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齋藤久夫

「レストランのメニュー」

齋藤久夫
(さいとうひさお/ザ・ダークルーム・インターナショナル 理事長)


先日のアイルランドへの旅に私は、自分なりのテーマを持っていきました。それは私が写真のNPO法人を運営していく上でいつも頭の中にあるもので、「映像教育とフォトアート」というテーマです。ヨーロッパという土壌で写真がどのようにアートとして文化としてそして民族になじんでいるのかをこの目で見ることができるわけですからとても興奮していました。


私は日本写真協会の映像教育推進委員会のメンバーで、今、小学生向けの写真の小冊子をそのメンバーで作っています。その中で「写真はこんなところに使われている」というコーナーがあって、写真が使われている様々な場所を紹介しています。そんなこともあってアイルランドの街中ではいつも写真を探していました。日本と比べるとにほんとに写真が少ない、そしてたまに見かける写真はとても素敵なものでした。レストランのメニューにもほとんど写真は使われていません。一方、日本のメニューは写真ばかりです。どちらがわかり易いかといえばもちろん日本ですが、そこで同行していただいた先生とこんな会話をしました。


「メニュー(文字だけの)を見て料理の内容がわかっても、どんな色でどんな形でそしてどんな大きさのものが出てくるかわからないから毎回いろんな想像をしてしまいますね、先生」


 「そうですね、メニューひとつでも本当に楽しませてもらえますね・・・」


 この会話でひとつ気がついたことがありました。


 日本の街の中にある写真のほとんどが情報だということです。一概には言えませんが、日本人は情報を映像で見ることで安心するのでしょう。


日本人はよく、こんな質問をします。


 「この写真はどこで撮ったんですか?絞りはいくつですか?フィルムは何を使ったんですか?カメラは何を使ってるんですか?」


 これらの質問は全て情報を欲しているものです。本当ならば、


 「どうしてこのような写真を撮ろうと思ったのですか?」


 という作品に対しての質問が多くあるのが当然だと思うのですが・・・。


よく日本の書店では「写真入門」とか「きれいな写真の撮り方」とか「花の撮り方」とか「ポートレート入門」とか様々な写真雑誌がところ狭しと並べられています。当然ながらその棚の周りは写真に興味のある人たちでいっぱいです。みんな自分の考えていることは正しいのかな?とかみんなはどんなことを考えが、情報誌かマニュアル本なのです。料理のメニューなどは写真が出ていることでみんなと同じイメーているのかな?など、みんなと自分は一緒かどうかを確かめたいのでしょう。つまりそれらほとんどジを共有できるので日本人は無意識のなかで安心するわけです。


写真が好きといっている人たちの、写真との付き合い方は様々で、好きなものをコレクションするようにフレームに収めていったり、きれいな物を切り取っていったり、子供や家族の記録をとっておくなど、人それぞれ写真との付き合い方があります。どれも否定はしないし写真ならではのすばらしい利用方法です。また日本人はその利用方法がとても上手で、もしかしたらそれは世界一かもしれないと思うほどです。


この旅では、三人の写真作家とのミーティングをしました。そのなかで何度も日本とヨーロッパのアート教育の違いが話題に出てきました。日本では、アートを知識として教育されてきました。(少なくとも私の学生時代はそうでした)つまり、モナリザを書いたのは誰?と聞かれて、ダ・ビンチと答えることができればそれでいいのです。しかしヨーロッパでは、あなたにとってのモナリザは?という質問になるそうです。この違いは大きすぎます・・・。


 日本人がアートを知識として教育されてきたとすると、書店の写真関連の棚にある雑誌が情報誌やマニュアル本ばかりであることに納得できてしまいます。また良し悪しは別として日本人はその情報をすぐに実践しマスターすることができます。特にカメラという最新技術の粋を集めたようなものは技術や知識が先行してしまい写真本来の目的が見失われやすいものなのでなおさら悪循環になっているのでしょう。


アーティストだろうがアマチュアだろうが関係無く、カメラを手にした全ての人に言える一番大切なことは、「自分は何かを表現する手段を手に入れた。という自覚を持つこと」だと思っています。


 この旅で私は、アーティストやキュレーターはもちろんですが、その街並みや行きかう人たちから今の日本人に欠けている何かを感じ取ったつもりです。それがアートであり文化であり教育だったような気がします。


文字だけのメニューから料理の映像を想像するという単純なことでもけして他人と同じものを思い描くことはできません。それは100人いれば100種類の料理が頭の中にできるということです。もしかしたらそれこそアートなのかもしれません。今、日本のアート教育に必要なものは、知識としてのアートではなく、想像力や表現力といった心のアート教育が必要なのだと思います。


アイルランドで出逢ったアーティスト達はみんな自信に満ち溢れ、自己表現が人と違うことにプライドを持っていました。そしてフォトアートは私たちが思っている以上に力があるんだということを見せ付けられました。また、アートが世界共通語なのだということも再認識しました。


 日本の将来のためにも、子供達に心の教育の時間もっと与えて欲しい、大人は本気で危機感を感じて欲しいと思いました。私たちNPO法人には約600人の会員がいます。プロ、アマチュア、学生、と様々な立場の人が会員になってくれています。私はこの旅で感じたことを少なくともザ・ダークルーム・インターナショナルの活動を通して、できるだけ多くの人に伝えていくことが出来ればと思っています。


将来、アカデミー賞の監督賞に日本人の監督が選出され、スペシャルサンクスの中にザ・ダークルーム・インターナショナルの名前が出ることを本気で期待しています。


2005/07/21 齋藤久夫

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