海、光、風、廃墟、そして現在 ―キプロス共和国で考えたこと―

藤田康城|ARICA 演出家

 2016年2月26日、東京で開かれたEUジャパン・フェストのプレゼンテーションの集まりで、キプロス共和国、パフォスで開催される欧州文化首都Pafos2017が紹介された。地中海の美しい海、温暖な気候、世界遺産の古代遺跡、オリーブやワインの特産物で彩られた実に美味しそうな食事、そこで開催されるアートの祭典。映像に映しだされたパフォスの光景が目に焼きついた。こんなところで私たちARICAの公演ができたら、どんなに素敵だろう。

 それからしばらくして、華やかだったEUジャパン・フェストのプレゼンテーションの記憶も薄れかけた7月、その時話をなさった欧州文化首都Pafos2017のArtistic Programme Director、Georgia Doetzerさんから、私たちの代表作のひとつである「KIOSK」での参加を打診された。なんという僥倖。一気にキプロス、パフォスの鮮やかなイメージが頭の中に蘇った。

 「KIOSK」は東京の小さな劇場で、11年前に初演をした作品だ。われわれの最初の海外公演は2005年のエジプトのカイロで、キプロス共和国はそのエジプトの北、トルコの南、ほぼ中東にある。「KIOSK」をARICA初めてのヨーロッパツアーとしてキプロスで公演できるのは、私たちにはふさわしいように思えた。そして、今年10月、1年以上の紆余曲折の準備を行い、EUジャパン・フェストのご助力を得て、私たちはパフォスの国際モノドラマフェスティバルで「KIOSK」を上演した。

 キプロスは地中海の美しい沿岸に世界遺産の古代遺跡を抱え、地中海の真珠ともうたわれるヨーロッパのリゾート地であり、美の神、アフロディーテが生まれたとのギリシャ神話もある場所であるとともに、ヨーロッパ・アジア・中近東・北アフリカの交点に位置し、古くから様々な国の勢力争いの中心地であった。例えば、シェイクスピアの悲劇『オセロ』は、1571年オスマン帝国がヴェネチアからキプロスを奪った頃の出来事を題材にしている。近くはキプロス紛争で知られるように、1974年以降、北部の北キプロス・トルコ共和国、南部のギリシャ系、キプロス共和国に分断され、それが現在も続いている。

 公演後に一日、北部にある遺跡を巡るバス・ツアーで北キプロスまで足を伸ばした。バスの車窓から見るかぎり、北キプロスも南と変わらずブランドの店舗などが散見し、荒廃した様子はなく、遺跡の周囲には洒落たショップが立ち並び、ユーロ紙幣も問題なく使用できた。しかし、13世紀の壮麗なゴシック教会がモスクに転用されているなど、そこかしこに歴史の変遷が刻印されている。そしてなにより、1974年の南北の分断を受けて、南部に逃れたギリシャ系の住民たちの住居跡が、今は鉄条網に覆われ広大な廃墟となっていた。バスで何分も巡っても途切れることのない廃墟の街を目にしたことは忘れ難い。その歴史の傷跡は生々しく、多くのことを考えさせられた。

 古代の廃墟と現代の廃墟の混在。歴史の爪痕がはっきりと露呈した「美しい」キプロス。パフォスは、風光明媚な観光地で、表面上は、ぴりぴりとした緊張関係が目に付いた訳ではない。そこで上演された、かつてサーカスのロープダンサーだった女が、今は飲み物と新聞を売るKIOSKに雇用されている、という設定の私たちの「KIOSK」は、そんな社会のままならなさを引き受けたかのようにも思えるのだった。

 「KIOSK」は、日本では駅などに見られる小さな売店のことであるが、もともとは中東や地中海沿岸で発達した庭園の中の簡易な建物、日本でいう東屋であり、特にオスマン帝国で多く建てられるようになった。その後、オスマン文化が広まったヨーロッパにおいても、数多に見られるようになり、そこで商売をする者が現れ、小さな店舗「KIOSK」となって、今に至っている。そして、キプロスも「KIOSK」という小店舗が広まった中心地のひとつであり、日本で知られる遥か前から、たくさんの小さな雑貨店が「KIOSK」の看板を掲げていたのだ。

 街を歩きながら「KIOSK」の商店を見つける度に、こんなに遠くの国であっても、長くて深い歴史の流れの中で、どこかで確実に日本の私たちの「KIOSK」とつながっていることを感じて、胸に迫った。だからこそ、遠く離れて関係が薄いように思えるどんな場所においても、アートを介した人と人のつながりは、重要なのだと思う。欧州文化首都Pafos2017においても、キプロスの古代の廃墟と現代の廃墟が背中合わせにある現実を負って、アートは大切な何かを伝えて行こうとしている。

 パフォスのATTIKON劇場のスタッフは、毎日2公演が連続し、夜中の仕込みと当日の公演を少ない人員でこなしていかなくてはならない厳しい状況の中、一生懸命働いてくださった。おそらく大道具の準備と仕掛けの複雑さにおいて、私たちの舞台が一番面倒だったと思うが、私たちの要望に誠意をもって応えてくださり、満足の行く上演を行うことができた。キプロス人の気質なのだろうか、連日の仕事で、みな疲れているにもかかわらず、夜中の作業でも冗談を言いながら明るく振舞っていた。気が焦っていた私たちは、そんな彼らに心救われたが、やはり毎日2つのちがうグループがそれぞれ公演を行い、その合間に仕込みをする、というスケジュールには無理があったのではないか。そのような環境で上演出来る作品は、どんなにスタッフが優秀であっても限られてしまうと思う。少なくとも一日に1公演、出来れば二日間に渡る2回の公演など、もうすこし余裕のある体制が必要なのではないか。

 私たちの上演に関しては、精一杯の力を傾けたつもりだ。終演後に、「私もひとりで苦労して生きてきた、あの女性の孤独が痛いほどわかる。感動した。」と声をかけてくださった男性や、「キプロスでたくさんの舞台を見てきたけれど、いままで一番心を動かされた」と言ってくださった年配の女性などがいらして、私たちも感激した。11年間この作品を演じ続けているアクター安藤朋子の力強い成熟とともに、制度化した社会の中での、ひとりの女の孤独と、しかし自由を希求しつづける意志に焦点を当てた「KIOSK」という作品は、現在もなお有効であると再認識した。特定の政治的争点にフォーカスした訳ではないが、今回の観客の反応を得て、社会と個人の普遍的な問題を捉えていると、あらためて気づいた。キプロスで生まれ直した、私たちの新たな「KIOSK」を、日本をはじめ多方面の国での上演を続けていきたい。アートは、作品を創る者たちの中で完結するのではなく、上演し展示した土地と人々と、その歴史の中で、変化し育ち続けるものなのだろう。それが、今回のパフォスでの経験から得られた、大切な思いである。