2016/06/29
キプロスの文化NGO:Home For Cooperationプレゼンテーション報告
6月17日、SHIBAURAHOUSE(東京)にて、来年の欧州文化首都パフォス2017の開催国、キプロスで活動する文化NGO Home For Cooperation(以下HFC)より2名を迎えたプレゼンテーション&交流会が開催されました。来日したディレクターのマリーナ・ネオフトゥ氏は4年前から、またイヴレン・イナンショグル氏は設立時よりボードメンバーとしてHFCの活動に携わっています。当日は多種多様な場面で活躍するアーティストの方々にお越しいただき、最後の交流会まで大変熱気あふれる会となりました。分断や闘争の記憶が未だ残るキプロスに、アートで新たな風を吹き込み、すべての人々に開かれた場を創ることを目指すHFCが、日本のアーティストたちに求めることとは何なのか。彼らの活動理念を、キプロスの歴史背景とともに説明いただきました。
下記トーク抜粋
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私たちHFCの拠点はキプロスの首都ニコシアのグリーンゾーンと呼ばれる南北緩衝地帯です。来年、南にあるパフォス市が欧州文化首都に制定されており、パフォス近郊の元トルコ系地区モウタロスで開催するコミュニティ・プログラムにおいては、アドバイザーとしてかかわっています。欧州文化首都とは、1985年にギリシャの文化大臣メリナ・メルクーリが提唱したことをきっかけに始まったものです。毎年、EUから選ばれた都市が年間を通して様々な文化プログラムを開催するもので、欧州に存在する世界中の豊かな文化に触れ、違いを強調するよりも共通の理解を促すことを大切にしています。
日本とキプロスは島国であるということ以上に、共通点があると考えています。例えば、キプロスには文楽や能によく似た影絵劇がありますし、歌舞伎とギリシャ悲劇にも共通点があると思います。また両者には、いかに伝統を守りつつそれを現代に取り入れていくかといったテーマが存在しています。記憶、文化的アイデンティティ、新・旧の統合、伝統と宗教の役割などが、私たちHFCが掲げるテーマです。ところで、創作の過程に目を向けてみると、創作とは何かということを考えさせられます。単独でおこなうこともありますが、一緒になって制作することもあります。相手の文化が持つ工芸技術に学ぶ、といった相互的な創造プロセスを通して、私たちは、自身の有する文化的アイデンティティに影響を与える、他者の存在に気づくきっかけを得るでしょう。また、信仰の地と文化的アイデンティティの関係性を探ってみることも一案です。宗教は、アイデンティティや、建造物・文化遺産などの表現形式に影響を及ぼすことがあるからです。また、ポスト・モダニズム、現代アート、シネマ、テクノロジーなどが登場した芸術の領域では、古典に代わる表現が次々と生み出され、進化を遂げてきました。例えばアニメーションには様々な手法・表現が用いられますが、こうした状況において、各々の製作者たちを一つに結びつけるものは何でしょうか。さらに、アイデンティティや記憶をテーマにすると、詩、文学、絵画、彫刻などにおけるインタラクティブ・アートは、いかにして表現の自由をあらわし得るのかといったことも、考えてゆくことができます。芸術は、寛容さや持続可能な発展や平和を構築するための主だった手段となり得るでしょうか。今回の8日間の滞在中は、記憶、文化的アイデンティティ、伝統と現代の共存、伝統や宗教などをテーマに、様々な方々に出会い、対話を重ね、来年の準備のための視察を行っていきたいと考えています。
キプロスは古くから諸文明の中継地でした。地中海の東という地理的な理由からも、歴史的にオリエント諸国、ローマ属州、ビザンティン帝国、フランク族、ヴェネツィア共和国、オスマン帝国、英国…と様々な国の支配を受けてきました。1960年にイギリスから独立した際は、国民はギリシャ系77%、トルコ系18%、その他5%(アルメニア系、ラテン系、マロン派[キリスト教東方典礼カトリック])で構成されていました。その後、国民の多数を占めるギリシャ系とトルコ系のあいだで緊張が高まり、キプロス紛争が起こります。1974年、ギリシャ系大統領が提案した憲法修正をトルコ系が拒否、翌年にギリシャ併合強硬派によるクーデターに応戦するかたちでトルコ軍が軍事介入して北キプロスを占領し、民族的にも南北に分断されました。
キプロスは2004年にEUに加盟、南北の統一については、政治レベルで両者のリーダー間で話し合いが持たれていますが、いまだ実現には至っていません。そういった状況において、HFCでは、アートを通して歴史的に分断されてしまったコミュニティ、そしてそこに存在する心理的な壁を取り払い、人々をつなげ、信頼と平和を築くことをミッションに掲げて活動をしています。誰にでも開かれた場所として、音楽やパフォーマンス、その他たくさんのアーティストが公演しています。
国連が管理するグリーンラインは南北の衝突を避けるためものでしたが、現在では分断を象徴するように見捨てられた住居や店が立ちならんだ混沌とした場になっており、街がつながっていくことを妨げ続けています。グリーンラインは休戦地帯として一時的なものとして存在するはずだったのですが、結果的に今までのこってしまうことになりました。
このような状況のなか、HFCの基礎となるAssociation for Historical Dialogue and Research (AHDR/歴史的対話と調査のための機関)が立ち上がります。AHDRは、教育がこれからの社会を変えていくという考えのもと、国際的な研究者や学術機関と提携して平和構築のための活動を行う組織で、そのミッションからグリーンラインを拠点とすることとなりました。建物は1950年代にアルメニア人家族が所有していたもので、1963-64年の混乱と闘争期に住民はその地域から離れていき、「No man’s land」(無人地帯)となりました。その後、HFCの手前に立つホテルLedra Palaceが、南北の政治家たちがキプロス危機について話し合いの場を持つところとされ、NGO、個人が出会う拠点となりました。2005年、AHDRが緩衝地帯に教育センターをオープン、そして2011年、南北の若者が中心となってHFCが立ち上げられました。HFCについて紹介したビデオがありますので、ここでご紹介いたします。
私たちが目指すのは“波及効果”をつくりだすこと。何もなく、負の記憶がのこる緩衝地帯をコミュニティスペースに、芸術文化、教育、創造性をもって、信頼関係を築き、異文化間の理解を促し、寛容な社会を作りたいと願っています。HFCは緩衝地帯を生き生きとした地域社会に変え、変化をもたらす触媒として、少しずつでも平和をもたらしたいと考えています。このヴィジョンは、国内外の人々と共有できることだと思います。
私たちの使命は、 対話と協調、連帯をもつ公共のコミュニティをつくりだすこと。特に、HFCの中にあるカフェは人々が出会い、多彩なプログラムを行ったり、ディスカッションをしたり、自らを自由に表現する場となっています。牧師、アーティスト、国連職員、市長、俳優、政治家、ジャーナリストなど・・・あらゆる方が訪れます。
私たちの活動は困難なこともありますが、アーティストや若者のために新しい機会を提供し、一般の人々それぞれが平和大使となってくれるような未来を描いて活動することは大変やりがいがあります。毎年開催されるフリンジ・フェスティバルは特に良い例です。私たちは様々なパートナーと協力して、ワークショップや各種クラス、街の歴史ツアー、トークなどを開催し、新しいアイディアへの扉を開き、地域の人々を巻き込み、彼らがここで本当に何をしたいと思い、そしてどう変えていくか、ボトムアップで共に行動を起こしていくことが大切だと思っています。創造性と批判性を持ちながら、コミュニティ、記憶、アイディアの橋渡しとなることを心に描きながら日々活動をしています。
今後とも私たちは教育、文化、生活の面で、様々なプロジェクトを通して人々をサポートし、共有し、貢献し続けたいと願っています。行動の起点となること、そしてあらゆることの交差点の中心となること。私たちはこれからの社会をつくっていくための大きな力をつくりだし、決して手に入らない理想郷を思い描くだけではなく、現実をしっかり見据え、いま、ここから変えていくこと。これらを大切にし、日々一歩一歩前進しています。