|
公演レポート
|
| 最悪から最高へ -ドライヤーの「奇跡」のように - |
|
|
 |
布施龍一 |
|
|
 |

2003年度はレニ・バッソにとって最悪の年になるはずだった。今年のメインプロジェクトであった大規模な環太平洋ツアーが、SARSの影響やら財政難やらで軒並み公演をキャンセルされてしまったのだ。昔風に言えば天誅殺のようなものである。そんな失意の中、我々は一筋の光明を目指してデンマークへと向かった。
 |
| デンマーク・オーフス市 |
コペンハーゲンではフェスティバル事務局のKatrienが空港に迎えに来てくれた。デンマーク人らしく大柄で、豪快に笑い、レンタバイクをトラックに乗せてごそっと持って来ては「好きに使って!」とガンガン置いていく。肝っ玉かあさんのようでありながら、瞳は常に知的な光を宿している。聞けばフェスティバルの要職にあるらしいが、そんな彼女が自ら多くの時間を使ってホスピタリティーに気を配ってくれたのだ。感謝せねばなるまい。ヨーロッパの某フェスティバルの関係者が「うちのフェスティバルより全然気が配られている」と感心していたが、大変居心地のよい時間を提供してくれた。
 |
| 現地主催者の"肝っ玉かあさん"Katrienさん |
レニ・バッソの作品はダンスと映像、光、音を絡み合わせて展開させる視覚性を重視した作品で、スタイリッシュなダンスとコンピュータなどで制御したシステマティックなパフォーマンスがいろいろな国の観客やオーガナイザーにうけている様子だ。しかし、いつも一つ問題があって、それは照明機材をやたら使うということだ。関係者に聞いた話だと、今回も照明クルーのパンクでタフそうな女の子が「ダンスなのになんでこんなに照明使ってやたら細かい調整するんだ」と裏で愚痴っていたらしいが、初演後には「凄い!凄い!」と叫んで機材の多さを納得してくれたらしい。「愛想ねえな」と思っていた奴が最後に笑って握手を求めて来る瞬間は、ツアーの醍醐味のひとつでもある。
カーテンコールの際、盛大な拍手とともに激しく足が踏み鳴らされ、地響きのような音が元は弾薬倉庫であったKannon Hallenに響き渡った。この足音は次の公演地オーフスでも聞くことになるのだが、これがいったい歓声なのかブーイングの一種なのかいまだにわからない。しかし沢山の観客と何より強い反応、これだけのものが得られればまず成功である。
翌日は第二の公演地オーフスに向かうため急行列車に飛び乗った。隣の席の乗客が、昨夜のレニ・バッソの公演写真を中央に大きく配置した全国紙の文化欄を広げている。その乗客とふと視線が合うと、ついニンマリ笑いかけてしまった。
 |
| オーフス公演劇場"kasernescenen" |
オーフスでは驚くことばかりだった。宿泊は超高級ホテル、そのロビーにはレニ・バッソの写真を大きく表紙にしたシティーガイドが目立つように置かれ、街角には公演写真を印刷した巨大な横断幕が貼られている。スターの気分である。フェスティバルは劇場だけでなく町中をあげての壮大なものだった。広場には無数の屋台が乱雑に並び、そこここで音楽が演奏され、中年の男女が頬を寄せ合って踊り、街の中心を流れる旧運河沿いには恋人たちと酔っ払いが溢れかえっている。聞けばオーフス・フェスティバルとは北欧でも最大のフェスティバルのひとつで権威も高いらしい。相変わらず何も知らずに来たので驚いた。我々は大変な名誉に預かっていたわけなのだ。
 |
| 大きく貼られた横断幕 |
公演も、天候に恵まれず、地の利も悪い場所でありながら満席となり、終演後は強い拍手と例の足踏みに満たされた。タイトなスケジュールから徹夜での作業を強いられた現地のスタッフには心から感謝を述べたい。
今回このツアーが実現できたのは、EU-JAPAN Fest事務局の力によるところが大きい。EU-JAPAN Festほど強い意志と責任感をもって芸術の支援を行う団体を他に知らない。アーティストと支援団体の真のパートナーシップが、日本において唯一可能な環境を提供されている。
一筋の光明を探すために向かったデンマークであったが、思いがけず大変な反響と名誉をもらってしまい、北欧ほかいくつかの国からのオファーというお土産まで持たされて帰って来てしまった。レニ・バッソの最悪となるべき一年は、デンマークが世界に誇る映画監督カール・Th・ドライヤーの『奇跡』で死んだ母親が蘇るように、最高に幸福な一年へとその印象を塗り替えられてしまったのだ。
|
| (ふせ・りゅういち/レニ・バッソ代表、プロデューサー) |
|
 |