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[Vol.82] あなたの言葉よ

大崎清夏

(詩人)

ベラルーシのロシア語作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチのノーベル文学賞受賞を私が知ったのは、リトアニア国際詩祭「ドルスキニンカイ詩の秋2015」の開催が翌日に迫った夜のことだった。

 いまやバルト最大の温泉地として東欧諸国から観光客が訪れるこの土地には、その夜、多様な国籍と、国籍より多様な背景とをもつ詩人たちが集まっていた。そのなかに、ベラルーシから来た詩人、ウラジミール・アーロウとヴァリャンチナ・アクサクのふたりもいた。黒っぽい落ちついた服装で、ほとんどの参加者よりも年輩に見える物静かなふたりは、いつも老夫婦のように寄り添っていた。エストニアやクロアチアなどから来たほかの海外ゲストたちが流暢な英語でどんどん情報交換していく円卓とは別の小さいテーブルで、ふたりは静かに朝食をとった。ヴァリャンチナは、私と目が合うと、いつもほんの少し微笑んでくれた。一言も、何も言わずに。

 アレクシエーヴィチのニュースの翌朝、ヴァリャンチナと私とは、リトアニアの詩人ルータを含む三人の選抜隊で地元の高校を訪ねることになった。校長室でおいしいケーキとお茶をいただいた後、私たちはきらきらした朝の光と高校生たちと一緒に講堂へ流れこみ、詩祭ディレクターによる紹介と翻訳付きで、自作を一篇ずつ、母語で朗読した。

 ヴァリャンチナは、紹介されると椅子の後ろにすっくりと立って、少し長いスピーチをした。ベラルーシ語だったのか、ロシア語だったのかわからない。語りだした彼女の顔には、朝食のときに見せる弱い微笑みとは違う、生き生きした輝きがあった。ことばは教育者のように、一言一言が力強かった。「アレクシエーヴィチ」という単語が聞こえた気がした。一度、二度、三度。あの喜ばしいニュースを、ヴァリャンチナはまさに自分の国にもたらされた誇らしい出来事として、高校生たちに伝えたのだとわかった。

メイン

 その朝に続く午後は、詩祭のメインプログラムのひとつであるディスカッションに費やされた。今年のテーマは「書き手を阻むもの(Writer’s Block)」。書けなくなることの恐怖や困難について、心理学者を交えたリトアニア詩人チームの基調講演のあと、私たちは思い思いに、書く自分にとっての障害を打ち明けた。それはとても個人的な話であると同時に、書き手と、その依って立つ社会との、ひりひりするような折衝の話でもあった。

 私が震災後の日本という国を蔽っている薄暗い雰囲気について話したあと、ウラジミールがマイクをとった。ベラルーシではネット検閲がまかり通っていて言論の呼吸できる空気はないこと、旧ソ連からの独立後二〇年以上も同じ状況が続いていることが、彼の口から淡々と述べられた(そしてこのディスカッションのわずか二日後、ベラルーシは明らかな不正選挙による85%の支持率で政権の続投が決まった)。

 私はつい数時間前に見たヴァリャンチナの、希望に満ちた表情を思いだしていた。歌うような朗読を思いだしていた。小さき者の声を拾い続けてきたルポ作家のノーベル賞受賞がふたりの詩人に与えた勇気の質量を、想像してみようとした。賞で世界は変わらない。それでも、私の隣に座った人の、自由な言葉を求める心を、きっと少し慰めた。私は願う、あなたの言葉よ、どうか無事で。

 もうひとつ、書いておきたいことがある。それは一緒に高校訪問をしたもうひとりの詩人、ルータのことだ。残念なことに、私は彼女の姓を覚えていない。今回の詩祭を記念して出版されたアンソロジーにも、彼女の詩は一篇も載っていない。でもこれからこの詩祭のことを思いだすとき、私は必ず彼女のことを思いだすだろう。金髪の巻毛をショートボブにした、赤い口紅の、骨の太そうな、恰幅のいいひとだった。高校では、彼女は私にそれほどの印象を与えなかった。けれどもその後、プログラムの隙をついて出かけた観光客向けのマーケットで、私がスパイスの屋台の前でお土産に何を買おうか迷っていると、彼女はいつのまにか隣にいて「リトアニアの伝統的なスパイスならこれよ」と、そのスパイスを使って作るじゃがいも料理のレシピと一緒に、英語で訥々と、教えてくれたのだった。オーガニック・ハーブティーの屋台でも、彼女はハーブティーとウォッカを三週間寝かせて作る、リトアニアの伝統的な飲みもののことを教えてくれた。けれども私がそのままついて歩いていこうとすると、彼女は「ずっと一緒に来なくてもいいのよ」と言って、穏やかに私を別の方向へ促すようにした。後で遠目に見ると、彼女はひとり、日なたのベンチに座って自分のノートに目を落としていた。

 そしてあのディスカッションの後半、傍聴席からの発言を促す司会者の声に、ひとりだけ腰をあげて応えたのが、ルータだった。

 ルータのリトアニア語はエモーショナルだった。時折、右手を握りこぶしに固めながら、目に涙さえ浮かべながら、彼女は彼女の母語で語った。人生のある時期、とある事情で十年の歳月をスコットランドという異境に暮らさなければならなかったこと、その間の絶望的な孤独、友達に手紙を書きまくった最初の五年と、それさえ諦めてしまったその後の五年。そしていまリトアニアに戻ってきて、自分の言葉をもう一度発するために、この詩祭に参加することが彼女にとってどんなに大きな決断だったかということ。

 ディスカッションが終わった後、私は彼女のもとに駆け寄らずにはいられなかった。「I was impressed.」感動しました。と私は言った、それ以上言ったら、私も泣いてしまいそうだった。ルータは無言で、まだ涙の残る目で私を見つめ、それから私たちはほんの一瞬、ぎゅっと固くハグした。

 矢継ぎ早に進んでゆくプログラムと、初対面の詩人たちとの詩の状況を巡る会話と、ホテルを一歩出れば襲ってくる極寒とで私はくたくただったはずなのに、静かに火花が散るように興奮していて、すぐには眠れそうになかった。詩人たちが夜な夜な集うというバー・シルデーレ——「心」という名前の店だ——に一日の最後のビールをひっかけようと辿り着くと、ゲストのために予約された大きなテーブルの一番奥に、ウラジミールとヴァリャンチナが座っていた。手前には詩祭委員長のコーネリアスがいた。どこから誰が手配したのか、美しい瓶に入ったベラルーシのバルサム酒が、居あわせた詩人みんなにふるまわれた。私たちはアレクシエーヴィチに杯を捧げた。その濃い色の、つよいお酒は、言葉の葉っぱをたくさん集めて、煮詰めて蒸留したような、ふしぎな植物の味がした。

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