上が、そして40 回伝わると1兆羽以上のハチドリがやってきて、あっという間に火事を消してしまいましたとさ。

つまり、市民1人1人の力は小さくとも、何かを目指して集り継続していけば、何かを成し得ることは可能なので す。そういう予感を私は抱いたのです。社会はますます複雑化しています。マクロの見地に立ち社会を俯瞰しても、ミクロの領域で何が起こっているのかが分か らなくなっています。こんな時代だからこそ、市民の行動の質が問われているのです。

 

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第1回~第13回EU・ジャパンフェスト公式報告書

終わりに

かつて、ホロコーストを指揮したナチスの将校たちは、バッハやベートーヴェンをこよなく愛し、哲学に精通し極 めて高い教養を持ち合わせていました。このことから分かるのは、人それぞれにとってアートが表面的なことだけであれば、アートは何の役割も果たさないとい うことです。一方、アートが日々私達の生きることに関わり、魂に訴えることができれば、多くのことを成し得ることになります。

昨夏、アイルランドから88名の児童合唱団が来日し、家庭滞在をしながら、演奏活動を行った時のことです。多くの市民が詰め掛けたコンサートの終了後、 寄せられた数々のアンケートを読みながら私は、思わず感嘆の声を上げました。それは、農業を営む50代の男性が書いたわずか3行の言葉でした。

「昨夜までの台風もおさまり、今日は朝早くから畑仕事に出かけました。そして、夜この公民館で、アイルランドの子ども達の美しい歌声を聞くことができました。とても素晴らしい一日となりました。」

多くの人たちは、「コンサート」についての感想を書き綴りましたが、この方はその日全体を振り返り、「素晴らしい」という言葉を用いて「生きる喜び」を 伝えてくれました。真の豊かさを考える時、アートが一人一人にとって、目に見えない、数値では測ることの出来ない、かけがえのない価値を与えてくれること に気付きます。

私達はこの14年間で、社会的責任をもった多くの市民団体やアーティストに出会い、活動をともにすることができました。1つ1つは小さな存在でも、未来に向かって、彼等は着実に歩んでいます。今後とも彼等とともに進んでゆきたいと思います。荒野を耕し、長い月日をかけて、緑あふれる広大な森が出現する光景をしっかりと頭に描きながら!

 

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コーク児童合唱団、鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂でのコンサート 2006年7月10日

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